:ポーの評論二冊

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谷崎精二訳『エドガア アラン ポオ全集5』(春秋社 1970年)
エドガ・A・ポオ吉田健一譯『マルジナリア』(創元社 1948年)

                                   
 マラルメを読もうと思っていますが、その前に彼に多大な影響をあたえたと言われているポーの詩論を中心に、評論を読んでみました。この二冊のうち私の目的に合致したのは、『ポオ全集5』の「詩の原理」「詩作の哲理」「Bへの手紙」「家具の哲理」、『マルジナリア』では「芸術の定義」「表現」「想像力」「詩に於ける破格」「押韻」「テニソン」ぐらいでしょうか。

 すでにあちこちで引用などで読んでいたのか、だいたい知っていたようなことばかりで、とくに私がこのところ独自に編み出したと思い込んでいた「長詩という言葉は語義矛盾」という考えが、そっくりそのまま出ていたのに驚きました。「『長い詩』という言葉は、まったく用語上の矛盾である」(『ポオ全集5』「詩の原理」p125)。


 ポーの芸術や詩に対する考えは、とても共感できるもので、ロマン主義から象徴主義へ橋渡しをするような性格があるように思えましたが、そのいくつかを拾い出してみると、
ロマン主義的な要素としては、詩の原理を「天上の美に対する人間の憧憬」と表現し、我々の目前にある美の単なる鑑賞ではなくして、まだ達しえない彼方の永遠なるものを目指す態度としている点(『ポオ全集5』p134、161)。

②詩は、心情の陶酔である情熱、あるいは理性の満足である真実とはまったく無関係で、それらの要素が詩にはあってもよいが、それらを包み込む詩の雰囲気、美が必要であり、詩には魂の興奮、快い高揚がなくてはならないとしているところ(『ポオ全集5』p161、169)。

③憂鬱をすべての詩の調子のなかで、もっとも正当なものと位置づけている(『ポオ全集5』p169)。

象徴主義的な特徴を示しているのは、美というものは性質ではなくして、効果を意味するとしているところ(『ポオ全集5』p168)。

⑤さらに象徴主義的な特徴としては、真の詩の要素として漠然の美をあげていること。肉眼はものを見過ぎており、眼を半ば閉じることで景色の美しさを倍化させる、また、遠さは眺めを美しくすると言っている(『マルジナリア』p16、27、190)。

⑥この考え方は、「家具の哲理」にも反映していて、ガラスやシャンデリアや鏡のきらめきを嫌悪し、磨りガラスの覆いのある月光のような和らげられた光を発する無影燈を称揚している(『ポオ全集5』p199)。つまり曖昧の美学。

⑦詩が漠然の美を提供するのが目的であるならば、音楽はもともと漠然たるものなので、音楽は詩には欠かすことができない要素である。すなわち詩とは「美の音律的創造」である(『マルジナリア』p191、『ポオ全集5』p135)。→これはヴェルレーヌの詩論と一致する。

⑧「絶妙な美しさには、或る程度の異様さが必要である」というベーコンの言葉を引用しながら、詩には、異様さ、意外性、新鮮さ、独創性が必要と説く(『マルジナリア』p139、172)。

押韻の与える快感は人間の均等の観念に基づくもので、それは音楽の快感と共通のものである。押韻する言葉を、均等な距離に、すなわち同じ長さの二つの行の終りに置くという再度の均等化によって、押韻の二つの音の類似から来る効果を増すようにしている。そして、完璧な押韻は、さらにその期待を裏切る意外性、すなわち均等と意外との結合によってのみ得られる(『マルジナリア』p171〜173)。

⑩この定常(均等)と変化(意外)との組み合わせの考え方は、別の所(「大鴉」の制作解説)にも見られ、そこでは、音の点で単一調を維持しながら、詩の内容に絶えず変化をもたらせることで、効果を高め、かつ多様ならしめようとしたと告白している(『ポオ全集5』p170)。


 ポーにあっては、魂や霊的なものを大切にし美や快楽を求める心と、科学的な探求心や推理への嗜好が背反するものではなく同居していることが分かります。それが詩において、最終的には魂の高揚、すなわち美を求めながらも単に情熱に任せたものは美にあらずと否定し、詩の効果を最大にするための技巧的な工夫を重要視するところにつながっています。

 『ポオ全集5』には、他にも、ポーの多彩な才能が感じられる作品が多数ありました。プロティノスの「一なるもの」の思想と当時の最先端の宇宙理論を混ぜ合わせたような「ユリイカ」、冒険ノンフィクションの先駆けとも言える「アストリア」、ポーらしい推理が光っている「メェルゼルの象棋さし」と「暗号術」、他に諷刺的ユーモア小説など。