フィニイ『時の旅人』

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ジャック・フィニイ浅倉久志訳『時の旅人』(角川書店 1996年)


 『ふりだしに戻る』の続編ということなので、続けて読みました。この本も文庫にすれば上下二冊になるほどの分量で、読みごたえがありました。続編と言っても、『ふりだしに戻る』から25年もの時を距てて刊行されたもので、その年にフィニイが亡くなったので、遺作となったということです。

 登場人物も共通ですが、前作ではあまり目立たない存在だった人物が、重要な役割をしたり意外な再登場の仕方をします。前作の最後の場面でも、伏線がかなり前のページに仕掛けられていて、どこだったかと慌てて探したりしましたが、今回も、前作での記述が伏線となって、いろんな展開がなされています。何か書いてあったような気がしても忘れてしまっているので、確かめるのに時間がかかりました。続けて読んでいてもこれだから、25年も間を置いて読めば、伏線などはきれいさっぱり分からないことでしょう。

 (ここから少しネタバレ)前作の最後で、過去に戻ってダジンガー博士の両親を結婚させずにし、博士をこの世に生まれさせないようにして、タイムトラベルで歴史を改変することを無事阻止することができました。これでめでたしだったのですが、続編では、あっさりとそれが未来から送り込まれた人物によって妨害されてしまいます。せっかく落着した物語が前作タイトルどおりに、ふりだしに戻ってしまうのです。そこで主人公がすぐ諦めてしまうのは、両親に子どもを産ませないチャンスは他にもまだいくらでもあるはずなのに、不思議なことです。

 本作では、歴史の改変には手を出さないと固く誓っていた主人公が、これも不思議なことに、息子が第一次世界大戦で死ぬことを知った途端に、第一次世界大戦を起こさせないようにするというのが、ストーリーの主軸となります。で、その舞台が、1912年のニューヨークと1911年のアイルランドに設定されています。

 この作品でも、前作と同様、1910年代初頭についての細かな情報が網羅されています。エピソードとして、当時の気球遊覧や水上飛行機の話となって実在していた美人女性飛行士が登場したり、当時アメリカ全土で2000ぐらいの小屋があったというヴォードヴィルショーの世界や、タイタニック号の造船所や処女航海の様子などが描かれています。最後のエピソードはストーリーに不可欠のものですが、それ以外は詳細は不要なものでやや脱線の印象があります。フィニイが自分の愛好する世界を披露したかったということでしょうか。ハリエット・クィンビーという女性飛行士のことをネットで調べると、たしかに美人で、その後遊覧中に事故で死んだことを知って暗澹としました。

 ヴォードヴィルショーに出演している12歳の自分の父親を見つめるくだりは、この物語の後半の頂点ともなる部分で感動的ですが、そのとき、自分の息子も同じ時代に生きていて30歳ぐらいのはずです。父親と息子がもし出会う場面があれば、爺さんが孫よりも若いという妙ちきりんな現象が付け加わることになったでしょう。

 本作が前作と決定的に違っているところは、過去の世に降り立った時の臨場感、息遣い、シズル感が失われていることです。時代を飛び越えて移動する場面が何度も出てくること、しかも主人公一人だけでなく、いろんな人間が自由に行き来するようになっているので、新鮮味が薄らいでしまったのは残念です。これは連作ものにつきまとう陥穽なのかもしれません。

 掲載されている1910年代のニューヨークの写真を見て、道を歩いている人々がまだ盛装をしているのに驚きました。現代の人々がいかにだらけた格好をしているかが分かります。この時代、家の外は峻厳たる公の空間とみなされていて一種の緊張感があったのだと思います。今は公の空間と自分の家の中との区別がなくなったということでしょう。だから電車の中でお化粧をする女性も出てきたわけです。