:大塚幸男『フランスのモラリストたち』

             
大塚幸男『フランスのモラリストたち』(白水社 1967年)

 渡辺一夫のユマニストについての文章を読んで興味が湧いてきたので、棚にあったこの本を手に取りました。箴言や含蓄のある表現が昔から好きでしたが、ここで取り上げられている人たちの本は読んだことがありませんでした。

 モラリストたちの生涯や思想が分かりやすく紹介されていて、面白く読めました。とくに「序説 モラリストとは何か」と「第二章モンテーニュ随攷」「第四章パスカル」が印象に残っています。


 「序説」はそのモラリストたちの文章が乗り移ったような文体で、モラリストは道徳を説く人ではなく人間のあり方の観察・探求をする人であること、その文章表現の特徴、モラリストの系譜、なぜフランスで発展したかなどがあざやかに説明され、ところどころにそのモラリストたちの箴言がちりばめられていて、深みのある内容となっています。書生風の理屈っぽさがどこか残る渡辺一夫に比べると、すっきりした印象です。大塚幸男という人は九州大学という場所にいたためかそれほど有名ではありませんが、もし東京にいたら渡辺一夫と互角の存在になっていたのではないでしょうか。


 モンテーニュの人間の奥行きの深さには感心しました。冷厳な哲学者だと思っていたら、「若き日の密接な接吻、風味のある・飽くことを知らぬ・ねばりつくような接吻は、むかしこの口ひげにこびりついて、数時間の後までも消えなかったものである(p121)」というように若い頃の恋愛を語るざっくばらんさ。

 さらにこれだけ思想を語っておきながら、「私の意図は余生を楽しく過ごすことであって、勤勉に過ごすことではない・・・私が書物に求めるものは、そこからまっとうな娯楽によって、楽しみを得ようということだけにすぎない(p159)」とか「清貧の誓いにさらに精神の貧困をつけ加えることは、清貧の誓いをいっそう完全に達成することである。われわれは安楽に暮らすためには学問などはほとんど要らない(p164)」というように、読書と知識の限界を語る度量の広さは凄い。

 また老年になってぶどう酒の趣味をおぼえたり、「私は本を読みながら、むずかしいところにぶっつかると、それをいつまでも考えてはいない。・・・そこに立ちつくしていたところで、自分と時間とを失うばかりであろう(p160)」とか「私の物覚えの悪いことは非常なもので、数年前に丹念に読んで覚書まで書き入れておいた本を、近ごろの未読の本だと思いこんでまた手に取るようなことが一度ならずあった(p160)」というのには親しみをおぼえます。


 パスカルの章では、人間が深淵の縁に佇んでいることに冷徹な目で向き合った厳しい人の姿が描き出されています。神童の誉れ高かった科学少年のパスカル神秘主義的な宗教探究の道に分け入り、病気に苦しみ呻吟しながらもある悟りの境地に到達した生涯。モンテーニュとは逆に、気晴らしを嫌悪するなど人間的な余裕に乏しい印象がありますが、怜悧な考察で恐ろしい真実を平然と書き記す度胸は真の思索家たるにふさわしいものだと思います。


 きちんと本人の書いたものを読んでいないので何とも言えませんが、ラ・ロシュフーコは野心に燃えた武道の人が隠居してそのままの勢いで露悪的に物事を語ったというような印象がありました。ヴォヴナルグやジューベールについても共通して言えますが、断章が短すぎて、気の利いたことを書きつけたという印象をぬぐえません。モンテーニュパスカルに比べて底の浅さが見えてしまう気がします。これはサロンで洒落たもの言いに明け暮れたことの悪影響なのかもしれません。


 兼好法師が三十代初めのころにはすでに出家の身であり、モンテーニュも三十七歳の壮年にして隠棲したというのを知って、私が六十過ぎてからブラブラしているのは当然のことと、後ろめたい気持ちも払拭された次第です。


 恒例により印象深かった文章を少しばかり引用します。

猶深く分け入って下さい、好い薔薇は思ひがけないところに隠れてゐるものですから(島崎藤村から著者に来た激励の手紙)/p6

フランス精神は、人生や人間の諸相を柔軟な、生生流転の姿においてとらえる。モラリストの文学が体系的でなく、断片的であり、流動的なのもこのためである/p22

人間性不変という考え方は、人類の進歩という観念と対立する・・・一般にモラリストの文学は、精神的・倫理的には、人類の進歩、とりわけ集団的進歩はほとんどこれを認めない/p24

たしかにすべてがすでにいわれ、書かれている。しかし、幸いにして、あるいは不幸にして、すべてはふたたびいわれ、ふたたび書かれることができる。文学的創作を厳密な意味での真に新しいものに限るとしたら、文学は滅びかねないであろう/p27

明快な言葉によって深くなければならない。晦渋な言葉によって深くあってはならない(ジューベール)/p29

自分の馬をうしろに従えてゆく者は徒歩でゆくことが苦にならない(モンテーニュ)/p162