石原吉郎の三冊

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「現代詩読本 石原吉郎」(思潮社 1978年)
石原吉郎詩集』(思潮社 1969年)
『新選石原吉郎詩集』(思潮社 1979年)


 日本の現代詩の続き。イロジスムの観点から、高木敏次や貞久秀紀の先達である詩人たちを読んでいきたいと思います。まずは石原吉郎から。学生の頃惹かれた詩を今になって読み直して、自分なりに整理しようというのは何か感慨を覚えます。と言っても学生時分に読んだのは現代詩文庫の一冊『石原吉郎詩集』だけでしたが。それでも詩のフレーズは今も頭に焼き付いています。

 今回読んでみて、いくつか気がついたことを書いてみます。
石原吉郎の基盤にあるのは聖書。ひとつは精神的な背景で、石原吉郎は倫理の人であるということ。もうひとつは表現法で、対句の使い方、断定や命令口調は聖書からの影響ではないか。

石原吉郎は、シベリアの悪夢のような体験から、今で言うPTSDを長く引きずっていた人ではないだろうか。ついに逃げ切れずに自死同然の最期を遂げたのでは。

③現代詩読本の特集や詩集の作品論などで共通して指摘されているのは、詩句の難解さであり、またそれにもかかわらず(というかそれゆえにと言うべきか)魅力を放っているということ。面白いエピソードとして、清水昶が「ある行・・・石原さん、これどういう意味なの?って聞いたら、俺にもわからない」と言ったことが紹介されていた(「現代詩読本」p36)。

④「詩作にあたって何に最も心をくだくか」という質問に対して、石原氏が即座に「リズムである」と答えたように(『石原吉郎詩集』p144)、石原の詩の魅力は短い一行がつながっていくリズムにあると思う。これは本人も書いているが(「現代詩読本」p241)、散歩しながらメモを取らずに頭のなかだけで詩を作るということと関係していると思う。

⑤晩年の詩の変質もみんなが指摘していることで、「死」という言葉を直接書くなどストレートな表現や、トートロジー的な表現が出てくること。また侍や和服の女性の居住まいなど日本的美学に傾斜したという点。この日本的美学は石原の詩の全般に見られる簡潔さと関連していると思う。すでに「埋葬式」、「対座」、「北冥」、「像を移す」など、石原の中期の詩にもその萌芽が現れている。

 この三冊を読んだ限りで、石原吉郎の詩で気に入ったものを羅列すると、まず◎は「位置」「納得」「事実」「Gethsemane」「葬式列車」「耳鳴りのうた」「アリフは町へ行ってこい」(以上『サンチョ・パンサの帰郷』)、「ひとつの傷へ向けて」「泣いてわたる橋」(『いちまいの上衣のうた』)、「残り火」「泣きたいやつ」(以上「未完詩篇」)、「ドア」(『斧の思想』)。

 次に位する〇は、「馬と暴動」「夜がやって来る」「さびしいと いま」「足ばかりの神様」「伝説」(以上『サンチョ・パンサの帰郷』)、「ひとりの銃手」「霧のなかの犬」「決着」「鍋」「対座」「寝がえり」「橋をわたるフランソワ」「馬に乗る男の地平線」「霰」「死んだ男へ」「点燭」(以上『いちまいの上衣のうた』)、「像を移す」(「未完詩篇」)、「石」「くさめ」(初期未完詩篇、「くさめ」は現代詩読本所収)、「見る」「皿」「足あと」「背後」「銃声」「方向」(以上『斧の思想』)、「非礼」「うなじ・もの」「右側の葬列」「墓」「帽子のための鎮魂歌」「片側」「測錘(おもり)」「蝙蝠のはなし」(以上『水準原点』)、「義務」(『禮節』)、「痛み」(『北條』)、「足利」「亀裂」「風景」(以上『足利』)、「前提」「なぎさ」(以上『満月をしも』)。

 「現代詩読本 石原吉郎」は、石原吉郎の死後に編まれた特集号で、代表詩50選、石原本人のエッセイ、新たに組まれた対談や書き起こし評論、大勢の詩人が寄せた追悼の言葉や詩、それに石原についての過去の代表的論考からなっています。冒頭の鮎川信夫谷川俊太郎清水昶の鼎談、石原の生の言葉を伝えて貴重な大野新、石原吉郎がデビューしたころの思い出を語った谷川俊太郎、『墓』という一作品の解読を試みた大岡信、収容所など戦争体験を語った大岡昇平石原吉郎の対談が出色。ほかに、郷原宏、月村敏行、佐々木幹郎北村太郎の文章が心に残りました。菅谷規矩雄や芹沢俊介など、誤解に基づくのか、あるいは石原の体験に対する感受性を欠いているのか、死者を貶めるような無神経な評論には違和感を感じました。

 やはり具体的な事実について書かれた論評が読みやすくまた面白い。また本音を包み隠さず吐露した談話や文章には共感できました。二つの詩集に掲載されたものを含め、石原本人のエッセイがもっとも迫力、説得力があり、散文家としても優れた資質があることが分かります。「肉親へあてた手紙」を読むと、シベリアでの地獄のような体験を何とか乗り越えてきた石原にとって絶望がもっとも深くなったのが日本へ帰ってきてからだったということがよく分かり、それが詩を書かざるを得ないという原動力になったのだと感じました。

 二つの詩集を読んで、詩の技巧としていくつか目につきました。
①対句の多様。例えば、「鼻のような耳/手のような足」(「位置」)、「老人は嗚咽し/少年は放尿する」(「納得」)、「酒が盛られるにせよ/血が盛られるにせよ」、「ひとつの釘へは/みずからを懸け/ひとつの釘へは/最後の時刻を懸け」(「Gethsemane」)などいくらでも出てくる。対句がいくつも続くとマンネリ、安易さに陥るので、使い方に細心の注意が必要だが、「ひとりの銃手」の畳みかけるような反復と対句は例外的にクレッシェンドしていく迫力がある。

②対句の一種であるが、左・右に関する表現があちこちに出てくる。その変形として、二つの間の中間、真ん中、前や後という表現も目に付く。例えば、「その右でも おそらく/そのひだりでもない」(「位置」)、「われらのうちを/二頭の馬がはしるとき/二頭の間隙を/一頭の馬がはしる」(「馬と暴動」)、「ただ いつも右側は真昼で/左側は真夜中のふしぎな国を」(「葬式列車」)、「右手をまわしても/左手をまわしても」(「五月のわかれ」)。これもいくらでも出てくる。「馬と暴動」の表現は、石原が書いているシベリアでの捕虜の三列での行進の話で、隊列の両端にいると転んだ時に脱走と間違われて銃殺されるので、みんな左右の列を避けて真ん中に入りたがるということとの関連があるような気がする。

③逆から見る視座。貞久秀紀の詩にもあったが、主体と客体を転倒して逆から見ることで不思議な世界が現出する。例えば、「もはやおれを防ぐものはなく/おれが防ぐものが/あるばかりだ」(「絶壁より」)、「彼が貨幣を支払ったか/貨幣が彼を支払ったか」(「貨幣」)、「そのとき測錘(おもり)は決意するそのとき測錘は逆さまに彼らの吊り手を吊るであろう」(「測錘」)、「とむらったつもりの/他界の水ぎわで/拝みうちにとむらわれる」(「礼節」)。

④肉体的な言葉の多用。そこに抽象語が寄り添って奇妙な感覚が生じる。例を引くのが難しいが、「しずかな肩には/声だけがならぶのでない/声よりも近く/敵がならぶのだ」(「位置」)、「うずくまるにせよ/立ち去るにせよ/ひげだらけの弁明は/そこで終るのだ」(「納得」)、「われらのうちを/ふたつの空洞がはしるとき/ふたつの間隙を/さらにひとつの空洞がはしる」(「馬と暴動」)、「たとえば背へ向けてか/信頼を背後へのこし/陰謀のように打った寝がえりを」(「寝がえり」)。

 石原吉郎の詩のいちばんの特徴は、やはり断言、命令口調でしょう。これによって力強く男性的な印象が生まれ、切迫した感じすら受けます。月村敏行が指摘しているように(「現代詩読本」p196)、「ので」や「だから」という「行為を因果の連鎖に結びつける言葉」が断固として排除されているのが特徴です。本人も、「私を支配するものは事実であって、思想ではない。私はただ事実によって立っているにすぎない」(「現代詩読本」p192)と書いていますが、これは石原が苛酷なシベリアでの生活を通じて獲得した貴重なものの捉え方で、シベリア体験の核心が封じこまれているものなのです。

 俳句や短歌にも心惹かれるものがありました。短いので引用しておきます。
今生(こんじょう)の水面を垂りて相逢はず藤は他界を逆向きて立つ/p81

懐手蹼(みずかき)ありといってみよ/p132(以上「現代詩読本」)

廻転木馬のひだり眼夕日をひとめぐり/p93

大寒のふぐりを垂りてののしりぬ/p94

石膏のごとくあらずばこの地上になんぢの位置はつひにあらざる/p95

夕まぐれゆふまぐれして身じろがぬものの気配を背にはもたぬや/p95

鍔鳴りのありてや刀(とう)は鞘に入(い)る鍔鳴りなくばすべり入るのみ/p95(以上『新選石原吉郎詩集』)

 今回読み直してみて、ますます石原吉郎の詩の魅力に惹きつけられました。もしシベリア体験というものがなかったとしても、石原吉郎は詩人になっていて、かつ戦後史の重要な位置を占めたという気が今はしています。