:森有正の本二冊

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森有正『パリだより』(筑摩書房 1974年)
森有正『セーヌの辺で』(毎日新聞社 1977年)


 パリで生活した日本人を語る場合にははずせない人。大学時代何冊か読んだはずですが、はっきり記憶しているのはリルケの訳本『フィレンツェだより』ぐらいで他は覚えておらず、それらの本も売ってしまっています。『パリだより』も買い直したものでおそらく2回目。この二冊はたまたま手元にあったというだけで、何かの意図があって選んだというものではありません。

 前回読んだ高田博厚との共通点は思弁的であるところと、フランスに長く住んだという点。時期は高田が第二次世界大戦以前から戦後にかけて、森は戦後で7年ほど重なっています。もちろん交友もあって『ルオー』という共著もあり、森有正は自分の部屋に高田博厚のアラン像を大事に飾っていたといいます。思弁的と書きましたが、文章のトーンはまったく異なり、高田博厚がいろんな作家の名前を羅列しながら印象を書き散らし、人に理解してもらおうという努力を怠っている感じがするのに対して、森有正は同じテーマを執拗に追いかけ、ところどころ難しい言い回しがあるものの、その思考の道筋を分かりやすく書こうとしています。

 これだけ西欧と真摯に向き合った人はいないのではというのが大きな印象です。その理由を考えてみたいと思いますが、ここから、できるだけ誤謬のないようにしたいので、引用が多くなりますがご容赦を。

 キーワードは「経験」で、自分が本当に経験して身についたことに至上の価値を置くという姿勢が貫かれています。それは例えば、「現実には経験以外に何もないのである」(『パリだより』p161)とか、「自分の経験だけが真に自分であり、それ以外には何もないということ、この厳しい道にやっと逢着したのであり、それはまだ始まったばかりである」(『セーヌの辺で』p19)、あるいは「人間経験の直接な確実性にこそ、われわれの生活の中心をおくべきであって、たとえそれがいかに高遠な理想を説くものであっても他から与えられた観念や言葉によって、自分の生活を左右すべきではない」(同p49)など、直接に経験の重要性を指摘した文章群がまずあります。これはフランス体験がきっかけとなって出てきたものです。

 そのヴァリエーションとして、次のような文章もありました。「自己の体験をあたかもヨーロッパに関する正確な知識のように語る・・・人は正確には自己の経験を語りうるだけであって、経験とは語られてみて知識として役立つものだけである」(『パリだより』p104)とか、「ベートーヴェンの何が奏ける、モーツァルトの何が奏ける、というようなことは水の上の泡のようにはかないことなのだ、自分の手の中に強靭な技術の網の目が組織され、それを自分で支配できるようになることが眼目なのだ」(同p21)。これは、経験が単に知識とか、外に反映されたものではなく、自らの内部に蓄積されるものであることを指摘した言葉だと思います。

 その内実的な経験の反語として「言葉」という器の性格が浮き彫りにされてきます。一例として「正義」という言葉を取りあげ次のように書きます。「正義というものが、いかなる内容を持つものであるかということになると、実は言葉で定義することはできないのです。むしろ私たちがある一人の人に出会ったとき、もしくはある一つの事がらに出会ったとき、それを通して正義というふうに呼ぶ以外、呼びようがないという状況に出会ったときに、初めてそこに正義が成立するわけです」(『セーヌの辺で』p189)。そして、経験と言葉の関係について次のように言います。「実際はそれが何であるかということになると、実はわからないのです。少なくとも言葉でしか、わからないわけです。しかし言葉でわかるのは、ほんとうにわかっているのではありません・・・私たちにとって、根本的なある言葉を定義するものは言葉の中にはなく、それは現実の私たちの経験の中にしかない、ということです」(同p190)。その経験と言葉の関係のもどかしさを友人木下順二との対談で次のように吐露しています。「人の手垢にさんざんまみれたそういう言葉があって、その言葉が突然生命(いのち)を帯びて自分のなかに生きてくるということなんだと思うんだよ。つまり言葉を離れてそういう感動とか、喜びは絶対あり得ない。というのはその感覚は自分に属する限りであって、それに自分の感覚がなければそこに生きてこないわけだ。しかしそれは言葉がないとだめなわけで、しかも言葉は自分とは全然違って、自分は決して発明することもどうすることもできないものです」(同p225)。言葉については、「日本語というのは一つの大きな楽器です」(同p231)という印象的なフレーズもありました。

 その考えから、「文化」とか「民主主義」とか「自由」という言葉について、世間一般で安易な用い方をされ、ややもすると党派的な中身のない言葉に堕してしまっているのを嘆いて次のように書いています。「文化とか文明とかは人間の真摯な営みの結果につける名前であって、その逆ではない」(『パリだより』p105)、また「重い歴史をもつ言葉を安易に結びつけ、それらの言葉の真の定義とは何の関係もないことを、それらの言葉の旗じるしの下に追求していることはないであろうか」(『パリだより』p42)、それは「言葉によって自己を飾り、正当化しようとするさもしさとなる」(同p44)。

 経験の内実性というものについては、偽ものを想定して、本ものとの違いを考究することによって、それを明らかにしようとしています。「まったく本ものとしか思えないほどよく出来た偽ものはどうするか。そのような場合、それは本ものと同じ価値がある、という人がある。問題は、作者を作品との関係が切りはなすことが出来るものかどうか、という点に帰着する・・・作品と作者との間に象徴的関係が成立していれば、それは本ものである。たとえば音楽の演奏などがそのよい例となる。作者というのは、常識的に考えられた特定の人間であるよりは、一つの経験の持続そのものである」(『パリだより』p162)。経験の持続のなかに本ものを見るという姿勢で、次のようにも書いています。「経験の持続こそ、本当に自分のものと言いうるもので、それを離れては、どんなに立派に見える仕事も、結局偽ものだ・・・本ものはどんなに破れても、こわれてもその意味を失わない(同p171)。対談の中では面白い表現になって出てきます。「経験の世界というのは絶えず人間が目をさまして維持していなくちゃいけない世界で、もうここで経験に到達したからあとは昼寝するというもんじゃだめだと思う」(『セーヌの辺で』p238)。

 もう一つ印象に残ったのは「冒険」という概念。これも経験の内実性と関連しているように思います。日本での古典研究というものが大家に一辺倒的な態度であった反省を踏まえて言います。「一辺倒的考え方は、他に傾倒するようでありながら、実は他に依存して自分を支えようとする態度であり、また他によって自分を飾ろうとすることでもある」(『セーヌの辺で』p19)、「自分の周りにまた自分の内外に起こってくることを、そのままに引き受けずにその中で自分の欲望、あるいは自分の判断に適合したものだけを取り、あとを捨てる。そういうのを私は一種の同化作用的な人生と考えております・・・そういう生き方をすることは、しばしば私どもにとって有効であり・・・非常に能率的になり・・・けれども、考えてみると自分そのものは少しも大きくならないし、太りもしない。ある意味でそれは一つの貧困化であろうと思います」(同p197)。ここでは、自分以外のものとの出会いによって自分を変質させる冒険の重要性を指摘していると思います。

 とこれまで書いてきたのは、著者が自らの思考の軌跡を直接に語っている部分ですが、森有正の文章の魅力はそれだけではなく、直接には思想を語っていなくても、文章に独特の雰囲気があり、美しさがあります。それは真摯なトーンの語り口のなかで、パリの街の風景、自然、文化が響き合っているところです。これは、まさしく経験を大切にする著者の姿勢の表れではないでしょうか。とくに美しかったのは「雑木林の中の反省」(『セーヌの辺で』所収)の中の文章。ここには森有正の精髄があるように思います。

 ひとつ違和感を覚えたのは、芸術作品の美は絶対的なもので、人によって見方が違うという恣意的なものではないという意見で、次のような文章。「芸術作品・・・その存在を正しく認識するということは、それがもつあらゆる価値と美とを、その存在に即して、同時に認識するということである。そこには好みとか、趣味とか、傾向とかいう主観的なものは一切あってはならないし、またありうるはずもない」(『セーヌの辺で』p111)、「人によって様々な見方や見解が可能である、なぞという俗見を私は一切信用しない。そういうことがありうるのだったら、作品は作品ではなく、でたら目であろう」(同p156)。これは著者の根本的な主張である経験を大事にする姿勢と矛盾するのではないでしょうか。

 最後に本筋とは関係ありませんが、われわれが忘れてしまっていた敗戦後の日本の生々しい感覚が二つの出来事で蘇ってきたので、それを書いておきます。「朝鮮半島には南北鮮の間に戦争がすでに始まっており、一時は中国軍に支援された北鮮軍が釜山まで迫っていたのであり、それに対して日本は何のなすすべもなく、恐怖の念をもって成り行きを見守るばかりであった」(『パリだより』p107)。「ヨーロッパに渡るときも・・・途中ほとんど上陸できませんでした。日本人はその土地土地の人に襲撃されるので、危なくて下船の許可がでないのです」(『セーヌの辺で』p183)。