GUSTAVE KAHN『Le Roi Fou』(ギュスターヴ・カーン『狂王』)


GUSTAVE KAHN『Le Roi Fou』(G.HAVARD FILS 1896年)


 パリの古本屋の均一棚で6€で買った本。ギュスターヴ・カーンを読むのは初めて。名前は世紀末文学の評論などに象徴主義詩人としてよく出てきて、以前から読みたいと思っておりました。ところが、期待に反して、ある架空の帝国と属国が舞台で、内容も、政治や経済にまつわる話が多く、隣国との戦争、王制と民衆との権力闘争など社会の混乱の描写が延々と続きます。ドイツ語らしき単語が頻出し、かつ文章も入り組んでいて、読みにくいことかぎりなし。会話になれば少しは読みやすくなるかと思いきや、なんと複雑な構文のまま喋り散らかすのでがっかり。しかも、話がわき道にどんどん逸れて、軸となる話が分からなくなるような饒舌ぶり。

 という訳で、今回はかなりの苦戦を強いられました。おそらく話の五分の一は理解できてないでしょう。細かいところはもちろん、ひょっとして大筋でも大きな誤解をしているかもしれません。とにかく話の筋が通るように強引に曲解しながら読み進めました。この4~5年読んだなかで、いちばん難解で手こずった本となりました。時間の無駄と知りながら、とにかく最後まで読み通したのは我ながらあっぱれと言いたい。途中で、歪んだ鏡の部屋や犯罪者の手の展示のある驚異の館の描写があったり(p196)、ところどころ宴席や居酒屋が舞台になっていたりしたのが、何とか読み続けることができた要因です。

 舞台はヨーロッパ。どうやらオーストリア・ハンガリー帝国がモデルになっているようです。ナポレオンのヨーロッパ大陸制覇から世紀末の混乱した情勢まで、フランス革命の名残のなかで、国家間の競い合い、貴族階級の残存、労働者階級の興隆、金融のグローバル化などが描かれ、第一次世界大戦前夜の雰囲気が濃厚に立ち込めています。

 大きな誤読があるかもしれませんが、大まかな話の流れは下記のとおり(ネタバレ注意)。
ニーデルヴァルトシュタインという帝国に属するフンメルタンツでは、王クリスティアンが、かつてのナポレオンのような外敵の侵略を何度も受けながら、たくみに隣国との妥協や、国内反対勢力を抑えながら、国家運営を行っていた。ヨーロッパ各地の証券取引所と関係を築き、スペイン鉄道などさまざまなプロジェクトに投資することで、金融の中心となっていき、首都クレプスブルクにはヨーロッパの資本家がたちが集まる一方、労働者階級が興隆し、貧しい農民たちを巻き込んで連日デモを繰り広げていた。

王の右腕の元首歳費大臣スパークリングは政敵の罠にはめられ、隣国への密使として国外追放されるが、深夜こっそりとクレプスブルクに戻ったところで、王とばったりと出会う。王の愛人問題を相談しようと愛人宅へ二人で行ったところ、そこで王の息子が殺されるのを目撃する。葬儀の後、失意の王はスパークリングを伴って旅に出、ニーデルヴァルトシュタインの属国のひとつの首都ポルシュトックへ赴いた。そこで二人は、かつて辺境伯エグベルトが蒐集した美術や銃器、ミニチュアのコレクションや、詩人らとの団欒を愉しんでいたという煙草室に案内される。次に二人は、ニーデルヴァルトシュタインの首都ゲファシュタットへ行き、皇帝ジークフリートに謁見する。スパークリングは歓迎会を抜けだし、街にさ迷い出て驚異の館を見る。

クリスティアンの王妃は、王の姉の面倒を見るために、荒地に立つティエヴの館に、スパークリング公爵夫人とともに籠っていた。王の姉は別の国の王だった夫が目の前で殺されるのを見て気が触れてしまったのだ。一方、クリスティアン王が帝国軍隊の行進を見て酔い痴れているとき、相次いで悲報がもたらされた。フンメルタンツの主要港湾都市で大火災が起こり、町全体が燃えている知らせの翌日、今度は株価が暴落したという。王は急遽クレプスブルクに戻る。

暴落で社会が大混乱に陥り、クレプスブルクではストライキが高じて反乱が起こっていた。裁判所と監獄は群衆に取り囲まれた。防衛大臣はここぞとばかり、軍隊に加え、ブルジョワたちに私兵を組織させ、反乱者たちが商店を襲ったのを見計らって、群衆に銃を浴びせた。クリスティアン王はすぐ殺戮制止の命令を出したが、私兵たちは制御できず、市場に結集していた反乱軍や港から脱出しようと集まっていた人々は次々と殺され、政府軍が圧勝した。クリスティアン王の次男オットーは軍を率いて凱旋してきたが、今や実権が息子に移ったのは歴然だった。

そのとき、王の居室が荒らされ、貴金属が盗まれたとの報が入った。部屋を見聞しまだ犯人がどこかに隠れていると探していると、爆発が起き、王は正気を失ってしまう。オットーは王をティエヴの城館に移すことにした。スパークリングが王とともに、ティエヴの駅に着くと、すでに群集が駅を取り巻いていた。騎兵小隊に護られながら何とか馬車に乗り込んで城館に着くと、そこも反乱軍に囲まれていた。城館からの援護射撃を貰いながら、ようやく玄関まで辿り着いたとき、2階の窓から狂った姉が姿を見せたが、銃を構えて発砲した。王が額に銃弾を受けて倒れると、姉も2階から身を投げた。二人の死体を囲んで一同騒然とするなか、遠くから帝国軍の援軍がラッパを鳴らしながら到着し反乱軍は壊走した。が、さらに遠くから異国の軍隊が姿を現わしたのだった。


 読みようによっては誇大妄想狂の架空ファンタジーとも読めないことはありません。人物像としては、王クリスティアンと息子オットーの性格の対比が目につきました。クリスティアンは経済で国を豊かにしようとする気風なのに対し、息子には軍の力でかつての王国を取り戻そうという気配があります。クリスティアンは、美術品やミニチュアを蒐集していた辺境伯エグベルトに近い存在。辺境伯エグベルトは自らもフランス詩を愛吟し、詩人らと団欒するのを楽しみにし、奥方は18世紀の書簡作家で、ニーデルヴァルトシュタインの文人たちと交流したといいます。ヨーロッパの人文を愛する王家の典型的な印象があります。

 酒好きの私としては、居酒屋やキャバレーが出てきて、客たちが自国のビール自慢や、どこのスパークリングワインがおいしいかなど、議論する場面を面白く読みました。お酒にまつわる言葉としては、大麦ビール、白ビールラガービール修道院ビール、ホップ、スタウト、ジン、ラムなど、北方の国らしい用語が目につきました。また煙草室で酒を飲むというような場面もありました。

 時代を感じさせるものとしては、過去の黒人奴隷売買の話が出てきて、「彼ら黒人には二つの未来しかなかった。ひとつはアラブ商人によって安価で重労働をさせられる奴隷として売られて行くこと、もうひとつはバオバブのまわりで訳の分からない宗教に凝り固まりながら、無知で裸のまま河馬の居る川に浸かり太鼓を叩いて過ごすか」(p92)というような文章があり、スパークリング公爵夫人が主宰する婦人連の組織で、植民地での哀れな黒人たちを助けるための勉強会を開いたりしています。

 現代とあまり状況が変わっていないと感じたのは、列車の中で車窓に展開する農村風景を見ながら次のように考えるところです。「乗客の中には、仕事の悩みを抱えた工場主や銀行家がいて、ゆったりとこんな村で藤に囲まれ庭で水やりをしたり、娘たちがキャッキャとはしゃぐなかで昼寝をしたり、日曜日には教会へ行き古い聖像を眺め、夕方には家で音楽を奏で踊り、ビールやワインを楽しむなど、とても夢見るどころではなかっただろう。がその村人たちは逆に街に住みたがっているのだ」(p174~6)。

 日本との関連で言えば、カフェの壁に描かれている「日本の刺青」というのが出て来ました(p79)。