矢野文夫/長谷川玖一『ボオドレエル研究』

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矢野文夫/長谷川玖一『ボオドレエル研究』(叢文閣 1934年)
                                             
 ボードレールについての本を続けて読んでいますが、いよいよ日本人の著作に移ります。時代的に古いと思われるものから。巻末に「ボオドレエル書誌」があり、それを見ると、ボードレールについての紹介ないし研究では、厨川白村が『近代文學十講』所収の「耽美派と近代詩人」で取り上げたのが最初のようです(明治45年)。大正から昭和初期にかけて、外国評論の翻訳などを含め、いくつかの論考が出ていますが、ボードレールに特化した単行本としては、次回取り上げる予定の辰野隆『ボオドレエル研究序説』(初出昭和5年)とこの本(昭和9年)が早いようです。

 この本は4年前の京都勧業館古本市で買った本。200円という安さで、レジの人がびっくりしていたのを覚えています。この本の装幀は、福澤一郎という日本のシュルレアリスム絵画の草分けの一人。紙の手触りもよくどっしりした本です。

 矢野文夫は、「悪の華」を日本で最初に全訳した人で、自ら『鴉片の夜』というボードレールの影響明らかな題名の詩集を発行し、美術評論などもしたとのことですが、一般にはあまり知られていないと思います。フランス文学者ではなく、語学力が未熟と本人は謙遜していても、なかなかどうしてフランスの原資料にもかなり目を通していて、当時としては画期的な業績ではなかったかと思います。長谷川玖一のことは私はまったく知りませんでした。『矢野文夫芸術論集』によると、慶応義塾の学生でフランス語専門の古本屋をしていて、矢野文夫よりも語学力があったので、分からないところを相談していたと言います。

 この本は、ヴァレリー、ジッドの論文翻訳、アポリネールとバレスの論文紹介に始まり、思想全般、作品論、特定テーマ(ダンディスム、批評家としてのボードレール、若き日の詩集、病理学的研究)についての論考、伝記という構成で、全体に目配りのできたものとなっています。ただ作品論の一部はジャン・ロワイエル、若き日の詩集についての章はジュール・ムゲ、伝記はウジェーヌ・クレペの研究を紹介したものであり、他の本文中にもフランス文献の引用が多く、海外の研究を翻訳紹介したという位置づけになると思います。戦前の書物によくある絶叫型の主観的な文章がところどころ見られるのは愛嬌と言えましょう。

 いちばん印象深かったのは、ジュール・ムゲの説を紹介した部分で、今まで読んだ本に書かれていたかもしれませんが、初めて聞いたような気がしました。それは、ボードレールボヘミアン時代に、友人ら3人、ル・ヴァヴァスールとブラーロン、オーグスト・ドゾンと一緒に、詩集を出すことにしていたのに、寸前になってボオドレエルが抜け出たというものです。ムゲは、ブラーロンの筆名で書かれた詩の大部分はボードレールのものではないかと推理しています。ボードレールが初めてゴーチェのもとを訪れたとき、友人の詩集を贈呈したことがボードレールの「ゴーチェ論」に書かれていましたが、その詩集は上記の詩集だったとしています。たしかにわざわざ会いに行って友人の詩集を渡すというのは不自然な話です。

 他に啓発的だったのは、これまで読んできた本と重なる部分があるかもしれませんが、詩の技法については、
ボードレールの新奇さは「語彙の象徴主義」のなかにあり、比喩の絶えざる使用が特徴で、精神的なものと物質的なものの二面を融合するために、比喩を用いて交錯させた。とくによく使った対照法(antithèse)は、言葉の上の外面的なものではなく、心のうちの葛藤から生じた内面的なものであると指摘。「苦悩は喜悦の情と入り混じり、信頼の念は疑惑と交錯し、快活と憂愁とはうち混じり、そして彼は、怯々と、恐怖のさ中に、愛欲の本質を探らんとする」(p34)

ボードレールが若き日に船に乗せられて行った異国の島の思い出が後の詩に反映していることに触れて、「半ばうすれて消え去った国の思い出が、詩人をあまりに細密な叙述から遠ざけている。そのために写実的な卑俗さが、彼の美わしいリリズムを傷つけずにすんだ。その特異な象徴的手法が、浮彫のような効果を的確につかんでいる」(p105)と彼の詩の特徴を言い当てているところ。

 神と悪魔の相克については、
ボードレールがくりかえし追い求めた神なるものは、「彼の満足し得ざる肉感の一種の補充とも見らるべきもの」(p91)と言い、また魂と宇宙との照応の際に、霊媒者の役目を果たすのが女性であるとしている。

ボードレールにとっての悪魔は、自己の外にあって、彼を無限の不幸に陥れる一種の霊であった。ボードレールは神の実在よりも悪魔の実在の方をより感じたという。著者はさらに筆を進めて、「神を・・・自己の内なるものに求めることを、やめなければならない。自己の外なる神のみが、我等を救い癒すであろう。そして神の内に生きる時の自己と、平素の行為に於ける時の自己と、全く異なった二つの自己を所有する愚かさから、逃れる事が出来るであろう」(p65)と書いているが、これは仏教の他力に通じる考えではないか。

③ジャン・コストカという人が『仮面を剥がされたるルシフェル』という本の中で、悪魔は人間の霊魂を殺戮し地獄に引きずり込むのに、人間がキリストよりも悪魔に懐いていることは不思議だと書いているとのこと。同感。

 ボードレールの言葉で印象深かったものを列挙しておきます。

生産的集中主義は、老成した人間にあっては、消耗主義にとって代わるべきである・・・自己の蒸発と集中、一切はこの中にある/p36

君臨するために、存在する必要をもたないところのものは神のみである/p78

祈りの中には、不可思議なる作用がある。祈りは、知恵の力の最も偉大な発見の一つである。そこには電気の循環に似たものがある/p79

詩は、芳香あるいは苦味の、至福あるいは恐怖の総べての感情を表出する能力と、これこれの名詞とある形容詞とを結合することや、類似法を用いるか対照法を用いるかということによって、絵画や理科や化粧法の技術と結びついているのである/p148

古本市中止続く

 コロナ禍の影響で、その後も続々と古本市が延期や中止になっています。四天王寺、たにまち月いち、阪神百貨店、京都勧業館etc.。麻雀会飲み会も中止になって大阪に出かけることもなくなり、古本屋を覗く機会もなくなりました。もっぱら、ネットで購入していますが、フラストレーションがたまったのか、いつにもまして高額のものを買ってしまうように。

堀口大學譯『サマン選集』(アルス、大正10年7月、4300円)→ずっと探していた本。恩地孝四郎装幀。

井辻朱美詩集『エルフランドの角笛』(沖積舎、昭和55年7月、2831円)→架空の町の散文詩ともいえる『風街物語』やファンタジックな短歌を詠む人がどんな詩を書くかと思って。

原子朗/林宏太郎『大手拓次研究―全集別巻』(白凰社、昭和46年11月、1650円)→造本がすばらしい

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 このブログのJ.M.A.Paroutaud『LA DESCENTE INFINIE(無限の下降)』の記事にコメントをいただいたのをきっかけに、この本の編集者であるYann Fastierさんという人とメールのやりとりをしばらくしていて、いろいろ貴重な情報をいただきましたが、彼の推薦する下記の本を購入。19世紀後半以降フランス各地で起こった不思議な話を集めたもののようです。

CLAUDE SEIGNOLLE『INVITATION AU CHATEAU DE L’ETRANGE』(WALTER BECKERS、74年12月、1456円)

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 他はいつもどおり安い本です。

永井荷風『珊瑚集抄』(河出文庫、昭和26年9月、300円)→「偏奇館吟草」という荷風の詩が読みたかった。

河野典生『鷹またはカンドオル王―初期詩的作品集』(深夜叢書社、昭和51年4月、300円)→河野典正の幻想小説の原点らしい

小池滋『ゴシック小説をよむ』(岩波書店、99年12月、600円)→講演録で読みやすそう。

ペトルス・アルフォンシ西村正身訳『知恵の教え』(渓水社、平成6年7月、800円)→東洋説話の影響濃厚な中世スペイン説話集。膨大な註釈が魅力。

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ポーとボードレールについての二冊

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パトリック・F・クィン松山明生訳『ポオとボードレール』(北星堂書店 1978年)
島田謹二『ポーとボードレール―比較文學史研究』(イヴニング・スター社 1948年)


 たしか中学生の頃にポーとボードレールを読んで、ポーについては「盗まれた手紙」とかの推理的な話はある程度理解できたものの、「アッシャー家の崩壊」は結局何だったか茫漠とした内容でよく分かりませんでしたし、『悪の華』も献辞と「読者に」の口調(堀口訳)が気に入ったものの、本編の内容は今ひとつピンとこなかった(で最後まで読まなかった)ように思います。しかもポーとボードレールがどのような関係があるとかもまったく知りませんでした(と思う)。それでも古本屋で島田謹二の『ポーとボードレール』は買って読まないまま(と思うが、なにせ50年以上も前の話なので不確か)持っていたのは覚えています。大学を出て就職したときに、多分もう読まないと古本屋に売ってしまったのを10年ほど前に買い直しました。今回ようやく読むことができたので、なんとなく嬉しく思っています。

 がこの二冊を比べると、クィンの本の方が読んで得る部分が多かったように思います。クィンは米英仏の研究書を渉猟し一種の研究史とでもいうべきものを展開し、さらに、『アーサー・ゴードン・ピムの物語』の解釈に独自の視点を導入しています。またボードレールの翻訳をポーの原文と比較しながら論じているところは精緻をきわめています。島田謹二は極東の国という不利な条件のなかで、能う限りの資料に目を通し、ポーの物語の分類など、よく整理され分かりやすく叙述していました。また「唐草怪談集」(ポーの『Tales of the Grotesque and Arabesque』の訳語)とか、「亜剌比亜古書」、「頽唐妖異の趣味」というような古色蒼然とした言い回しに味がありました。


 クィンの本は、中村融という人の翻訳がほぼ同時期に、審美社から『ポーとフランス』という題名で出版されていて、同じ本とは知らず、こちらも買って持っています。『ポオとボードレール』の刊行の方が半年ほど後で、わざわざ「原著作権者との直接契約に基づく」と書いているところからすると、出し抜かれたと知って慌てて注釈をつけたと思われます。

 クィンによると、研究の動機は、フランスでポーが過大評価されている原因を暴こうとしたということですが、研究を進めているうちに、逆に本国がポーを過小評価していることに気づいたと告白しています。いくつかの面白い指摘がありました。まず、ポーとボードレールの関係においては、
ボードレールの詩にはポーの詩の数行がそのまま反映していること。「生きた松明」と「ヘレンに」、「自ラヲ罰スル人」と「幽霊宮殿」の間に相当語句が見られる。

②ポーもボードレールもともに想像力の詩人であり、色や光、音が交錯する共感覚を経験しているが、ボードレール万物照応をはっきりと歌ったのに対し、ポーはそれを理論化することをしなかった。ニューイングランドの超絶論者に反感をもっていたポーの合理精神がそれを許さなかったとする。

ボードレールの「悪」の概念には、ポーの精神とはまったく異なった神学的色彩が濃厚で、ボードレールはポーが自分の詩では取り上げようとしなかった悪や悲痛の現実に、妥協することなく立ち向かっている。

ボードレールはポーの物語を翻訳するにあたって、ポーの玉石ある作品のなかから玉のみを選び出し、かつ作品の配列にも炯眼を発揮していたこと。一巻目の『異常な物語』は一般向けする推理小説に始まり、「たぶらかし」の要素のある数篇、最後に輪廻をテーマとする作品を次の巻につなげるべく配置した。『続・異常な物語』には、幻覚、精神病、超自然などを扱った幻想的な作品を並べた。とくに、「群衆の人」を「ウィリアム・ウィルソン」と「告げ口心臓」との間に置き、ドッペルゲンゲルという三作に共通するテーマを浮き彫りにした。翻訳文については、間違いがあると指摘しつつも、他の翻訳者と比べて、原文に忠実で原文の妙味を再現できているとしている。

 ポー、ボードレール文学史的位置づけについては、
①ポーの文学理論は、直接的にはコールリッジの思想に由来しているが、その背後にはドイツ・ロマン派のシュレーゲルがいる。フランス・ロマン主義は初期には、デカルトの明瞭直截な思想の影響を受けすぎ、皮相的で芝居もどきのゼスチュアに堕していた。ポーはユーゴーが外面からしか描きえなかったグロテスクを内面から描いた。

ボードレールが切り拓いたフランスでのポー讃美はしばらく下火になっていたが、マラルメによるポーの訳詩が世に出ると再燃した。ボードレールにはじまる象徴主義は、18世紀の末葉ドイツに奪われていたヨーロッパにおける文学上の首位を再びフランスに取り返した。象徴主義デカダンと攻撃された時、理論武装に用いたのがポーの文学理論であった。

 ポー作品については、
①ポーの物語は、病的な夢想によるものではなく、明晰さに基づくものであるという研究者の指摘を数多く紹介。暗示や含蓄など、直截的説明を避け、控え目な表現を用いる筆法の技巧が見られる(レジス・メサック)、パスカルの秩序のごとき明晰な理知がある(グールモン)、フランス精神に受入れられたのは論理的だったから(カーティス・ページ)。

②「アーサー・ゴードン・ピムの物語」は、恐怖を無秩序に積み重ねたものではなく、反逆と転覆が起こる挿話的事件を厳密な構成でまとめあげたものである。主人公ピムは単に語り手であり被害者(被虐待嗜好者)にすぎず、事件を左右し、幸運や熟練によって謎を解明していくのは、オーガスタスとダーク・ピーターズという二人の脇役である。

③ポーには二分された人格がある。一方は、ピムやアッシャーなどの陰気でしかも白光を放つような想像力、他方はオーガスタスや探偵デュパンに見られる推理的、分析的な知的能力。「アーサー・ゴードン・ピム」ではこの両者が交じり合い均衡している。ポーの資質のうち基本的で決定的なのは前者のほうである。

 ボードレール訳のポーが現われると、フランス語訳ホフマンの人気はたちまち衰えてしまった、という記述がありました。これはホフマンの翻訳家でもあったネルヴァルにショックを与えたにちがいありません。調べてみると、ボードレール訳ポーが登場し始めたのが1852年、本格的には54年7月からで、ネルヴァルの自殺が1855年1月なので、因果関係があるのかもしれません。
 

 島田謹二は日本での比較文学研究の草分けの一人で、『ポーとボードレール』はその端緒となった研究(だと思う。そんなに深くは知らない)。巻頭にポーの生涯が紹介されていましたが、これまでも解説などで目にしていたはずなのにあまり覚えてなくて、今回その悲惨な境遇に啞然としました。またポーの批評や詩論の形成の過程についても新しく知ることができ、ポーは時評家としての習練をかなり積んだので、それを創作に活かせたということが分かりました。

①ポーの詩観の系統は、コールリッジ、シェリー等のイギリス・ロマン主義に辿ることができ、シュレーゲルが北欧人の憂愁として讃えたロマンティック・ノスタルジアを一歩進め、憂愁の極北にある「死」と「美」が結合した「美女の死」を最適の詩題と考えた。それは、グレー、ヤング以来の墓畔文学の系統を引きながら、説教や感傷を排除する比類なき彫琢の作品となった。詩の構成についても、作品の統一を念頭に置き、クライマックスを重視した。

②物語においても、ポーは作品全体の効果に関係のない語は一語も書いてはいけないとし、それまでのラドクリフやゴドウィンらの「狂乱小説」が陥っていた複雑でメロドラマ風の冗長さを排し、古典芸術風の集中と選択による極度に圧縮した表現に精錬した。その後継者に、ボードレールマラルメヴィリエ・ド・リラダンがいる。

③ポーを知る前すでにボードレールには独自の美学の輪郭ができていたが、それがポーと酷似していた。両者の育った文学的環境が共通していたからで、ロマン主義1840年代のエマソンスウェーデンボルグの神秘思想の薫陶を受け、ラドクリフやホフマンを共通の愛読書としていた。ボードレールがポーから受けた影響としては、芸術至上的な唯美主義があるが、これもゴーティエの芸術思想からすでに受けていたのを補填する形での影響である。

④また『悪の華』におけるポーの詞句からの影響があり、ポー詩集を読んだ後、ボードレールは頭韻と類音を頻繁に用いるようになった。また同一語彙・句の繰り返し(ルフラン)や類似構造の並行体(パラレリスム)はポーから学んだのではないだろうか。

ボードレールのポー論には、ポーの中に自らの姿を見ようとするあまりの歪曲がある。ボードレールは、ポーを社会に反抗する窮乏の天才で恵まれぬ浪漫家と見て、ポーの不幸をもたらしたのは物質的進歩を旨とするアメリカの文明だと非難しているが、これは当時のフランス人一般のアメリカ観を反映したものである。ポーには科学的興味があり、物質的進歩を否定するものではなかった。

J.-C.MARDRUS『LA REINE DE SABA』(J・C・マルドリュス『シバの女王』)

f:id:ikoma-san-jin:20200406065708j:plain:w150                                         
Dr J.-C.MARDRUS『LA REINE DE SABA』(CHARPENTIER ET FASQUELLE 1926年)

                                             
 久しぶりに、生田耕作旧蔵書を読みました。マルドリュスは『千一夜物語』のフランス語版翻訳で有名ですが、マラルメのサロンに出入りして、エレディア、R・モンテスキュー、ジッド、P・ルイス、レニエなど当時のフランス文人と交流のあった東洋学者です。この本の裏表紙には、『千一夜物語』全16巻の広告が出ていますし、緒言には、近々『コーラン』の訳書が出版されると書かれていました。

 この作品は、著者の言うには、「種々のアラビア語原典を比較校訂しひとつにまとめフランス語に訳したもの」で、「過去にもいろいろな粉飾が施されたように、訳者でもあるが著者でもある」と、マルドリュスが手を加えた部分があることを匂わせています。この作品をひとことで言うなら、東洋の神秘を礼讃した詩的散文で綴られた一種の叙事詩オリエンタリズム、異国情緒が溢れていて、おそらく、19世紀の高踏派やその近辺の異国情緒詩の影響を多分に受けていると思われます。一人目の奥さんのL・D・マルドリュスが詩人だったのも関係しているのかもしれません。

 まず、マルドリュスの手になる緒言からして、東洋讃美に終始しています。「今のヨーロッパ人は自分たちが世界の中心だと思っているが、東洋の文明の礎の上に成り立っているのだ。ギリシア、ラテンの人々も生地や性格から見ると東洋的であることが多い。イソップ、ヘロドトス、アレクサンドル、ホメロス、それにナポレオンら。東洋はヨーロッパに知的啓明をもたらしたが代わりに何をお返しできたのか。東洋との境は、ヨーロッパの卑俗さが消え、神聖、知的優雅が始まるところにある。ヨーロッパと東洋を無理に混ぜ合わせようとしても分離してしまうのだ」というのが、おおよその主張するところ。

 緒言ではこの他に、古代では敵の名前を知れば敵を自由に操れると信じ言葉の魔力を恐れたこと、さらに時代が進んでも、宗教者はもちろん政治の指導者なども魔法の言葉を使っているし、「自由」や「文明」という言葉も一種の呪文であること、また韻や喩を使う詩の言葉や軍隊の号令も呪文だと主張し、言葉の持つ力に注意を喚起しています。

 「シバの女王」のなかのオリエンタリズムの表現は、香料や果実、植物、宝石の頻出に特徴的です。例えば、香料では、没薬、シナモン、香油、安息香、麝香、香木、匂い袋、竜涎香。果実では、無花果、葡萄、檸檬アプリコット、メロン。植物では、蓮、椰子、葦、アロエ、肉桂、サフラン、ミルト、ナツメヤシバルサム樹、罌粟、ナツメグ、丁子、百合、薔薇、ヒヤシンス。宝石では、琥珀、紅玉髄、ルビー、ダイヤモンド、真珠、サファイア。それ以外でも、ゴム液、蜂蜜水、テリアカ、象牙スカラベ、象、ラクダ、ライオン、豹など。

 また衣服の色彩もきらびやか。「サライユは一瞬にしてバルキスの足元に一枚目の服を落とした。紺碧の繻子で真珠と紅玉髄が散りばめられていた。次に現れた服は杏子色の絹で言葉に出せない美しさ。3枚目は柘榴色のビロードの式典服で、宝石が煌めいていた。4枚目は檸檬色で、長い線模様が入っていた。5枚目はオレンジ色の紗で刺繍と房飾りがついていた。6枚目は緑の繻子で気も狂わせんばかり。いよいよ7枚目は、高貴な身体を直接覆うもので、空気を織ったような繊細さで鶏頭色に染められ…」(抄訳)。これは、婚礼前の儀式で、バルキスの7枚重ねの服を乳母サライユが一枚ずつ脱がせていく場面で、ストリップ的興味あり。

 物語はおよそ次のようなものです。
中近東南部のイエメンのシバの地に、16歳のバルキスという王女がいた。彼女が眼を開けばみんな一斉に溜息を吐き、眼を閉じればみんな暗くなるというほどの美女だった。星占いが彼女に「王の姿が見える」と告げたのと同じ頃に、ユダヤの地にいたソロモン王のところにも、南の地に絶世の美女がいるという噂が届く。ソロモン王は興味を示し、精霊の力を借りてさっそくシバの地に飛び、フップ鳥からバルキスの様子を聞く。噂どおりの美女と知って、手紙をバルキスのもとへ届けるようにフップ鳥に命じる。手紙を読んだバルキスは乳母に相談し、それは恋文だと聞いて、恋とは何かと乳母に尋ねる。

バルキスはソロモン王の知力を試すために謎かけを考え、それが解けなければ拒否しようとするが、フップ鳥が天上の隅で一部始終を見聞きしていた。乳母が隊長となってソロモン王への使節団が出発するが、フップ鳥からの報告を受けていたソロモン王は、使節団を迎えると同時に謎をたちどころに解き、乳母は魂消いって「バルキス王女は殿下の御意のままに」と答える。バルキスを迎えるにあたって、今度はソロモン王がバルキスの身体検査をする仕掛けを施し、彼女の身の清らかさを確認する。婚礼の日は、歌舞音曲、酒池肉林の盛大な宴が催され、婚礼前の儀式を経て二人は結ばれる。やがて子どもが生まれ、その子はイエメンとエチオピアの王となった。が女王は死の女神に召され、ソロモン王をはじめ一同は嘆く。

 この物語の興味の中心は、説話風の謎かけ、謎解きにあります。(以下ネタバレ注意)。バルキスの謎かけは、箱を開けないで中身を当てるというのと、迷路のような穴の開いた宝石に糸を通すということ、さらに使節団の500人ずつの男女の性質を見抜けというものでしたが、箱の中身を当てるというのはフップ鳥から聞いていたので訳もなく、迷路に糸を通すのはダニに一本の髭を咥えさせて一方の端から穴に入れて他方の穴から出させるというもの、使節団の男女は男が女装、女が男装していたが、王は全員に顔を洗わせて、女装の男たちががさつな洗い方をすることで見抜いた。ソロモン王が仕掛けた身体検査というのは、舗面がガラスの通路を作り下に水を流させてあたかも小川に見せかけ、バルキスが歩くときに服の裾を持ち上げたところをガラスに反射させて中を覗いたというものです。

 文章も、厳かな雰囲気を醸し出すためか、儀礼的で、呼びかけや繰り返しの多い宣託や祈りの言葉が挿まれ、また説話体独特の表現が見られました。例えば、「それは何千という月のなかでもっとも貴重な運命の夜だった(その夜に平穏を!)」という言葉が繰り返されて出て来たり、「一歩踏み出して~と言い、二歩踏み出して~と言い、三歩踏み出して~と言った」といったリフレイン的表現、前に言ったとおりに事が進んだ場合の「Il n’y a point d’utilité à le répéter(同じことを繰り返す必要はあるまい)」とか、「Voilà pour ce qui est de~, mais pour ce qui est de~, voici.(これは~のお話だが、~がどうなったかについてはこちら)」といったような言い回し。

ボードレール論3つ

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ピエール・エマニュエル山村嘉己訳『ボードレール』(ヨルダン社 1973年)
ピエール・ジャン・ジューヴ道躰章弘訳「ボードレールの墓」(『ボードレールの墓』せりか書房 1976年)
フーゴー・フリードリヒ飛鷹節訳「ボードレール」(『近代詩の構造』人文書院 1970年)


 海外の文人によるボードレール論の続き。エマニュエルとジャン・ジューヴはフランスのカトリック詩人、フリードリヒはドイツの批評家。エマニュエルは単行本、ジャン・ジューヴとフリードリヒはそれぞれ単一章でボードレールを論じています。「ボードレールの墓」は再読で、以前の感想で「こちらの頭が脳軟化症状態になっていることもあり、書いてあることがなかなか頭に入ってきません・・・もう少し読者のことを考えて文章を綴って欲しいものです」(2015年6月24日記事参照)と書きましたが、これはまだましなほうで、エマニュエルの文章はさらに混沌としていました。


 エマニュエルの文章が頭に入ってこない理由。私の理解力はさておき、①キリスト教の原罪や贖罪がテーマになっていて、東洋人の私にはぴんと来ない。②ボードレールの作品から離れて、著者の頭の中の世界を記述している。③叙述に説明が足りない。著者が自明のこととして語っていることが理解できていないので、先に進めない。④冗舌すぎて整理ができていない。⑤訳が悪い。といったものが考えられます。いったん著者や訳者に不信感を抱いてしまうと、馬鹿らしくなって、気持ちをこめて読もうという気がなくなり、ますます悪循環に陥ってしまいます。不幸な読書といわざるをえません。
 
 エマニュエルは一貫して神の問題から考えています。おぼろげに理解できたことは、次のような点です。
①キーワードとしては、神、悪魔、転落、追憶、両義性、相反、弁証法などがあり、二つの極に引き裂かれるという観点からボードレールを見ている。母から見捨てられたという経験で全能の神から追放された転落のイメージが生じたこと。そこで全生涯にわたり、神への帰還と追放の深化という矛盾した二つの方向に努力することとなる。女性に関しても、天上的なものと地獄の二つの極端なタイプを求めた。女性は再生の道具であると同時に転落の深淵として現れ、詩人はその崇拝者であるとともに囚われ人だったのだ。

②悪魔、転落、深淵の側からの記述は次のようなもの。ボードレールは腐屍や性を歌ったが、悪魔の訪れにともなう腐敗は、物質からエッセンスをひき出し死につながるという意味で深淵のテーマであり、また性的な悦びは下降する悦びであり転落と挫折の精神に満ちている。転落と追憶は相互に関係していて、ボードレールは眠りを求めたり、「この世の外なら何処へでも」とあの世への憧れを書いたりしたが、死を愛することは無限の郷愁の中に生きることであり、転落の鋭い意識と相伴っているものだ。

③神の描き方も両義的で、例えば、「もっとも売春的な存在、それは神である」、「転落したのは他ならぬ神、別の言葉で言えば、創造は神の転落ではないだろうか」というボードレール自身の言葉や、「悪魔は変装をうけいれざるをえなかった神」というジャン・ジューヴの言葉を引用したり、罪と贖罪を同じものの表裏と見なしたりしている。
がこの辺りの議論は私には理解できないものでした。この本では嫌気がさすぐらい神がけばけばしく我を主張しているように感じました。日本人からすると、神というのはもっと厳かで、どこにいますか分からないぐらい存在の希薄な神秘的なものだと思うのですが。


 「ボードレールの墓」のキーワードは、苦悩、仮面、罪、売春などで、苦悩に焦点を当てているあたりは、エマニュエルの論に影響を与えているのではと思います。詩人らしく格調高くやや激した文章ですが少し分かりにくい。
① ボードレールの生涯の結節点として、『悪の華』の有罪判決に重きを置いている。そこから絶えざる苦悩の責苦が始まったとする。

ボードレールは、冒瀆的言辞、イロニー、戦慄のヴィジョンなど、魔的なるもの以外では、自ら崇拝するものを敬虔な態度で表現することができなかった。悪魔という仮面をつけて初めてキリスト教の血脈に連なる詩人たり得たのである。

③夢から生まれた散文詩は多く、また残された草案のリストには、夢が何よりもまして重要であることがはっきり表れている。もしもボードレールがこの異様な草案を作品として仕上げていたら、彼のシュルナチュラリスムはシュルレアリスムを予告するものになったのではないか。

ボードレールは後代の詩人の源泉となった。彼が創り出した深淵な修辞学には、マラルメ的統辞法が萌芽の状態で存在しているし、ランボーからは「第一の見者であり、真の神」と評された。


 この三つの論考のなかでは、フリードリヒのものが叙述に筋道が通っていて、いちばん分かりやすい。本のタイトルにもなっている「近代性」がキーワードで、前代のロマン主義からの断絶に焦点を当てています。
ボードレールの特色のひとつは批判的知性であり、後代の詩人たちがそれにもっとも影響を受けた。個人の存在に強く結びついた感傷や心情の陶酔に流されず、空想力を駆使して、非人格的な詩的構築を行なった。『悪の華』初版本は、100篇の詩を5群に分けて構成するというものであった。

②従来の月並みな美を拒否し、異様感をかきたてる香辛料を含ませようとした。そのひとつが大都会の汚物である。グロテスクなもののなかに理想主義と悪魔主義の衝突を認め、現実にはけっして起こりえない不条理の恐るべき論理を生み出す夢を讃美した。

ボードレールの詩の語彙は二つの対立する群に分類することができる。ひとつは闇、深淵、不安、荒廃、砂漠、監獄、冷たさ、黒い、腐ったなどの語群、他方には、昂揚、紺碧、天空、理想、光、純粋などの語。ボードレールは結びつかぬ両者を結合させる撞着語法を頻繁に用いた。その代表が「悪の華」という表現である。

ヴェルギリウス以来の詩作の伝統においては、響きは内容に重みをつけるためのものであったが、ロマン主義以降、とくにポーにおいて響きそのものを追求するようになった。気分→音韻→語彙→語群→主題という流れである。その背後には、言葉は人間が作ったものではなく、宇宙の根源である全一者に由来するという神秘主義思想があり、言葉を発することによって根源者との魔術的な触れあいを惹きおこそうとした。→これは西洋の言霊信仰と言えるのではないか。

ボードレールの創造的能力として挙げられるのは夢と空想力の二つである。夢は魔術的操作によって非現実を創り出すものであり、空想力は自由な精神が現実を離れて奔放に運動する能力で、グロテスクとアラベスク模様を生み出す。意味から解きはなたれたアラベスクの曲線模様という概念は、純粋な音調と運動の連なりである詩の言葉という概念に繋がってゆく。

 数学という概念を文学論に持ち込んだり、内容より音韻を重視したり、グロテスクなものとアラベスク模様を接近させたりした先駆者としてポーやボードレールの名を挙げていますが、さらにその先駆者として必ずノヴァーリスの名を書きとめているのがドイツ人ならではの特徴でしょうか。

ゲルンスハイムのピアノ五重奏曲とチェロ協奏曲

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 昨年秋に、ゲルンスハイムのヴァイオリン協奏曲について書きましたが、その後昨年末に、注文していたゲルンスハイム関係のCDが三枚届きました。
『The Piano Quintets』(Oliver Triendl Pf.、Gémeaux Quartett)(cpo777 580-2)
『THE ROMANTIC CELLO CONCERTO 2』(ALBAN GERHARDT Vc.、HANNU LINTU Cond.、RUNDFUNK-SINFONIEORCHESTER BERLIN)(hyperion CDA67583)
『Complete Cello Sonatas』(Alexander Hülshoff Vc.、Oliver Triendl Pf.)(cpo555 054-2)

 このうちチェロソナタは、1番の第1楽章と、チェロとピアノのためのアンダンテという曲に惹かれたものの、他はあまり心に響かなかったので、もっぱら二つのピアノ五重奏曲とチェロ協奏曲を聴いております。1枚だけ推薦するとしたら、ピアノ五重奏曲をお勧めします。チェロソナタにも名曲はあるので、一般化はできないと思いますが、ピアノ五重奏曲の方が、弦に厚みがあって、かつそれぞれのパートが独奏する場面もあり、変化に富んで聴きやすいということがあるように思います。今回も弦の低音のユニゾンの上をピアノがコロコロと飛び跳ねるところは五重奏曲ならではと感じました。

 ピアノ五重奏曲は、第1番の第4楽章と、第2番の1楽章、2楽章がとりわけ気に入っていますが、全体としても耳に入りやすいメロディが多く、まとまっています。第1番は1楽章の浪漫派的な心の揺れを感じさせる冒頭に続いて流れるようなメロディが連綿と織りなされ、2楽章はアンダンテで物静かですが次第に高まっていく曲想がすばらしく、4楽章は、1分30秒あたりから弦に続いてピアノで演奏されるメロディがとりわけ美しい。これは後半でまた繰り返されます。第2番は、1楽章の1分50秒あたりからやはり弦、ピアノの順で奏されるメロディが何とも愛らしい。引用できないのが残念。2楽章はアダージョ楽章なのに、ほの暗い情念の渦巻くようなフレーズが弦のトレモロに乗ってピアノで奏でられる部分、凄まじさがあります。

 チェロ協奏曲は、チェロの歌うようなパッセージに特徴があり、色彩的な響きのオーケストラと掛け合いながら次々と展開する曲の流れに魅力があります。3つの楽章が切れ目なく続く形で、全体も14分足らずの小品です。とくに第2楽章のラルゲットが、なだらかな優しさに包まれたメロディで心地よく、また1楽章、3楽章は取り立てて美しい部分があるという訳ではありませんが聞きやすく、曲全体としてメリハリが効いた秀作と言えましょう。このチェロ協奏曲のアルバムでは、他に、フォルクマン、ディートリッヒ、シューマンの3人のチェロ協奏曲が収められています。シューマンはもちろんですがいずれも佳品で、ディートリッヒのチェロ協奏曲がなかでは秀逸。


 酔っ払って電車に乗って帰るときに、音楽を聞くのが至上の幸せと以前も書いたように思いますが、最近コロナ禍でそういうことも減ってきたので、最近のマイブームは、携帯スピーカー(スマートスピーカーと言うみたい)をお腹に抱えてソファで寝っ転がって聞くことです。それで居眠りしたりなんかすると最高の気持よさ。

Marcel Brion『Le château de la princesse Ilse』(マルセル・ブリヨン『イルズ姫の城』)

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Marcel Brion『Le château de la princesse Ilse』(Albin Michel 1981年)


 久しぶりに、ブリヨンを読みました。文章は前回読んだロチよりは長くなってやや難しくなりましたが、読み進むうちに慣れて、それほど難渋することもなく読めました。ネットで調べてみると、イルズというのはドイツ中央部ハルツ地方に実際にある地名で、山や川の名前にもなっており、イルズ姫という泉があり、また同名のホテルが1871年に建てられ人気を博したが、1978年に取り壊されたとありました。本作の主人公は旅人で宿が一つの舞台となり、泉も主要な役割を担っていますので、ブリヨンもこのホテルをイメージしていたのか、あるいは泊ったことがあったのかも知れません。本作が1980年に書かれているのはホテルへの追悼を籠めてでしょうか。またさらに遡ると、イルズ姫はこの地方に古くからある伝説のようで、マリー・ピーターセンという人のおとぎ話やハイネの詩にも歌われているということが分かりました。文中にイルズ姫の詩というのも出てきましたが、このハイネの詩の一節かもしれません。

 今回も、冒頭2ページほどでいきなり惹きつけられました。主人公が泊まっている旅館に働くグレートは20歳になるが、この旅館の主人に拾われた捨て子で、子どものころ二人の婦人客に誘われ馬車に乗り帰ってきて、城へ連れて行かれたのと言い、周辺にそんな城はないので、みんな訝ったという。彼女は主人公にだけ、その城の名がイルズ城で、私がイルズ姫と耳打ちするところから始まります。全体は大人向けのおとぎ話という感じで、全篇ドイツ浪漫派的な憧憬に満ちた作品。エピローグは、一種のハッピーエンドで、死を前にあの世の楽園を待ち望むブリヨンの息遣いが聞こえ、また長い物語を読み終えた感激と併せて、涙が出てきそうになりました。
 
 筋書きはあってないような茫洋としたもので、現実、語られる話、夢で見た話の三つのレベルが混在し、またいくつもの脱線や回想が短い物語として織り交ぜられています。それがこの小説の魅力ともなっており、拙劣な要約に意味はないと思いますが、簡単に記しますと、上述の冒頭部に続いて、
①イルズとは語り合う仲となり、イルズは自分の体験した城の様子を語り、主人公は自分の創作したおとぎ話をしたり、自分の幼い頃体験した城の話をする。

②イルズは、二人の婦人は城の王女で母と娘であること、城では毎年、「星の息子たち」がやってきて、パーティが行われているが、そこへ上品な男の子が花を捧げ持って登場したこと、またイルズが一目惚れした若者(イルズは知らないが実は戦死した幽霊)と一緒に、若者の両親に挨拶しに水の町へ行ったことなどを語る。

③主人公は、昔ロシアの貴婦人が水晶に憑かれ探しに行って遭難したモスコヴィッチ峰にまつわる伝説、幼い頃学校の先生が城をゴールにし生徒を騎士にみたてて面白く授業をした様子、それに影響を受けてか紙で城や建物を作ったこと、住んでた家の下の階のおばさんのところにジオラマのような城の模型があったこと、長じて夢の中で見た雪の城、断崖の上の城が崩壊していく様を語る。

④主人公は、イルズの夢の城に自分も入り込み、若者の両親が死んだ息子を発見して驚愕する場面をイルズのいない所で見たりする。さらに二人で水の中の城に行ったりもする。イルズは、年老いた王女に納骨所へ案内され、そこで栄華は朽ち果てるものと教えられ、また主人公の語る城の崩壊から、自分の城も崩壊していく予感に慄く。しかも、今は城へどうやって行けばいいか分からなくなっていた。二人で城へ行く道を探し回るが見つからない。

⑤ついに、イルズが見つけたと言い出発する。歩いているうちに次第に異次元の世界に入って行くような気がした。翌朝、森の外れで例の男の子が待ち受けており、主人公はここで別れなければいけないことを確信する。イルズはその子と一緒に森の中へ入って行く。宿に帰ろうとした主人公が振り返ると、森の中が透けて見え、イルズが城の人たちに大喜びで迎え入れられる様子が見て取れた。

 四行の詩が解きほぐされて、長大な物語になったという感じです。同じような場面が少し形を変えて何度も繰り返されて出てきます。それがいいという人もいるし、冗長だという人もいるでしょう。いつも書くことですが、ブリヨンの長編には後期浪漫派音楽(今回はマーラーで言えば交響曲9,10番あたりでしょうか)を聞いているかのような長大な時間があり、揺りかごであやされているような気持ちよさを感じます。これは胎内回帰の快さ、退行現象の一種なのでしょうか。

 ブリヨンの小説では、主人公は旅人で宿や城館に泊まるという設定が多く、森、山、砂漠、海の底などが主な舞台となり、次々に町を訪れたり、洞窟や迷路の探検をしたりし、見世物小屋やサーカス、広大な庭にある泉や彫像、馬や犬が登場します。小説群が何か一つの大きなサーガを形成していて、各作品は、お互いの物語を少しずつ含みながら、サーガの一断面を描いているように思われます。本作に登場する「ぶな館のアデライド」の幽霊は『訪問者の日記Le journal du visiteur』で主要な役割を演じていましたし、「星の息子たち」も『La ville de sable砂の都』に出てきました。

 細かいところで、いくつかの魅惑的な場面がありました。蝋燭の火が消えるあいだにバビロンに行って帰ってくる話。砂漠に蜃気楼のように現れ観光客が入って行くと客もろとも消える城。語りの前にコブラを踊らせると話に合わせてコブラが動くエジプト人の講釈師。楽屋に掛けられた版画中の往年の名優が幕間に急死した主役に変わって芝居をし喝采を浴びる話、片手に外したばかりの仮面を捧げ持ち別の手で背後の剣に手をかけている道化師の彫像、礼拝堂に飾られた旗に描かれた動物が夜動き出して戦闘を繰り広げる話、穴だらけになり溶けてゆく雪の城と轟音を立てながら崩壊する断崖の上の城、豪華な衣装と仮面をつけた若い娘たちが踊りながら老婆へまた骸骨へと変わっていく虚飾の部屋。

 イルズは20歳の女性、主人公の年齢は分かりませんが中年か老年の男性。この二人の間に、男女の感情や関係が一つも感じられないことも、この物語をおとぎ話風にしている理由のひとつだと思います。