ジャック・フィニイの二冊

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フィニイ福島正実訳『レベル3』(早川書房 1961年)
ジャック・フィニイ福島正実訳『ゲイルズバーグの春を愛す』(ハヤカワ文庫 1980年)


 幻想都市、迷宮都市、架空の国、地図にない町などの本を読んでいますが、これはSFで扱う時間テーマのテイストにかなり近いものがあるように思います。それもハードなタイムトラベルものではなく、日常のなかにほのかに別世界が紛れ込むという不思議な感覚のものがよく似ています。ジャック・フィニイの作品がそれに該当するような気がするので、これからしばらく読んで行きます。皮切りに比較的初期の短篇集二冊。いずれも大昔に読んだものですが、ほとんど初めて読むのと同じ新鮮な感動を味わいました。

 この二冊に収められた短篇は時間SF的作品が中心で、テーマ別に分類してみると、次のようになると思います。(「」の中の*は『ゲイルズバーグの春を愛す』所収のもの)。
①時間SF的作品としては、
ア)過去とのつながりを描いたもの:過去を垣間見る話の「レベル3」と「第二のチャンス」。過去の世界へ行ってしまう「クルーエット夫妻の家*」と「時に境界なし*」。過去が現在に姿を見せる「ゲイルズバーグの春を愛す*」。過去と交信する「愛の手紙*」。

イ)未来とのつながりを描いたもの:未来から来た人が登場する「おかしな隣人」。現在の言葉が未来を変えてしまう「ニュウズの蔭に」。過去の人が未来(現在)へ旅する「世界最初のパイロット」。

ウ)現在の時空を超えたもの:未来や過去が現在に姿を見せる話を集めた「こわい」。時空を飛び越えた彼方のユートピアへ旅する「失踪人名簿」。時空を超えた存在である幽霊が出現する「潮時」と「おい、こっちをむけ!*」。並行世界を語る「コイン・コレクション*」。

②次に、時間SF的要素はないが、現実世界と想像世界の交錯をテーマにしたものとして、
頭の上に雲が現われて考えていることが映像になる「雲のなかにいるもの」、小説世界が現実と交錯する「青春一滴」、身の危険を感じありうべき未来を想像してしまう「死人のポケットの中には」。

③現実世界に起こる出来事を普通に描いたものとして、
超絶技巧の絵描きの物語「独房ファンタジア*」。男の喜びそうな超自然の小道具が出てくる「悪の魔力*」。機転が利く子の冒険譚「もう一人の大統領候補*」。気球の冒険譚「大胆不敵な気球乗り*」。

 なかで、もっとも面白かったのは、過去に書かれた設計図をもとに建てた家に住んだ夫妻が徐々にその時代の素晴らしさに目覚めその時代に没入していく「クルーエット夫妻の家*」と、古道具屋で買った机の隠し引き出しに入っていた手紙に返信し、過去に生きている女性と気持ちを交わし、彼女から墓碑銘でメッセージを受け取る「愛の手紙*」。

 次に、ニューヨークのグランド・セントラル駅の本当にはない地下3階に迷い込む「レベル3」、ユートピアへの旅にあと一歩のところで引き返してしまう「失踪人名簿」、幽霊に影響を与えその人の人生を変えてしまう「潮時」、町に意志が存在するという驚異を語る「ゲイルズバーグの春を愛す*」、死刑囚が解放の瞬間を牢獄の壁面に描き、その念力で奇跡を起こした印象のある「独房ファンタジア*」といったところでしょうか。

 私にとってフィニイの何よりの魅力は、アメリカの過去の穏やかな暮らしへの愛情が溢れている点で、いろんなところで、古い町並みの美しさや、子どもの頃自然と触れ合った思い出が語られ、骨董品への偏愛、古切手やクラシックカーの趣味が披露されています。その過去への愛惜の情があまりにも強いので、現在を突き破って過去が姿を現わすことになるのでしょう。ノスタルジアの対象は異なりますが、私の愛読しているアンリ・ド・レニエと通じるところがあるように思います。

 歴史と伝統の厚いヨーロッパでなく、歴史の短いアメリカで懐古趣味というのも不思議な気がしますが、アメリカに生まれ育ったフィニイがいかにアメリカを愛しているかを示しているのと、アメリカではそれほど近代化の変化が激しいということなのでしょう。それはもはや懐旧趣味、とか懐古趣味というほのぼのしたものではなく、かなり強い意志をこめた反近代主義と言ったほうがいいように思われます。近代的な変化に対する嫌悪感、反発が思想にまで高められている感があります。

 フィニイのもう一つの魅力は、ほろりとさせる人間愛と明るさが感じられるところです。ブラックユーモアも皮肉も、ニューゴシックのような陰惨なところもありません。この素直な感性は、作家になる前に、コピーライターをしていたというのが原因でしょう。というのは、「人を悲観的に、後ろ向きにさせないように」というのが、宣伝の鉄則のひとつだからです。それと、独立したコピーライターではなく、大きな広告会社のなかの一部門で働いていたらしく、そこで社会のいろんな人々と出会い、また会社の中のいろんな軋轢を経験したに違いありません。それらの体験がいくつかの作品(「死人のポケットの中には」、「潮時」など)に濃厚に出ているように思います。