:続けて江國滋の三冊

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江國滋『スペイン絵日記』(新潮社 1986年)
   『伯林感傷旅行―旅券は俳句』(新潮社 1991年)
   『イタリアよいとこ―旅券は俳句』(新潮社 1996年)
 

 これで手持ちの江國本は全部読んでしまいました。今回は海外旅行記ばかりで、うち二冊は「旅券は俳句」シリーズ。このシリーズでは、いちばん最初の『旅券は俳句』とアメリカ篇が未読です。

 この三冊で言えば、『スペイン絵日記』と『伯林感傷旅行』が面白く、最後の『イタリアよいとこ』は「旅券は俳句」シリーズの最終回でマンネリ化して疲れたのか、いささか生気に乏しいように感じられました。


 『スペイン絵日記』は、『江國滋俳句館』のなかにあった「スペイン紀行」連作と同じ旅行の話で、当然行った場所も同じですが、『絵日記』の方が詳しく書き込んであり、かつ工夫をこらして先に発表した『俳句館』とは別の描き方をしているのと、それに片方は俳句、片方は絵に主眼があるので、まるで違った印象になっています。ただ旅行中いちばん思い出に残ったと思われる核心の部分は、どうしても同じ表現になっていますが、これは仕方ありません。

 この本には、前の持主が見返しに「楽しい本だなぁ!」と書き込んでありました。まったくそのとおりで、気ままな一人旅、酒を呑みながらうまいものを食べ、気分が乗ればスケッチし、闘牛や牛追い祭、絵画、フラメンコなどを鑑賞する話ですから面白くないわけがない。行く先々での人との交流がいっそう楽しさを引きたてています。

 ただ一点文句をつけるなら、アルハンブラの宮殿に行くときに、「ガイドブックの解説を読んでも読まなくても、そういうところの様子はだいたい察しがつく。・・・行ったも同じなら、なにも足を棒にするために、わざわざ出向くことはない」(p87)といった投げやりな態度は、シャトーブリアンの『グラナダの悲歌』やアーヴィングの『アルハンブラ物語』の世界に感激した私としては少々残念でした。歴史に対する敬意、真摯さ、あるいは憧憬のようなものが足りないように思われます。


 『伯林感傷旅行』は「伯林感傷旅行」「敦煌有情」「巴里のばらーど」の3篇が入っていて、うち「伯林感傷旅行」が抜群に面白い。これは『旅はプリズム』の「東欧阿呆旅行」の続編ともいえるもので、以前訪れた東ベルリンを壁が崩壊した直後にもう一度見に行った時の記録ですが、同伴者のジャックというアメリカ人のコピーライターがいなければ、これほど味のある読物にはならなかったと思われます。ジャックは江國氏の俳句の弟子でもあり、ジャズ・ハーモニカ吹きでもあって、二人で競うように俳句を作るなど、江國氏との掛け合いが軽妙です。ジャズ・ハーモニカのおかげで現地の人とのダイナミックな交流もあって、旅自体が思わぬ方向に行ってしまうのが面白い。


 『イタリアよいとこ』は生気に乏しいと書きましたが、それは、同行の二人が『伯林感傷旅行』のジャックのような強烈な個性がないからか、あるいは現地のイタリア人との交流や事件がなく、淡々と旅程をこなしている感じがして盛り上がりに欠けるからでしょうか。

 この本で書き方に工夫があるのが、行った先々で『米欧回覧実記』(久米邦武編/岩波文庫)と『紙上世界漫画漫遊』(岡本一平/旺文社文庫)の記述を引っ張りだし、100年以上前と50年ぐらい前と現在とが面白おかしく比較されているところです。また出てくる食べ物がおいしそうなので、そこに注目して読みました。ソレントのレストラン「ドン・アルフォンソ」、フィレンツェのポンテ・ベッキオ近くのレストランで、からすみスパゲッティが美味な「トラットリア・カミロ」、ヴェネツィアのレストラン「ラ・コロンバ」、スカラ座の近くのスパゲッテリアなど、もし行く機会があればとメモをしておきました。


 ずっと江國滋を読んできて、面白さの拠ってきたる所は何かと考えたら、自分も含めて登場する人間が面白いことでしょう。自分もしくは仲間に道化の役割を与えて、面白おかしく書くのがとても上手です。その道具として酒や俳句がうまく使われていることに気づきます。そしてベースに人に対する愛情が感じられるのがいいところです。

 江國氏には、小沢昭一森繁久彌に通じる一昔前の年配男性が持っていた鷹揚さに溢れたユーモア、人間味が感じられます。旅の途中に出会った現地の人たちもやはり同じような人間力が溢れているので、話が面白くなるのです。もちろん文章の言葉遣いの巧みさによって生き生きと表現されているからこそ伝わることですが。