上田周二の詩集二冊

  
上田周二『死霊の憂鬱』(沖積舎 2000年)
上田周二『彷徨』(沖積舎 2009年)


 前回、学生の頃に矢島輝夫に衝撃を受けたと書きましたが、上田周二も、『闇の扉』を学生時代に読んで、同様の衝撃を受けたことを覚えています。今回は、タイトルに惹かれて買い溜めていた詩集を読んでみることにしました。異界が垣間見られるかと期待して。が、一読後の印象は、それが良いか悪いかは別として、詩としての凝縮度や詩語が欠如していて、日常語が剥き出しになっている感じを受けました。


 『死霊の憂鬱』は、やや散文詩的、物語風で、町をさ迷っていろんな男や女の生態を目撃する死霊が、この世の悲惨、人間の悲しい性を語るといった体裁の詩が16篇と、それを挟むように、プロローグ、エピローグとして、ごきぶりに変身した自分を自虐的に歌った詩が2篇収められています。

 ひとつの特徴は、分身や変身が多く語られていることです。例を挙げると、褐色に爛れて痙攣する顔と、白皙秀麗な顔の二つの怪異の顔を持つ紳士が登場したり(「酔客のひとり」)、口からよだれを垂らしている自分の顔を見たり(「ホームレス」)、老人から小肥りの丸髷結った中年の女が分離したり(「自画像」)、狼の顔をした男が出て来たり(「追放者」)、前世の自分と出会ったり(「老人彷徨」)、猪の顔をしたファロス男と緋鯉に化けた少女が対決したり(「変身譚」)、空の雲が髑髏の相に変わって行ったり(「妄想」)など。

 なかでは、病院から抜け出した男の後をつけて行くと、男の腹が膨らみ始め、山のなかの寺に入ると、僧侶たちの読経のなかで、男の腹から鬼のような化け物が現われ、読経の金色の靄の中に消えて行ったという「昇天」が秀逸。ほかに、初老の紳士の背中に黒い河が写し出されそこに真紅の可憐な花が一本背筋を伸ばしていたという「酔客のひとり」、背後に古びた町並みの影を抱えた老人が、中年女、老婆、青年、禿頭の男と次々に変身していく「自画像」、〈あの湖水の底にわたしの骨はまだ眠ってますの〉と看護婦が呟く「妄想」が面白い。


 『彷徨』は、『死霊の憂鬱』に比べると、各行の独立性が強くなっていて、より詩のかたちに近くなっているように思います。電車のなかや地下広場の雑踏、街歩き、踏切、駅裏の小路、店舗、ぎゃらりー、公園のベンチ、人の行列、古書店、陸橋、荒野の道、美術館など、ある特定の場所が、舞台もしくは端緒となって、それぞれの詩が展開しています。Ⅰ部13篇とⅡ部3篇に分かれていますが、その仕分けがよく分かりません。Ⅰ部の方が町中の感じが強いということでしょうか。私はⅡ部の方が好きです。

 なかでは、古書店だと思って入ったところが洞窟の中のようで、奥から出ると墓地だったという「秘密」、ビルとビルのあいだを繋ぐ空中通路を歩いていて誰にも会わないことに気づき、どこへ行こうとしているかと自らに問う「陸橋」、かつて見憶えのある道を歩いていて、昔のアパートの前で昔の仲間が写真を撮っていたが私だけが居らず、声を掛けようとして行き暮れている自分を発見する「荒野の道」、美術館を出たところで、浮浪者のような老人から待っていたと声を掛けられ、幼い頃一日だけ一緒に銀杏の実を拾った思い出を語りだす「老人の夢」、靄のなかで小母さんに出会い、何も言わないまま手を引かれてついて行くが、何度か手がスポッと抜けるうちに叔母さんが諦めて靄の中に消える「夢一つ」が、『闇の扉』の上田周二らしくて佳作。