篠田知和基『日本文化の基本形〇△□』

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篠田知和基『日本文化の基本形〇△□』(勉誠出版 2007年)


 篠田知和基の形についての本は、以前、『ヨーロッパの形―螺旋の文化史』(2011年7月7日記事参照)を読んで以来。その本と同じく、いろんな例証が次から次へとくり出されてきますが、違う例があるような気がしても浅学非才のためそれが何か思い出せないのが歯がゆいところです。専門家から見ればおかしなところもあるのではないでしょうか。それはともかく、日常の物事のいろんなところに目をつけているのには感心しました。

 冗舌体で、講演会を聞いているような感じで、従って記述に重複も多い。「はじめに」と「序章」だけで100ページ近く、全体の五分の二の分量がありました。日本と西洋の比較文化論で、単純な図式にすれば、日本の形は四角が多く、静止形が基本で回転運動がないが、西洋は丸や三角が多く、それは体の動きなど運動性に基づいている、というものです。しかし、日本が四角で西洋が丸だとしても、そんなことはどうでもいいような気もします。

 日本の形が四角いという例は次のようなもの:日本の着物は長方形の布をはぎあわせただけ、下駄は真四角な板の履物、日本料理では刺身でも豆腐でもたいてい四角い皿に盛るし、枡酒などというと外人は酒のグラスまで四角いのかとびっくりする。
西洋が丸と三角という例を挙げてみますと:洋食器は丸皿が標準で、パンでも本来は丸い塊、チーズもピザも丸い。建物も丸く、テーブルも文字盤も丸い。教会のバラ窓、競技場も丸い。三角は、チーズやピザの場合、丸いものを八つなどの三角形に切り分けるのが普通、西洋の騎士物語などの旗印には、三角形のもの、あるいは、三角形をふたつ重ねたようなものが少なくない。

 それ以外の日欧比較では、服飾に関して、和服にはボタン、フック、留め金など一切なく、若干の紐でしばるほかは帯を巻くだけ、アクセサリーもなく、古墳時代はそれでもかなりきらびやかなアクセサリーがあったようだが、なぜか、これらの「玉」を身にまとうことはすたれてしまう。一方、西洋では指輪が重要な意味を持つ。技術の面では、日本では杵でつく搗き臼に対して西洋では磨り臼。日本の包丁は叩き切るが西洋には包丁も存在せずクッキングナイフであり叩き切ることはない。そもそもまな板がない。日本では釘を叩きこむが西洋では螺子をねじ込む。日本の戸は引き違いであるが西洋は蝶番を中心に回転する。日本では車両がなかったわけではないがせいぜい牛が牽くもので西洋ではサスペンション付きの馬車で快適に走った。船も日本の船は平底、無甲板、四角い帆で沿岸航行が基本、西洋は船体が卵型で三角帆で向い風でも航行できた。

 この本を読んでいて感じられるのは、日本が西洋より優れているという日本礼讃の風潮に対して、そうではないという主張がひしひしと伝わってくることです。それがこの本を執筆する原動力にもなっているようです。自虐的とも思えるぐらい。例えば次のような文章。

イエズス会士のみた日本・・・どこの王宮でもみかけた華やかにきかざった宮廷夫人たちの出迎えは一切なく、いかめしい土気色の顔の役人ばかりである(p40)

タウトは日本のいなかへ行っても、どこでも農民が日がな一日水田や畑に背をかがめて地をはうように働いている姿に、驚きと憐憫を感じていた(p43)

何百年ものあいだ、日本の庶民は支配階級のまえでつねに小腰をかがめ、平伏し、目をあげて、主上の顔をまともにみることなど思いもよらぬ生活をしいられてきた(p44)

首狩族というと、大変に野蛮なもので、日本のような『文明国』のことではないと思うかもしれないが、戦国時代の日本では敵の首をとってくると恩賞にあずかったもので、だれもが首狩に精をだした(p133)

 その他の指摘や蘊蓄で面白かったもの、頷けるものは次のとおり。
①ヨーロッパでも狩猟は庶民には禁制で、狩猟肉が庶民の口に入ることは、原則としてはなかった。肉屋というものも中世には存在しなかった。

柳田國男はおにぎりが三角であるのにも呪術的意味があるという。また粽なども三角であり、それは心臓の形ではないかと見ている。「呪物一般に三角形状のもの」が多いと吉野裕子は言う。日本の日常世界では三角は死装束の三角巾にしかあらわれない。

③西洋の紋章には、熊、ライオン、鷲、城、槍などをくわしく描写したものが多いのに対し、日本では、抽象化、単純化、デザイン化したものが多い。もうひとつは、藤、松、竹など植物系の紋が多い。

④幕府の禁令というのもよく分からないもので、誰がどのような問題でお触れを出すのか、どこで決議され、国法として認められるのかだれも知らなかった。いろいろな散発的、思いつき的なお触れの文書があり、その全体は誰も知らないから、役人がそれはご法度だと言えば、それで違法と決まってしまったのかも知れない。

⑤古式ゆたかな伝統の形だと思っているものが、かなり近代になって、それも商業主義によってでっち上げられたものであることが少なくない。文化は大なり小なり、模倣と改竄によってできてゆく。それが時代をこえて続いてゆくなら、やがては「文化」になってゆく。しかし、それが承認され、定着される前であれば、異議をとなえることは許されよう。その場合も、なにがほんらいの伝統の形なのかということは見定めなければならない。