荒川紘『古代日本人の宇宙観』

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荒川紘『古代日本人の宇宙観』(海鳴社 1981年)

 

 引き続き荒川紘を読みました。この本のほうが古いようです。この分野の本はあまり読んだことがなかったので、初めて知ったことも多く、推理小説のようなわくわく感を感じるところもたくさんありました。古代は資料が少ないので想像で補うしかない部分が多く、そのため話が面白くなる傾向があるように思います。大昔、高木彬光の『成吉思汗の秘密』を読んだ時のような感じと言えば言いすぎでしょうか。

 

 物理学がもともとのご専門の人らしく、神話の混沌とした世界のなかに、整合性、構造性を見出そうとしています。それがとても分かりやすく面白くなっている原因です。構想・執筆の頃はちょうど構造主義が流行している頃なので、その影響も大きいようです。

        

 現代のような絶対的な時間軸のなかった古代の人びとが時を数えたり、日や年を数えたりするやり方がとても新鮮に感じられました。一日を日の出から日の入りまでの昼の時間とその反対の夜の時間に分けて、それぞれを六等分に分割して一時(ひととき)としたり、一年を日の出や日の入りの位置からカウントしていたということです。なので昼と夜のあいだや、季節によって一時の長さが異なりました。朝廷が中国から太陰暦水時計を採用し絶対的時間が導入されるようになっても、人びとは生活をベースにした時間の測り方をしていて、例えば役人の出勤時間を季節によって変えざるを得なくなる(サマータイムのようなもの)など、いろんな食い違いが起こっていたとのことです。

 

 主だった論点を下記にご紹介します。

①まず前提として、古代日本を語る際の資料である古事記日本書紀は、外来の思想が到来した後にまとめられたものであり、すでに政治的神話に変貌している。古代日本の心はそれらの資料の背後にあるものから読み取らねば分からない。

崇神にはじまる朝廷が応神・仁徳らに滅ぼされ、それがまた越前出身の継体に倒されというふうに、欽明までの約300年は動乱期であった。そうした大和における過去の事件をあからさまに表現するかわりに、遠方での事件として描いたのが出雲の神話であり、神武の物語である。

③大和盆地の小さな世界のなかで、神話の宇宙が考えられていた。日本全体を意味する「大和」、「秋津島」、「大八島」はもともと大和郷(現在の天理市の一部)、牟婁郷(御所市の一部)の古地名、八島郷(現在の奈良市八島町)に由来し、天香具山がまさに国中の宇宙軸と想念され高天原につながるものとされていた。

④中つ国である大和を中心として、水平面では、東の方向に伊勢さらにその先の常世の国、西の方向に出雲さらにその先の妣の国という軸を設け、垂直面では上の方向に高天原、下の方向に黄泉の国という空間構造が考えられる。もともとの神話空間は、海のかなたの常世の国と妣の国という水平的な空間であったが、王権の確立と並行して垂直的な神話空間が形成されていった。

古事記ではつじつまの合わない部分が散見される。例えば、アマテラスとスサノヲは姉弟関係、コトシロヌシはニニギに国譲りをしたからお互い同世代であるが、ニニギはアマテラスの孫なのに、コトシロヌシはスサノヲの七代後の人。タイムスリップしたとしか言いようがない。また天皇の寿命についても、崇神が168歳、神武が137歳など、100歳を越える天皇が10人近くいる。

 

 不勉強で知らなかった面白い話がたくさんありましたが、下記に。

琉球語が日本語から分離したのは1450年から1700年前、日本語とアイヌ語が分離したのは7000年から1万年前。琉球のオモロやアイヌユーカラのなかには、記・紀に内在する空間構造の祖型ともいうべきものがある(p54~55)。

浮橋というのは筏や船を並べて縄でむすんだ橋で、並べられた船の上を歩いて渡るもの(p107)。また古代では石橋は川のなかに並べ渡した飛び石のことをいった(p108)。

暦は日読(かよみ)を語源とし、聖(ひじり)は「日知り」である(p193)。

朝鮮語カナ(韓)は「大いなる土地」を意味し、それが日本語化してクニに転訛した(金沢庄三郎)(p236)

 

 先日、藤原京跡周辺を散策した際、論点の③にある天の香具山に登ってきました。と偉そうに言っても、標高150メートルほどですが。この本で「国常立神は、宇宙とそのはじまりを象徴するだけでなく・・・宇宙の時間制と空間性を表徴する原理的神であった」(p239)と紹介されている国常立神を祀る神社が頂上にありました。

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