暗さについての本二冊

f:id:ikoma-san-jin:20191026101313j:plain:w150   f:id:ikoma-san-jin:20191026101336j:plain:w165
乾正雄『夜は暗くてはいけないか―暗さの文化論』(朝日選書 2004年)
谷崎潤一郎『攝陽隨筆』(中央公論社 1935年)のなかの「陰翳禮讃」のみ


 光の哲学について読んだ後は、現実の空間における暗さについての本です。乾正雄の『夜は暗くてはいけないか』で、「陰翳礼讃」について章を設けて論じていたので、ついでに読んでみました。乾正雄は建築家で、理科系だけあって、論理がしっかりしていて考証が緻密です。一方、谷崎の文章はさすがに名文で、微妙な境地を、眼前に彷彿とさせるように、巧みに描いています。

 『夜は暗くてはいけないか』では、暗さについて、建築家ならではの視点で論じていますが、一方で、文芸、美術、文化全般にも造詣が深く、陰影に富んだ室内画を描いた画家ピーター・ドゥ・ホーホなど、いろいろと教えられることもありました。いろいろ貴重な記述がありましたが、いくつか印象的だったのを下記に。

北ヨーロッパは曇天が多く、光に対する感覚が日本人と違い、接客空間が暗くても気にしない。曇天で育ったヨーロッパ人の眼は色素が少なく光をたくさん取りこめるようになっているからである。

②眼には、中心部にある映像解像力に優れた錐体と呼ばれる部分と、暗い時にわずかな光を捉える杆体という部分があり、明るいときは錐体、暗くなると杆体が働き始める。暗い時にものがぼけて見えるのは錐体が働かず杆体のみだからである。

③暗さが人にものを考えさせるという点で、暗さと宗教には密接な関係があるが、日本の寺とヨーロッパの教会との明暗に対する考え方には違いがある。日本の寺は自然の中にあり立地的にすでに暗いという特徴もあるが、人は本堂の奥には入らず外陣から奥の暗い仏像を注視するだけなので、ヨーロッパの教会に比べて堂内は明るい造りになっている。ヨーロッパの教会では、教会内は暗くして、信徒たちは祭壇越しにステンドグラスから入射する光を仰ぐ形となっている。光が神の隠喩だからである。

人工衛星の画像を見ると、北米の都市がもっとも明るく、次にヨーロッパ、日本の都市の順である。北米、ヨーロッパでは都市をつなぐ道路が光っているだけで他は暗いのに、日本は国土全体が光を放っている。

⑤シャンデリアの形は中世から今日までほとんど変化がない。この間、蝋燭、オイルランプ、ガス灯、白熱電球と、照明技術の発展に沿って、中身が入れ替わっただけである。

⑥昔の人は、夜と昼とで二通りの顔をもっていた。一点の光源からの光で陰影がついた人の顔は、昼とは違う魅力がある。現代では部屋全体が明るいので、人はそんな顔はしなくなった。

⑦夜の闇は世界中で失われつつあるが、とくに日本がひどい。光の行きわたりすぎた環境が、人につねに動き回ることばかり強いて、考える能力を喪失させているのではないか。

⑧オフィスは近代の発明の産物だが、当初石油ランプなどの照明のもとでは、天窓や中庭による採光が必要だった。高層ビルになってからは、窓を総ガラスにしても窓際しか明るくないので、昼も夜も照明が必要になった。それも均一照明から、省エネの観点での部分照明、さらにはパソコン画面に光源が映らないアンビエント照明へと移っていった。現在は建物自体の構造を工夫したり、不均一照明が推奨される。


 「陰翳礼讃」では、薄暗がりの光線のなかで清浄と不浄のあわいが朦朧とぼかされていた日本の昔の厠(p11)、半透明あるいは濁った光が見られる奉書や唐紙の肌、玉、乾隆グラス、羊羹(p20~p32)、陰翳を基調とし闇というものと切っても切れない関係にある日本料理(p34)、弱い光りを受け留めるだけの暗い床の間のぼやけた掛け軸(p41)、部屋の奥で弱々しい金色の光を放つ金屏風(p46)、ラムプの光のもとで余情に富む人形浄瑠璃(p57)などを例示し、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあり、陰翳の作用を離れて美はない断言し、加えて、もし科学技術が東洋に生まれていたら、現在の文明のあり方はまったく違ったものになっていただろうと、東洋の美意識を讃美しています。

 ごちゃごちゃ書くよりも、谷崎自身の文章を味わってもらうのがいいでしょう。少し分量が多くなりますがご勘弁を。

支那人は又玉という石を愛するが、あの、妙に薄濁りのした、幾百年もの古い空気が一つに凝結したような、奥の奥の方までどろんとした鈍い光りを含む石のかたまりに魅力を感ずるのはわれわれ東洋人だけではないであろうか/p21

乾隆グラスと云うものは、ガラスと云うよりも玉か瑪瑙に近い・・・浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りのあるものを好む。それは天然の石であろうと、人口の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光りなのである/p23

羊羹の色・・・あの色などは矢張り瞑想的ではないか。玉のように半透明に曇った肌が、奥の方まで日の光りを吸い取って夢みるごときほの明るさを啣んでいる感じ、あの色あいの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない/p32

奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い々遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う/p46

屋内の「眼に見える闇」は、何かチラチラとかげろうものがあるような気がして、幻覚を起こし易いので、或る場合には屋外の闇よりも凄味がある。魑魅とか妖怪変化とかの跳躍するのは蓋しこう云う闇であろうが、その中に深い帳を垂れ、屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女というものも、やはりその魑魅の眷属ではなかったか・・・事に依ると、逆に彼女達の体から、その歯を染めた口の中や黒髪の先から、土蜘蛛の吐く蜘蛛のいとの如く吐き出されていたのかも知れない/p73