何かの気配を感じさせる音楽 その⑥

 しばらく間が空いてしまいましたが、いよいよドイツ・オーストリアの作曲家篇に移ります。ドイツとなると作曲家の数、作品の数が膨大で、私のようにたまにしか音楽を聴かない者には、網羅的な展望はとてもできませんが、気付いた範囲で気配の音楽を探したいと思います。

 私がいま探求している気配の音楽は、象徴主義的なものなので、ドイツの音楽で言えば時代では後期のロマン派にあたるように思います。遡るとしても、ロマン派的要素のうかがえる古典派音楽ぐらいまでということになるでしょうか。モーツァルトの後期のデモーニッシュな音楽にその片鱗がうかがえるような気がします。作品とすれば、例えば、オペラ「ドン・ジョヴァンニ」の石像の登場する場面はいかがでしょうか。
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MOZART『DON GIOVANNI』(SONY 88985316042)
TEODOR CURRENTZIS指揮、MUSICAETERNA
 第2幕15景の石像が登場する場面の1分30秒あたりから引用しておきます(https://www.youtube.com/watch?v=9jId-yu8Trw)。


 ベートーヴェンになると、かなりその要素が目立ってきます。もしかすると、ベートーヴェンが気配の音楽の開祖ではないかという気もします。ベートーヴェンの音楽の作り方は、ある音のパターンをベースに、それを手を変え品を変え、何度も繰り返して、音の流れを紡いでいき、次第に盛り上げていくという手法です。その手法には気配を生みだす要素があると思います。

 とくに濃厚に出ている曲は、交響曲第6番「田園」と交響曲第9番「合唱」でしょうか。
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ベートーヴェン交響曲全集」(COCQ 83984-9)
オトマール・スウィトナー指揮、ベルリン・シュターツカペレ
 交響曲第6番「田園」では、第1楽章に、音の組み合わせによって先に何かを期待させるような仕掛けがあります。とくに5分30秒あたりから(https://youtu.be/Dzq4AMDPF-Q)。第4楽章は「嵐」の場面ですが、冒頭から嵐の予感が描写されます(https://youtu.be/TRUH8Jg_Wbo)。
 交響曲第9番「合唱」では、第1楽章の冒頭に、予兆を感じさせる下降音があり、このパターンは1分過ぎ、4分50秒にも繰り返されます。気配の音楽の先鞭をつけたという意味では、3分10秒あたりからのティンパニーが重く小刻みに響く部分と(https://youtu.be/37TIm-rZkQo)、14分45秒あたりからのアラベスク模様のような音の繰り返しが(https://youtu.be/IKnb3KkmV0Q)、不安定な雰囲気を醸成していて、特筆に値するでしょう。
 交響曲では、ほかに第2番の第2楽章の1分50秒あたりに少し兆しが感じられる部分がありました。

 歌劇の序曲群は、いずれも劇的な盛り上がりのある曲で、それぞれに気配が感じられる部分があります。
劇音楽《エグモント》序曲では、冒頭にユニゾンで大きく響く音があり、何かを知らせている感じがあります。1分30秒あたりから、そそるような音の配置があり、兆しを感じさせます(https://youtu.be/Wvf4dN7ElAE)。
序曲《コリオラン》でも、冒頭から小刻みな音の繰り返しがありました(https://youtu.be/cjBgGPnH118)。
《レオノーレ》序曲第3番も、冒頭、強音のあと弱音になるパターンは前2曲と同様ですが、8分30秒ごろからもやもやとした不安な表情が現われ、9分30秒からの盛り上がりへの予兆としての役割を果たしています(https://youtu.be/CtCG0s03RSk)。

 蛇足ですが、ピアノソナタ「月光」の第1楽章の有名な冒頭部分は、何度も繰り返される音の波形が下から上に上がる形になっていますが、この波形を上から下に下げる形にすると、子どものころに聞いたTVの「世にも不思議な物語」の不安を煽るような音楽になるような気がします。


 次に、シューベルトはやはり「未完成」でしょうか。
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シューベルト交響曲第8番「未完成」(PHCP-3520)
ベルナルト・ハイティンク指揮、王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 何と言っても第1楽章の冒頭の凄まじさは見逃せません。15秒ほどの不気味な胎動の後、高鳴りを見せて解放されます(https://youtu.be/3bqASmi3dW0)。同じパターンが、3分10秒、6分50秒あたりにも登場します。第1楽章は全般に、気配というか、厭世的絶望的な気分に溢れていて、チャイコフスキーの「悲愴」と共通点があるような気がします。


 ロマン派の作曲家としては、ウェーバーの「魔弾の射手」を外すわけにはいきません。
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ウェーバー『舞踏への招待/序曲集』(UCCG-9458)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 歌劇「魔弾の射手」序曲は、冒頭から重々しくのしかかってくるような響きに圧倒されます(https://youtu.be/-vaZTG27kbI)。2分40秒あたりから、ティンパニーの低い連打と弦のトレモロが不安な気分を掻き立てます(https://youtu.be/lcUnTr7bfs8)。


 が、やはり何といっても、ドイツ音楽の中でもっとも気配に満ちているのは、ワーグナーの音楽です。フランス象徴主義の詩人たちがワーグナー詣でをしたのもうなずけます。楽劇「トリスタンとイゾルデ」などは全篇曖昧模糊とした音楽に包まれたようになりますが、とくに顕著なのは、歌劇「リエンツィ」序曲や楽劇「神々の黄昏」のジークフリートの葬送行進曲に感じられます。
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ワーグナー『序曲・前奏曲集』(GRAMMOPHON POCG-1661)
ジェイムズ・レヴァイン指揮、メトロポリタン・オーケストラ
 歌劇「リエンツィ」序曲では、冒頭長い金管の吹奏が沈黙を挟んで繰り返され、さらに3回目の後、1分15秒ぐらいから、低弦の蠢きが不気味な様相を呈し、そのあとの美しい主題を導きます(https://youtu.be/Ci9FJA3XZPY)。3分15秒あたりから、ただならぬ気配とともに再び美しい主題が現われます(https://youtu.be/eqxCKZJF3yg)。
 このCDではほかに、楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第一幕への前奏曲に、アラベスク的な音の旋回があったり、歌劇「さまよえるオランダ人」序曲の冒頭から何度も繰り返される嵐のうねりに、ただならぬ気配が感じられました。引用は略します。

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ワーグナー楽劇『トリスタンとイゾルデ』(POCG-3064)
カルロス・クライバー指揮、ドレスデン国立管弦楽団、ルネ・コロ(トリスタン)、マーガレット・プライス(イゾルデ)
 第2幕第2場の最後の場面の愛の二重唱、このCDでは7曲目の7分10秒あたりから。気配の音楽が性的陶酔の高まりと無縁でないことを示しています(https://youtu.be/TvSXjjKsW8A)。

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リヒャルト・ワーグナー『楽劇《ニーベルングの指輪》-ハイライツ』(PHILIPS UCCP-7039)
カール・ベーム指揮、バイロイト祝祭管弦楽団
 有名な楽劇「ワルキューレ」の「ワルキューレの騎行」は冒頭から旋回音の繰り返しがあって眩暈を感じさせるほど、また「ウォータンの告別と魔の炎の音楽」は全篇高揚した気分に浸される名曲で、10分10秒あたり不気味な合図とともに弦の旋回があります。がやはり楽劇「神々の黄昏」第3幕の「ジークフリートの葬送行進曲」が出色。冒頭沈黙の後、10秒ほどして突然、弦がうねるような断片的フレーズを奏で、ティンパニーが唱和、それが交互に繰り返されながら高鳴って行きます(https://youtu.be/68RQIqnVrpI)。


 ブルックナーの音楽で探すとすると、いわゆるブルックナー開始と言われる冒頭部に表われています。交響曲交響曲第8番第4楽章、交響曲第9番の第1楽章などに見られますが、ここでは第3番「ワーグナー」の第1楽章を代表として取りあげておきます。
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アントン・ブルックナー交響曲第3番「ワーグナー」(OEHMS OC624)
シモーネ・ヤング指揮、ハンブルクフィルハーモニー管弦楽団
 第1楽章の冒頭から(https://youtu.be/Q258KJmHQ4s)。第3楽章もブルックナー開始的です。第4楽章には冒頭から面白い旋回音が見られました(https://youtu.be/UqHfWdCc3lk)。ルビンシュタインのチェロ協奏曲の第3楽章に出てくる旋回音に似たところがあります(2018年11月16日記事参照)。

 交響曲第7番の第2楽章にも、15分辺りから面白い上昇音の繰り返しがもやもやとした感じを出しているところがあります(https://youtu.be/oCvu5WezgyQ)。
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ブルックナー交響曲第7番(PHILIPS PHCP-3547)
ベルナルト・ハイティンク指揮、王立アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 交響曲第8番の第3楽章の冒頭も一種のブルックナー開始で、嵐の前の静けさ的な気配が感じられます。引用は略。


 マーラーの音楽は全体がある種の気分に支配されているとも言えますが、そのなかでも技法的に、いくつか気配の要素が感じられる部分があります。交響曲第1番「巨人」がもっとも顕著なのではないでしょうか。
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マーラー交響曲第1番「巨人」(EMI TOCE-3321)
クラウス・テンシュテット指揮、シカゴ交響楽団
 第1楽章冒頭から、ずっと弦の高音が鳴り響くなか、胎動、気配、何かの兆しが感じられます(https://youtu.be/krQ16xNaL_o)。この後も延々と続き、3分25秒あたり、ティンパニーとともに弦の蠢きが始まり、4分15秒あたりまで続きます。

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マーラー交響曲第2番「復活」(fontec FOCD-2705/6)
若杉弘指揮、東京都交響楽団
 第1楽章の冒頭、弦のトレモロから始まり、しばらく不気味な気配が支配します(https://youtu.be/nXOSIRrggQw)。

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MAHLER『Symphonie Nr.6』(EMI 7243 5 55294 2 8)
Klaus Tennstedt指揮、The London Philparmonic
 この曲では、第4楽章が冒頭からもやもやとした雰囲気に包まれます。どよめきとティンパニの連打のあと、弦のトレモロ木管の上昇音と下降音、金管の遠吠え、ティンパニーの幽かな音が入り混じります(https://youtu.be/5pb6vfPATYU)。3分30秒あたりまで続きます。

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MAHLER『Symphony No.9』(NAXOS 8.110852)
Bruno Walter指揮、Vienna Philharmonic Orchestra
 第1楽章では、6分30秒ぐらいにティンパニーが突然現われて不気味な音で驚かせます。16分15秒あたりで、またティンパニーが同じ轟きを響かせ、その後ハープなどで同じ音形が歩むように続きます。その背後でしばし弦が不安げな動きを見せるのも気配を感じさせます(https://youtu.be/SI85q1oDgLs)。

 歌曲では、『亡き子を偲ぶ歌』の「こんな嵐に」に、冒頭から波乱にとんだ、混沌に沈んでいくような雰囲気がありますが、途中2分50秒あたりから少し気配のあるフレーズが聞かれました(https://youtu.be/cOuDl_zRZZ0)。
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MAHLER『Kindertotenlider』(NAXOS 8.110876)
Bruno Walter(Cond)、Kathleen Ferrier(Contralto)、Vienna Philharmonic Orchestra


 後期ロマン派の作曲家として、R・シュトラウスについては、色々とありそうですが、あまり覚えておりません。なかでは、歌劇『サロメ』の「7つのヴェールの踊り」に、もやもやとした気配が感じられました。
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『Exotic Dances from the Opera』(REFERENCE RECORDINGS RR-71CD)
Eiji Oue指揮、MINNESOTA ORCHESTRA
 全体が茫洋とした雰囲気に包まれた曲ですが、おどろおどろしい冒頭に続いて、15秒ぐらいから、延々と曖昧模糊とした雰囲気となって(https://youtu.be/GHpEBIHD7ko)、この引用部分の後も3分40秒ぐらいまで続きます。


 その後の時代では、レーガーの『ベックリンの四つの詩への音楽』の「死の島」に濃厚な気配が感じられました。
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MAX REGER『Mozart-Variationen/Böcklin-Suite』(BC 0021772BC)
HEINZ BONGARTZ(Cond)、Dresdner Philharmonie
 冒頭から小舟で島に近づいていく感じがありありとします。ベックリンの「死の島」の絵を見ながら聞くと情感が一層高まります。間欠的に聞こえてくるティンパニの響きが不気味な気配を感じさせます(https://youtu.be/6tfUyimiBUI)。

 「ヴォツェック」と言えば、アルバム・ベルクの作品が有名で、第3幕第2場の赤い月を背景にした狂気の殺人場面が出色ですが、手元にCDがないので、同じ「ヴォツェック」を題材にしたマンフレッド・グリュリ(Manfred Gurlitt)という人のたぶんその殺人場面と思しき部分を引用しておきます。
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『Die Deutsche Oper des 20. Jahrhunderts』(CAPRICCIO 10 724)より
Manfred Gurlitt『WOZZECK』
Gerd Albrecht指揮、Philharmonisches Staatsorchester Hamburg
 反復音とその背後に聞こえる心臓の鼓動を刻むかのようなティンパニーの高鳴りはベルクと共通しています(https://youtu.be/orlSdynz6_A)。


 他にもいろいろあると思いますが、今回はここまで。