:ガイ・エンドア『パリの王様―大アレクサンドル・デュマ物語』

ikoma-san-jin2008-10-04


最近古本屋へも行かないので、最近読んだ本シリーズで、回数を稼ごうと思います。

この本はエンドアがデュマを素材に書いた小説であって、エピソードの大半は僅かの資料をもとに想像力で大幅に話を拡げて書いたもののようです。それでこんなに面白いのだと思います。鹿島茂さんの本で引用されているのを読んだ時には、本当の話だと思っていました。

デュマの魅力がエンドアの筆力で増幅されているのは、二人の性格が実はよく似ているからに違いありません。ひと言で言えば、繊細さと対極にある豪胆さ、いい加減さです。

デュマは眼前に絵が見えるかのごとく喋り、かつレトリックというよりトリックの利いた喋り方、書き方をするところに魅力があります。

例えば、デュマが初めてパリへ出てきて腹ペコ状態で友達の家へ行った時友達のお父さんの伯爵と交わした会話。友達はちょうど朝食を食べようとしていました。伯「朝飯を済ましたかどうか聞いてみようじゃないか」デ「ぼくはそんなにはっきりときかれたくはありませんね」伯「どうしてです」デ「だってほんとうのことを言わなくちゃなりませんからね。朝飯はもうすみましたってね」伯「それがどうしてそんなに言いにくいんですか」デ「だって、そんなふうにお返事したら、あなたがたと一緒に朝飯を食べられなくなるからです」伯「朝飯を一緒に食べませんかとあっさり言うべきだったんですね」デ「ありがとう、喜んでいただきます」とデュマは叫ぶと同時に卵焼きのほうに手を伸ばしていた。

あるいはデュマの出した芝居の三行広告はこんな感じである。「先夜、『ネールの塔』の上演の時、あたしが度を失うほどあたしの顔をじっと見つめられた方は、今夜も見物にいらっしゃるでしょうか。もしいらっしゃるなら申し上げたいことがあります。―恋する女より」
この広告が出た日、劇場は下心のある男たちで満員になったとか。

もう一つの魅力はデュマがロマン派の時代を生き抜いた文人であること、ネルヴァルが伊勢海老を飼い馴らしてそれに糸をつけて引っ張りまわしていたエピソードなど、ネルヴァル、ゴーチェやバルザックユゴーとの交流が生き生きと描かれています。

意外な話は、デュマのノートのなかに、1836年に、エドガー・アラン・ポーに出会い、部屋を見つけてやるために苦労した顛末が記されているという話。そんな話は聞いたことがありませんが。

デュマがガラン版の「アラビアンナイト」を愛読していたことは、『千一幽霊譚』を読んだ直後だけにうなずけました。