原章二『人は草である』

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原章二『人は草である―「類似」と「ずれ」をめぐる考察』(彩流社 2013年)

 

 ローデンバックの『死都ブリュージュ』についての章があったので購入した本。著者はジャンケレヴィッチに学んだ哲学者です。全編、オリジナルとコピー、類似と差異に関連した文章が集められていました。過去の思想、小説、映画などを引用しながら、自説を展開していますが、『死都ブリュージュ』以外は読んだり見たりしたことがないものばかりで、分かりにくい部分も多々ありました。

 

 冒頭、デカルト、ルソー、フランクリンを引用比較しながら論じている部分は明快でした。オリジナルな思考を尊重し、コピーであってもオリジナル的な理解があればよしとしたデカルト、社会に毒されず誠実に考えることがオリジナルでありコピーは排斥されなければならないとしたルソー、その二人に対し、オリジナルなんかどうでもよい、ただ良いものであればどんどん真似してほしいと、コピーを擁護したフランクリンを対峙させています。

 

 デカルトは、まっすぐに真に向かって、曖昧で混乱したものを嫌い分割と直線に固執したと、著者は言いますが、都市のあり方に対しても、直線的ですっきりしたものを好んだようです。ルソーはまた他人の物真似に溢れた社会を嫌悪し、未開人の立場で独自なものを追求したと言います。これに対しフランクリンは、真なるものにこだわらず、見栄えさえよければ、優れたコピーの方が下手なオリジナルよりましと考えていたようです。この対立を大きく捉えると、頭でっかちと現実主義者、あるいは学者対商人の構図が隠れているような気がします。少し単純すぎますが。

 

 ほかにも、この本に触発されていくつか考えました。

①疑わしきもの・曖昧なものを排除し、真において二重性やずれを克服しようというデカルト的な考えは、社会の秩序と関係しているのではと思う。著者が、「真や善が一つであるのに対して、美は一つではない」(p157)と書いているように、真や善は社会の秩序に必要なので多様であると困るが、美はそうではないということだろう。近代は真・善をそれぞれ一本化することにより、強固な秩序を形成することができ、大きく発展したのではないだろうか。

②この本を分かりにくくしている理由のひとつは、「類似」とか「似ている」ということを抽象的に語っているせいではないか。「似ている」というのには、顔が似ている(輪郭・部品)、音楽が似ている(メロディ・和音・リズム)、服が似ている(色・形)など、多様なケースがある。「似ている」という言葉の背後には、「〇〇が似ている」の「〇〇」が隠れているわけだ。また、〇〇以外の部分は異なる「部分似」という形態もあれば、全体が似ている「そっくり」、完璧に同じ「同一」など、いろんな様相がある。

③考える人がよく陥りがちなことだが、著者は「類似」という言葉にこだわり過ぎ、逆に囚われているのではないか。「類似」一元主義に陥っているといってもよいかと思う。これは著者が目指しているリゾーム的発想とは真逆の思考のような気がする。

④私なりに、オリジナルとコピーについて考えてみた。もしオリジナルにこだわるのであれば、創造的な発露があればそれがオリジナルだと思う。無から何かを創造するというようなオリジナルはこの世の中ではあり得ないこと、すべて過去の何らかの体験や言説の影響を受けているし、そもそも言葉を覚えるということ自体がコピーだから。創造的な発露のないコピーとしては、自己の関与なく、そのまま右から左へ複製を作るようなもの、例えば近代の工業生産があるだろう。ただ生産時には単なるコピーであっても、受容する側には創造的な発露としてのオリジナルが生まれることは十分あり得る。

 

 『死都ブリュージュ』について書かれた章は、この小説のテーマと著者の関心が一致して、見事な評論になっています。最愛の妻を亡くし、ブリュージュの町へ悲しみを癒しにきた主人公が、そこで亡き妻と瓜二つの女性を見かけ、恋に落ちる話であり、遠くから慕っているうちはよかったのに、接近するにつれてわずかな差異が妻を冒涜する印象となり、やがて破局へと至るというストーリーで、まさしく類似と差異が起こす悲劇と言えます。ただ著者が言うもう一つの類似、亡き妻を哀惜し憂鬱に閉じこもる主人公と灰色で死んだような運河の町ブリュージュの間の関係は、類似と言うよりは共鳴とか融合と言うべきものでしょう。

 

 最後に、蛇足ですが、訳文を引用する際に、訳者の名前を書いておきながら、一部変えたところもあると付記しているのは、著作権(肖像権)の侵害ではないでしょうか。まさにこれは著者が問題としているオリジナルの問題なんですが、足元が暗かったようです。それとも敢えて意識してそうしたのか。