高橋徹/千田稔『日本史を彩る道教の謎』

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高橋徹/千田稔『日本史を彩る道教の謎』(日本文芸社 1992年)


 先日読んだ田坂昻『数の文化史を歩く』で、日本の古代に道教の影響が色濃くあるという話を読んで興味が湧いたので、ちょうどうまい具合に本棚にあったこの本を引っ張り出してきました。なぜか昨年夏に、現在の興味を先取りしたかのように買っていたのでびっくりした次第です。

 著者は、『数の文化史を歩く』でも引用されていた福永光司の学恩を受けて、この研究の道に進んだらしいのですが、専門的な本というより、一般読者向けに若干興味本位で書かれたという感じ。道教が日本に与えた影響の痕跡が習俗や信仰のなかに残っていると列挙しています。カバーデザインが「酒場放浪記」の吉田類というのが珍しい。

 いくつか分かったことは、
①日本における道教研究の歴史についてで、江戸時代や戦前までは散発的に道教の影響が指摘されてはきたが、戦時中はとくに天皇の名称の起源にもかかわる問題を孕んでいたこともあり、そうした研究は排除され、かろうじて庚申信仰修験道への影響が認められていた程度だった。戦後になって、上田正昭、上山春平、福永光司らが道教は古代日本文化の根幹に影響をもたらしたのではないかと主張しはじめたということ。

②古代日本が道教の影響を受けることになったのは、中国から学ぼうと遣唐船を送ったとき、当時の中国では道教が盛んだったこと、また中国においても、仏教の経典をインドから移入する際、土俗の宗教用語を使って翻訳したので、そこに道教的なものがすでに交じってしまっていたことがある。

道教と仏教の大きな違いは、道教が現世利益、仏教が来世利益を説いているということ。仏教の中でも『法華経』に収められた「観音経」が、他の教典と比べて現世利益的で、中国では、観音様は「観音娘々(ニャンニャン)」や「観音媽」と呼ばれ、道教の神として信仰されているという。

 道教の影響として列挙されていることのいくつかを紹介すると、
道教の神仙思想がもたらしたものとして、『懐風藻』にすでに神仙思想を背景とした漢詩文がたくさん載せられていること、山で修行し九字を切ったりする修験道への影響、道教養生術の導引と呼ばれる健康法が按摩になったこと、金粉入りのお神酒や陀羅尼助という漢方薬なども道教の仙薬由来であること。

②日本に現在も続いている習俗で言うと、絵馬は牛馬を殺す漢神信仰がもとであり、てるてる坊主は道教の人形(ひとがた)信仰、神社や寺の護符はもともと道教のもの、さらに、屠蘇や七草粥、小豆粥、羽根つきの顔の墨塗り、端午の節句、七夕など、日本古来の習俗と思われていたことが、だいたい中国江南の習俗を記録した『荊楚歳時記』に書かれている。中元ももとは中国で7月15日(中元の日)に道教の神に供え物をするのが起こり、節分の追儺も中国古来の悪鬼を払い疫病を除く道教儀式であり、茅の輪くぐりも茅が仙薬ということから始まっている。

道教の神で日本にも関係があるのは、北極星が神格化された天皇大帝(これが天皇という言葉の出典と推測される)、端午の節句鍾馗、七夕の織女(道教の神・西王母が変化したもの)、妙見さん(北極星を神格化)、鎮宅さん(北斗七星の神格化)、荒神さん(道教の竈神信仰の影響)、祇園祭牛頭天王木星の神格化)、七福神の福禄寿と寿老人など。

④その他
平安時代、元旦に天皇自らが行っていた「四方拝」の儀礼は、「急々如律令」という道教の呪文を唱えるなどして、道教儀礼そのものであること、また日本古来の神璽である鏡と剣の象徴性は道教と深い関係にあるとしている。