:JACQUES ALMIRA『Le marchand d’oublies』(ジャック・アルミラ『ウーブリ売り』)

JACQUES ALMIRA『Le marchand d’oublies』(GALLIMARD 1979年)
                                   

 生田耕作旧蔵書。ジャック・アルミラの名前はどこかで聞いたような気がして、いろいろ調べてみましたが、私と同じ齢というのと、ミシェル・フーコーと対談していることぐらいで、よく分かりませんでした。そういえばこの中に収められていた「La nourricière(乳母)」はフーコーに捧げられています。

 裏表紙の宣伝文句を読むと、レーモン・ルーセルばりの言語遊戯を受け継いだと書いていたので、手ごわそうだと思っていたら、ルーセルのように言葉をつなぎとして連綿と物語が展開するのではなく、ひとつのダジャレから思いついた話だったり、ひとつの話のなかに単なるダジャレがいくつかあっただけで、ごく普通の小説でした。

 全体的な印象としては、アメリカの小説にありそうなモダンな印象。近代生活を舞台にしているからでしょうか。このところ19世紀の自然や田舎の風景を背景にした物語ばかり読んでいたので。しかしブリヨンなども現代の話ですがそうしたものは感じさせず、古色蒼然とした雰囲気がありますが。そう感じさせる理由のひとつは、アメリカの作家のように、大学の文芸科で学んだごとく小説の技巧が洗練されていてそつがないところか。

 不自然で極端な話が多すぎますが、これもダジャレから発想しているからで、しょうがないか。また残酷な話や、人肉食、近親相姦などタブー的な話が多く、私の感性からはどうも好きになれませんでした。10篇のなかでは、心理描写がすばらしい恐怖小説「Anna O’Hara(アンナ・オハラ)」、フランスの喜劇の伝統を感じさせる「Le Paquebot(大型客船)」、「La menorah(燭台)」の3篇が面白かった。

 ダジャレの例をあげると、je volais vers le lever du soleil comme il se lovait dans l’été.、cet amour fût si fort que j’en mourrais? 、pour me voir encore beau et corbeau je le fus…(p9)、des cheveux jais. j’ai quoi dans la vie?(p10)、Elle resta coite, moite, droite dans son lit(p21) 、la belle souris. Anna sourit.(p36)、la rate accoucha sur la chatte.(p37)→これは「女性器(猫)の上に寝る雌鼠」という意味でジョーク、cela fût justement le 《chemin de fer》→これも「列車の通路で鉄の燭台が道を塞いでいる状態をこれが本当に鉄道だ」と言っているジョーク、la championne de patin devînt une champignonne de tapin(p87)、など。


恒例により、各篇の内容を大まかに紹介します(ネタバレ注意)。     
Le marchand d’oublies(ウーブリ売り)
oublie(ウーブリ菓子)とoubli(忘却)の語呂合わせから着想した一篇。実は、告白すると、この本を買ったのも、タイトルを見て「忘却商」と勘違いして面白そうだと感じたからだった。失恋の悶えに苦しむ男のモノローグ。


○Anna O’Hara(アンナ・オハラ)
近代的な恐怖小説。一人住まいの女性が主人公。ある夜部屋のなかで何かが動く気配を感じ恐怖におびえるが、それが鼠だと判明して次第に慣れ、ペットのように共存するようになった。その雌鼠が赤ちゃんを産んだがそのうちの一匹が彼女のせいで死ぬ。親鼠は彼女を怨みの表情で睨みつける。そして悲劇の結末。冒頭部分、暗闇のなかで叫びを聞いた主人公の心理描写はなかなかのもの。


○Le Paquebot(大型客船)
滑稽小説。階の上の隣人が音楽狂でいろんな楽器に挑戦するが、どれもひどい演奏で迷惑この上ない。最後にチューバに行きつくところでがらりと物語は様相を変える。そのチューバの音が建物を揺らし、汽笛となって、主人公を大型船に乗った幻想へといざなう。


○La menorah(燭台)
かさばる燭台を抱えて列車に乗った男が燭台のせいでまわりの人々と騒動になるという、フランスの伝統を感じさせる滑稽小説だが、最後はユダヤ差別にすり替わって悲劇的な色調を帯びる。ユダヤ人であるという自己意識が昂じて狂気に陥った主人公の妄想の世界だろう。


Le rhinocéros(犀)
幼い頃の回想をする。近所にアフリカ帰りの兄妹がいて、いつも豚を連れて散歩をしているが、夜になると、その豚は犀に変身して私を責めたてる。その悪夢から「犀」という言葉に対する恐怖がいまでもあるのだ。


La nourricière(乳母)
近代的なホラー譚。もとファッションモデルをしていた街娼で料理の達人が、証拠が見つからなければ犯罪は存在しないという信念のもとに、客を殺しその肉を冷凍庫に入れ、はじめに猫に食べさせ、次に自分も食べ、客たちにも食べさせて、おいしいと評判をとる。彼女はまた墓地の猫たちに肉を食べさせていて、そのためにも次々に人を殺していく。そしてついにある日警察から呼び出しがかかって・・・。


Le lagopède(雷鳥
これも近代的過ぎるか。食べ物に目がないプロデューサーに雷鳥の肉を食べさせると言って映画出演の確約を得る女主人公。はじめての映画出演の栄光に目がくらみ、彼女はちょうど妊娠3ヵ月で堕胎するつもりだったので、その子を堕胎するのと誕生後7カ月の子を殺すのは同じという都合の良い論理で、自分の子を雷鳥と偽ってプロデューサーに食べさせる話。


×Olympe(オランプ)
貯蓄の好きな40女があばたの顏を整形し失敗し垂れ頬になってしまったので、それに合わせて耳も垂らすなど整形し、スパニエル犬になったつもりで四足で歩くという、貯蓄(épargne)とスパニエル犬(épargneul)の語呂合わせだけで考えた話。


La concession(墓地区画)
隣人たちとの騒音騒動に嫌気がさし、墓地の区画を買いとってそこで執筆に励む作家の話。ここでもdes concessions(譲歩)とconsession(墓地区画)の思いつきが見られるほか、une momi(パスティス)とmomie(ミイラ)のダジャレがあった。


Le bonheur-du-jour(婦人用デスク)
いちばん長い作品。第二次大戦の占領下のパリ、フランスの踊り子がナチス将校と結婚するが戦争が終り、父親は獄中死して一人息子と残される。息子は母の踊り子時代に恋し、母はナチスの制服を着た息子を見て愛する夫を思い出す、という近親の恋愛がテーマ。ドイツの城館やラ・パロマの音楽が雰囲気を高めている。息子が作家という設定で、創作と現実の関係がもう一つのテーマ。作品は作家の人生を模倣するのではなく、作家が自分自身の心の奥底を覗くことで作られると主張する。そして創作が現実を予言し、小説を書き終わったとき悲劇が現実のものとなる。