久米博『夢の解釈学』


久米博『夢の解釈学』(北斗出版 1982年)


 夢についての理論書を読んでいきたいと思います。今回は、宗教学や神話学がご専門の著者のようですが、どちらかというと文学の領域からアプローチした本。古代人が夢に対して考えていたことから書き起こし、夢に関するこれまでの代表的な理論や研究を踏まえながら、著者自身の見解も書いていて、分かりやすい記述となっています。後半のヴァレリーを軸とした「夢を書く」、夢に関する文学作品を紹介し考察した「夢を読む」という二つの章が著者ならではの部分でしょうか。

 これまでに出てこなかった視点がいろいろありました。
旧約聖書の神は、直接に、あるいは預言者が見る幻や夢を通して神意を語るが、新約聖書では、間接のみで、預言者は登場せず主の使いが夢に現われて告げる。旧約の神が難解な夢で語るのは、新約でイエスが人々に譬えで語るのと符合している。

②古代人のひとつの考え方として、魂は神的世界の住人で、人間が生きている間その肉体に仮に宿り、死の瞬間や、睡眠中には身体を離れ、天界の住人と語ることができる、というのがあった。魂は人間が目ざめている間は眠っていて、肉体が眠っているときには目ざめて働くのである。

③古代人の「夢は魂のことばである」という考え方は、神託夢に対して、夢の内面性、個人性を強調することであるが、これは現代における精神分析の考え方と共通する。

④たとえ将来において、夢見現象の生理的仕組みが解明されたとしても、夢が個々の人生のなかで持っている意味は、けっしてなくなりはしない。夢は何度見ても、依然として謎であることをやめない。

⑤夢は、われわれが夢見ているあいだしかできない経験で、時間と同様、持続である。いずれも過ぎ去ってしまえば、おぼろげな、あるいは強烈な記憶しか残らない。そして時間が不可逆であるように、夢もまた不可逆である。

⑥夢と神話は、ともに放恣な想像力の働きによって、筋の展開が意想外、非論理的であるところが共通しており、イメージも、一見、現実の再現と見えながら、じつは圧縮や置き換えなどの変形を蒙っている。「夢は個人の神話」であり、「神話は民族の夢」である。

⑦夢は個人の神話であり、誰しも自分の神話を持っている。ヴァレリー風に、自分の中に住んでいる〈野蛮人〉と言ってよいかも知れない。その野蛮人が、私たちの睡眠中に動きだすのである。

⑧人間の睡眠には、眼球が激しく動くのが観察できるREM期とそうではないNREM期の二種類あるが、REM期のほうがNREM期よりも、夢の回想率はずっと高く、生き生きとした夢が回想されることがわかった。脳波から言うと、REM期のほうが覚醒時に近いが、夢内容はNREM期のほうが覚醒時の思考に似ている。REM期の夢はより幻想的、空想的である。

⑨外部の刺激が夢の中に反映することを証明する実験があり、REM睡眠に入ってから数分後に、注射器で冷水を被験者に向かって噴射すると、大多数の夢の筋書きにとり入れられたことがわかった。また夢の中で経過する時間は、現実の時間と変わりないことも判明した。


 まだ、これから夢に関するいろんな本を読むつもりですが、これまで読んだものと、私の体験を踏まえて、何となく私の頭の中では、夢についてあるイメージができています。たとえ話のようなものですが簡単に書いておきます。

①まず、夢のもとになるものは、日ごろの体験で得たものの蓄積にある。

②覚醒しているときに五感を通じて獲得したものは、言葉と絡み合って、頭の中に蓄積される。

③頭の中は沼のようになっていて、生まれてからの記憶は言葉と絡み合って沼の中に溜まっている。

④新しく入ってきたものは、これまでの蓄積と関連づけられながら、沼の中に沈む。

⑤沼なので中がどうなっているか表からは見えず全容は見渡せない。つまり意識できない。

⑥睡眠時には、最近の体験で得たものがその沼の中からばらばらに浮かび上がる。ときにはそれと関連したずっと昔のものも一緒に浮かび上がる。

⑦それらはばらばらであり、泥だらけなのでお互いがよく分からない。そのまま泥水の下に沈んでいくものもある。

⑧夢とはその沼の中から浮かび上がる記憶の断片であり、かつ、その本来ばらばらの断片を、夢の言語というべきもので、ひとつのストーリーとして無理やりつなげる作用である。

⑨夢の言語は、覚醒時の言語と異なる論理で動いている。それで奇妙な物語が生まれる。

⑩そのストーリーがまた別の断片を沼から次々と浮かび上がらせ、さらに別の物語を繋げていくのである。

 それ以外にも、いろんなことを考えてしまいます。
*夢には過去も現在も未来もないのかもしれない。

*夢は再現できないと言うが、同様に現実も再現できないのではないか。

*現実と夢が異なる点は、現実には次々と新しい刺激が生まれるのに対し、夢には蓄積しかないことだ。

*回想と夢は近い。映画表現自体も第二の現実という意味で夢に近い。

*寝床に入って眠りに陥る前に、頭に去来するイメージや言葉は回想と夢のあいだに位置するものか。

*仮想現実の逆は科学的に作りだせないのか。つまり脳の中の幻影を現実化できないか。少なくとも画面上の映像として。そうなると夢の解明は飛躍的に進むだろう。

*それぞれの個人に特有の類型夢というのがあるのでは。

*すぐ消えて行く夢と強烈な印象を残す夢があるが、どう違うのか。

*目覚める直前の夢はよく覚えているが、これはどう説明されるのか。

 こうした素人考えが、これからどう変化していくか楽しみです。