:画家の書いたフランス滞在記二冊

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藤田嗣治『巴里のプロフヰル』(實業之日本社 1929年)
小島善太郎『巴里の微笑』(小島出版記念会 1981年)


 藤田嗣治はネットによると、1回目のフランス滞在が1913年から1931年まで、1929年に一時帰国したとありますから、 『巴里のプロフヰル』はその帰国時に書かれたものと思われます。小島善太郎『巴里の微笑』は、1922年から1925年までのフランスでの絵の勉強時代を、晩年に振り返って書いたものです。二人の滞在は重なっていますが、お互いの名前は出てきませんでした(ひょっとすると見落としているかもしれません)。藤田の記述によると、第一次大戦後日本人が大量にフランスに押し寄せ、画家だけで300人にもなったといいますから、別のグループにいて付き合いがなかったということでしょう。

 たまたま画家が書いた滞仏記ということで一緒に読みましたが、二冊の性格はかなり違っていて、『巴里のプロフヰル』は日本人向けにパリを紹介した読みものが中心です。市場、公園、海水浴、墓地、百貨店、カフェと踊り場、レストラン、寺院、見世物など観光案内的なもの、年中行事、乞食、職種、流行、女性、便所など風俗習慣を紹介するもの。それから紹介記事から少し離れて、自分の旅行の話やパリの日本人など身辺を描いたもの、専門分野であるフランスの画家についての文章、そして巻末の絵の描き方に関するアドヴァイス(東京美術学校での講演録)で構成されています。

 いちばん面白かったのは、乞食についての文章で、最上級に属するのと比較級とに分けていて、比較級というのは、音楽や絵を以って金銭を要求する人たちのことを指し、その生態を見事に観察しています。「無くもがなの笛を鳴らすとか、都々逸の一つも、口づさむと云ったような程度から、ヴイオロン、大太鼓を持ち出すと云った大仕掛のまで、中間色は、無数にあるわけだ」(p43)といった具合。

 またモデリアニと一緒に住んでいた時のエピソードで、「彼(モディリアニ)は頗る不精者で、便所へ行くのがおっくうなために、いつも部屋の中に、新聞をしいて、糞をしていた。そして、その新聞紙をひねって、自分のベッドの下にいれておくのである」(p227)というのも衝撃的ですが、当時のフランスではトイレが各階になかったため、小便などはバケツの中にして、後で洗面所に流したりしたということです。

 絵についてのアドヴァイスをまとめますと、①西洋人の真似をせず、西洋人のできないことをやること、②絵の規則というものはないので、遠近とか均衡にこだわらなくてもいい、③絵が描けなくても一生懸命描けばそれでいい、④自分が知っているだけの技巧を武器として、しかもそれを弄ばず忠実に使うこと、④大家というものはそれぞれ特徴が違うので、誰がいちばんということはないこと、⑤フランスでは劇薬を使って頭を麻痺させて方法を編み出そうとしている画家もいる、⑥傑作は意識して作れるものでなく、いつの間にかできていて自分でも驚くようなものである、⑦私は毎日、16時間から17時間ぐらい描いている、といったものです。


『巴里の微笑』は、きわめて個人的な体験を懐かしく思い出しながら書いたもので、小説的な味わいもありました。全体を通して感じられるのは、求道的な精神で、真摯な態度、感性にあふれています。フランスに来るまで日本で相当苦労したようで、「煉獄の道を歩いて来た」とも書いています。この本には詳しく触れられてなかったので、ネットで調べてみると、父親の事業の失敗で小学校を中退し丁稚奉公、御用聞きをして一家を支えていたが、兄が行方不明、妹が殺され、翌年両親が相次いで亡くなったということです。日本を出発した時誰も見送りに来なかったと本人も書いています。

 印象的だったのは、あるフランス人の家庭に温かく迎えられ、ことあるごとにパーティに招かれるなど親密な交流をし、また別のフランス人の家に下宿して家族の一員のように扱われたことで、幼少時代に味わえなかった家庭の幸福に出会えたことです。またモデルの老婆とその娘とのいきさつを描いたところは、一種の不倫恋愛事件ですが、現実でなければ起こらないような生々しく細かな事実が克明に書かれていて、並の小説より迫力がありました。

 この本でも、絵の心得のようなものが、先輩や友人画家の言葉として、折に触れて出てきました。「机の上に白い布を敷き、その上に二つの透明な硝子瓶を並べ、一方に砂糖を入れ一方には塩を入れて、各々の物質感を描き現せ・・・同じ白い布の上に、白い皿を置き、その中に生の卵を三つ並べて同じ研究をしろ」(p21)、「モチーフはその場にあるのではなくて、自分の心にある」(p85)、「あなたにとって、感度もない場所を描けといったのが悪かったのです。好きな所、魅せられたものを描くのが当然なのです・・・一番大切なことは、自分の描こうとするもの、そこに喜びがなければならないということです」(p111)。