PIERRE LOTI『LES TROIS DAMES DE LA KASBAH―CONTE ORIENTAL』(ピエール・ロチ『三人のカスバの女―東洋譚』)

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PIERRE LOTI『LES TROIS DAMES DE LA KASBAH―CONTE ORIENTAL』(CALMANN-LÉVY 発行年不詳)
                                             
 4年ほど前セーヌ河岸の古本屋で買った本。「LES TROIS DAMES DE LA KASBAH」、「PASQUALA IVANOVITCH(パスカーラ・イヴァノヴィッチ)」、「UN VIEUX(老人)」、「CHAGRIN D’UN VIEUX FORÇAT(老徒刑囚の哀しみ)」の4篇を収めている。このうち「LES TROIS DAMES DE LA KASBAH」は翻訳で読んだことがあります(遠藤文彦訳『倦怠の華』所収、2011年10月24日記事参照)。
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 船に関する特殊用語など、ところどころ知らない単語は出てきますが、文章は易しく、読んでいるあいだ、フランス語の柔らかい響きに包まれている感じがして、気持ちよく読めました。これまでフランス語では『Azyadé(アジヤデ)』、『LES DÉSENCHANTÉES(魔法を解かれた女たち)』(2012年9月4日記事参照)の2作を読みましたが、フランスの作家の中で、ロチの文章はかなり易しい部類に入るのではないでしょうか。フランス語の本を読みはじめる方には、ハドリー・チェイスアイリッシュの仏訳などとともに、ぜひお勧めしたい作家です。

 ロチの小説にはいつもどこか物悲しさが漂っていますが、この本でも、「UN VIEUX」、「CHAGRIN D’UN VIEUX FORÇAT」の2作に濃厚に感じられました。とくに「UN VIEUX」は私自身が知らぬ間に高齢者となった今、身に染みるような話です。老人小説全集を組むとすれば、欠かせない作品となるでしょう。他のラインアップとしては、マルセル・ブリオン、古井由吉の回想的小説や、老人が活躍する筒井康隆『銀齢の果て』、それにL・A・モースの老人ハードボイルド『オールド・ディック』などが思い浮かびます。

 「PASQUALA IVANOVITCH」でも、いつか別れの時が来ると知りながら現地の娘との逢瀬を続けるという設定で、全篇漠然とした不安と悲しみに覆われています。教会の地下納骨堂を見て、いつか娘もここに永遠に眠るのかといった感慨など、東洋的な無常も感じられました。また夢のなかで自分の墓の上に座り、幽霊となった目線で語る場面は、幽霊譚としても面白い着想だと思いました。

 「LES TROIS DAMES DE LA KASBAH」は、改めて読んで、これは酒飲み小説のジャンルに入れるべき怪作と分かりました。この本では唯一陽気さと馬鹿騒ぎに溢れた作品ですが、朝まで飲んで港で酔いつぶれて寝込むあたりに一抹の悲哀があると言えばあります。
   
 以下、恒例により各篇の内容を少しご紹介しておきます。                                    LES TROIS DAMES DE LA KASBAH
航海の途中アルジェに停泊したときのこと。6人の若い船乗りたちがあり金をはたいて飲みまくり、3人のバスク人は母と二人の娘のいるカスバの怪しい家に泊まり、3人のブルターニュ人は酔っ払ったあげく、野犬収容車から野犬を解放し、車引きを逆に犬箱に閉じ込め気勢を上げた。がブルターニュ人はすぐに罰せられ、バスク人は悪い病気をうつされて一人死ぬという天罰を受けた。馬鹿騒ぎもほどほどにという教訓。

PASQUALA IVANOVITCH(パスカーラ・イヴァノヴィッチ
アルバニア紛争のあおりで、アドリア海の湖のような湾に、秋から冬にかけて停泊した時の一こま。ヘルツェゴヴィナ生まれで、孤児で年寄り夫婦の家で羊飼いをして暮らしている若い娘パスカーラと、毎夜、森の中でデートをした。彼女の兄から不審げな軽蔑の眼で見られるなか、片言で愛を語り合う。彼女との友愛と別れが、現地の人たちとの交流、美しい自然とともに描かれている。

〇UN VIEUX(老人)
退役後、海の見える高台の家に隠棲した船乗りの話。年を経るにつれて次第に弱り、若かりし頃敏捷で筋骨隆々だったのが、よぼよぼとなって骨が浮き出てくる。16歳で亡くした娘や、東洋の航海での思い出が唯一の慰めだったが、それも次第に薄れて行き、最後は広がる海しか思い浮かばなくなっていく。迫真の描写で老残の姿を描き出している。

CHAGRIN D’UN VIEUX FORÇAT(老徒刑囚の哀しみ)
自分が作った鳥籠で雀を飼っている老徒刑囚。生活に困窮し何度も盗みを繰り返して、ついにニューカレドニアに流されることになるが、船に乗るときに、籠の蓋が開いて雀が海に落ちてしまった。羽根を切られていた雀が飛べずに海でもがく姿を見て老人は嗚咽する。何にも代え難い大切な雀だったのだ。一瞬の光景を切りとった掌篇。