:PIERRETTE FLEUTIAUX『Métamorphoses de la reine』(ピエレット・フルティオー『女王の変身』)

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PIERRETTE FLEUTIAUX『Métamorphoses de la reine』(GALLIMARD 1984年)


 昨年パリ古本ツアーでfolio版(1990年刊)を購入しましたが、家へ帰ってから本棚を眺めていたらGallimardの初版をすでに所持していることに気づきました。国内のどこかの古本屋で買っていたものらしい。

 マルセル・シュネーデルが『フランス幻想文学史』のなかで取りあげていたので期待して読みましたが、バルベー・ドールヴィイの灰汁の強い濃密な文章を(翻訳ですが)読んだ後では、ぱさぱさとした現代的なそっけなさを感じてしまいました。と言っても悪い文章というのではありません。

 ペローのお伽話を中心に、原話の一片をもとにしてまったく新しい物語を作っています。城や宮殿や女王が登場する古色蒼然とした中世の舞台に、いきなりキャデラックやジョギング、テレビやカフェなど新しい事物が混在してきたり、本来子ども向きの話なのに性的な要素がまじりこんできたりします。では大人向きの現代小説になっているかというとまた違って、新しくお伽話を作り直したと言えるでしょう。

 私はお伽話(妖精物語やファンタジー)をあまり好みませんが、それは現実とまったく遊離した世界を描きながら、そこに、現実と同じような秩序を持ち込もうとして物語を作っているからです。この物語もそうしたところがあります。現実がずれることによる奇想や驚きがない、ということは物語を根底で支えるリアリズムがないということだと思います。

 お伽話風なので、文章はさほど難しくありませんでした。今回は、音読するときに、その音を自分で聞きながら、音だけで意味が分かるかどうか意識するようにしましたがまだまだ難しいものです。(どだい発音がいい加減だからあまり役には立たないけど)

 folio版によると出版の翌1985年ゴンクール賞を受賞しているようです。



 各短篇のあらましをご紹介します(ネタバレご免)。
La femme de l’Ogre(人食い鬼の妻)
人食い鬼の妻が人食い生活に違和感を感じながら暮らす有様を描く。途中赤頭巾ちゃんのアレンジ。後半は親指小僧と出会い、体が大きくなった親指小僧が王となります。残酷さとエロティシズムの混ざったお伽話。文章は平明だが喚起力はある。


Cendron(サンドロン)
シンデレラのアレンジ。この話ではシンデレラは男性、カボチャの馬車の代りにキャデラック、靴のかわりにトランシーバーとデフォルメされている。この物語集のなかでは、まだ比較的原話に近い方。


Le différé de la reine(じらされる話)
原話が何かよく分からない。「眠れる森の美女」の糸紡車の予言があったりする。皇子と皇女が王と女王になってからも、いざことに及ぼうとするたびに邪魔が入る。最後は王位を棄てて気ままに暮らすという話。何回も邪魔が入る繰り返しパターンがコミック。


Petit Pantalon Rouge, Barbe-Bleue et Notules(赤ズボンちゃんと青髭、注釈付)
青髭譚だが、ずいぶん原型から離れた話になっている。狼を乗り回して遊ぶ勇敢な娘が青髭にかけられた呪いを解くという話。


Les sept géantes(七人の大女)
白雪姫が原話。いちばん美しいのはだあれという鏡の魔力をいかに打ち破ったかがポイント。白雪姫とくれば普通は七人の男の小人だが、ここでは七人の大女が協力者として活躍する。


○La reine au bois dormant(眠れる森の女王)
「眠れる森の美女」とはほとんど関係ない支離滅裂な夢を記述したような物語。類似しているのは、茨に覆われた森の城が出てくるのと、その中に眠っていた男ぐらいか。ところどころ、「早く私のもとに来い」というように話者としてのje(私)が顔を覗かせ眠れる王子が話者という斬新な手法だと喜んでいたら、結局作者だった。作者が作中人物への思い入れを第三者のように語る終り方が印象的。


Le palais de la reine(女王の宮殿)
途中難しい部分がところどころあった。王が領土拡大に夢中で国の内務に疲れた孤独な女王が、若い男や庭師との色恋を経て、町の労働者になる話。