:ピエール・ギロ『フランスの成句』


ピエール・ギロ窪川英水/三宅徳嘉訳『フランスの成句』(白水社 1962年)


 成句は諺とは少し違って、表現の一種の型、言葉の綾とでも言うべきもので、成句の方が集合の範囲が広いものでしょう。この本を読んでいちばん感じたことは、諺や成句の成り立ちの解釈というものが実にいい加減なものだということで、語源などももっともらしい説明があったりしますが、同様なのかと思ってしまいます。ピエール・ギロという人はクセジュで他の本も書いていて、昔から名前はよく見ていましたが、今回初めて読みました。理路整然とした論の進め方に加え、どことなくユーモアが感じられるところや、誠実な書きぶりに好感を持ちました。

 謙虚で誠実な態度は、「この本のめざすところは、はじめからわかりきっていると思われることがらがいちばんあいまいな事実といちばんむずかしい問題を隠しているのを示すことだった」(p124)という「結び」の言葉に表れています。成句というものが、言葉の長い歴史のなかで、偶発的にいろんな要素が絡み合って蓄積されてきたもので、浅薄な想像力では到底図りえないものという認識を示し、自らの解釈に対しても、「われわれがいましがた自分に語ってきかせたのもきっと誤っているのだ」(p65)とか、「われわれ自身そうした推量をあらたなきっかけさえあればしりぞける点できっと人後におちないであろう。それにまたそうした推量にはたいてい控えめな『どうやらほんとうらしい』とか慎みぶかい『おそらく』といったただしがきをそえておいた」(p124)と付け加えるのを忘れていません。さらに自分の新しい解釈も、ヴァルテル・フォン・ヴァルトブルクの『フランス語源辞典』の厖大な資料をもとにして初めてできるようになったと手柄を他者に譲っています(p123)。


 そうは書きながらも、成句についての考察はなかなか鋭く、これまで読んできた日本のフランスことわざ解説本にはない詳細な論が展開されており、いくつかの面白い指摘がありました。
①成句が、文法的、語彙的規範から逸脱しながら、凝結した形で保存されてきたこと、その結果、古風な特徴を身につけていること。
②人間が生き、死に、歩き、食べ、飲み、眠り、愛し、苦しみ、欲し、両親・友人・家畜などと生活するなかで成句を生み出してきたこと。そして頭、腕、鼻、海、山、犬、猫などにまつわる幾千もの成句を生むこととなった。
③成句の源には、社会的慣習として、封建時代の騎馬試合や一騎打ち、教会の法律・典礼、狩猟、貴族の遊びがあり、言葉の面では、庶民よりも、貴族階級の技術と生活形態の痕跡が見られること。狩がもとになった成句があっても釣がないのは貴族が釣などしなかったから。また音楽、演劇、医学の言葉も成句になりやすい。
④文化の面から見れば、ギリシャ・ラテンの古代の書き物や、聖書、寓話の言葉から成句が作られ、また近代ではモリエールなど芝居の台詞が日常の言葉のなかにたくさん入っている。
⑤「au fur et à mesure〔〜につれて〕」のなかの「fur〔値段〕」など、成句にしか残っていない古語があり、その正確な意味を知らなければ正しい解釈(「人が測って、値段をつけるのに従って」)ができない。隠語、方言、外国語からの借用語で、その意味が分からなくなっているものも多い。
⑥名詞を冠詞をつけずに使うということは、名詞を一般的概念として抽象性において考えるということであり、表現が古風になり、抽象的で、比喩的なニュアンスを付与することになる。
⑦ある一つの疑問詞、省略、倒置、反復、イメージ、比喩を使った時、効果的な表現だと認められれば、くり返されてついには慣用のなかに入って凝結する。それが成句の成り立ちで、言葉の綾というふうに呼ばれてきた。思考の綾(誇張法、対照法、頓呼法、皮肉を表現する反用、敷衍、類語法)、文法の綾(倒置法、省略法、対立法)、語彙の綾(隠喩、提喩)がある。
⑧抽象的なものの比喩化は言葉の本質的な機能のひとつであり、急ぎの観念がいつも焔のイメージに結びつけられるように、抽象的概念は具体的なイメージをもとに表現される。
⑨「faire bonne chère」が「いい顔をする」から「美食をする」という意味に変わっていったように、一つの言い回しが誤った解釈(同音のchère〔古語で顔〕とchair〔肉〕の交叉)から形や意味を変えていくのが成句によく見られる特徴。


 最後の章で、長年の人間の生活のなかで言葉が変わっていくという成句の自然の動きとは反対に、意味や形や音の類似から積極的に言葉遊びをする地口について書いています。また、言語が逆に架空の人物や事件を作り出す動きに注目し、昔から、諺や抽象的な比喩を具体化して寓話詩が作られたり、Guillaume au curb nez〔鼻の曲がったギョーム〕だったものが、掛け言葉によってGuillaume au court nez〔鼻の短いギョーム〕となった結果、剣の一撃で鼻を切り取られる壮大な合戦と驚くべき冒険の数々が生まれたと指摘しています。神話や聖書においても、言い回しが最初にあって、それから物語が生まれたという例が多々あり、現代のマラルメやヴァレリも、言葉の語源にひそむイメージを発展させる手法を活用していると指摘しています。レーモン・ルーセルについては言及がありませんでしたが、彼の創作法は言語の屈折をもととして出来事を創り出す最良の例だと思います。

 例文の引用からも分かるように、翻訳の文体がひらがなを多用しているのが、少し気になりました。一部のフランス文学者や作家に広く見られる文体で、詩の場合は音韻が明瞭になっていいと思いますが、論文の場合はぼんやりとして意味が掴みにくくなってしまいます。あまり度の過ぎたひらがな化は感心しません。