:杉山二郎ほか『真珠の文化史』


                                   
杉山二郎/山崎幹夫/坂口昌明『真珠の文化史』(学生社 1990年)

                                   
 今回は杉山二郎が、前回取りあげた本のメンバーとは別の二人と鼎談した本。このメンバーではもう一冊『毒の文化史』というのがあります。「プロローグ」を読んだだけで、三人とも博覧強記なことに魂消てしまいました。江上波夫らとの鼎談が世界の文明を大づかみにして語っていたのに対して、こちらは真珠に特化した細かい知識が展開されていて対照的です。

 山崎幹夫という人は薬学の専門家ですが全般的に学識豊かな方で、杉山二郎と高校時代からの学友のようです。坂口昌明という人は元編集者で学藝書林にいたらしい。この本がかなり文献的な色彩を帯びているのはこの人のせいでしょう。記紀など日本古典に始まり、インド仏教経典、中国の故事から、カヴァフィスの現代詩、ウラジーミル・プロップバロック時代の祝典劇まで守備範囲はかなり広いですが、三木露風「真珠島」の「潤ほひあれよ真珠玉幽(かす)かに煙れわがいのち」という詩に対して、「というていどのものですから、どうしようもありません」(p188)と吐き捨てるような言葉があったのは解せません。


 知らなかったことも多く、真珠というものがどういう風な扱い方をされてきたかよく分りました。なかでは仮説のようなものもありましたが、主な点はだいたい下記のような感じです。曲解があるかも知れませんのでご注意。
①真珠という自然の造作に対して、洋の東西を問わず古来から神秘的なものを感じていて、月の雫を貝が受けて孕んだものと考えられていた。人間にとって母なる海への郷愁を感じさせるものでもあった。珠(たま)は魂(たま)と共存していた。
②真珠はいろんな意味で用いられた。霊力があるということから徐悪・辟邪、希少であるところから富あるいは権威の象徴、自ら変身しながら不滅であるところから不老長寿の薬、明眸皓歯の類感呪術から眼の薬、辟邪から葬送儀礼の具、高価で運びやすいところから貨幣に代わる交換財など。
③仏典の中で龍や蛇が真珠を守るという構図があり、福徳をもたらすものとされ、吉祥天や弁才天が摩尼宝珠という形で手に持つようになった。
奈良時代には玉材として真珠は水晶・瑪瑙・琥珀・金銅に次いで五位、金・銀を凌ぐ使われ方をしていたが、九世紀以降、真珠の使用が極端に減少する。本来なら真珠を使うべき部分に螺鈿が発達したということもあるが、人びとが自分の身を飾らなくなったということが原因。明治になり鹿鳴館などで初めて日本人の宝石に対する目が開いた。
⑤日本では古来から、「海幸・山幸」をはじめ真珠を主題の核とした一連の神話・説話群がある。海中から玉を取る同様のモチーフは、サンスクリット経典や『アラビアンナイト』などにもたくさんあって、民俗学上の重要なテーマ。裸祭りとかけんか祭りのルーツのにも玉の争奪がある。
⑥真珠の価値観が高くなればなるほどイミテーションが出てくる。パリのロザリオ製作者が鯉の鱗で人造真珠をつくったり、如意宝珠が僧侶たちの手でつくられた。近代にはガラスのテクノロジーが入りこんで模造真珠を造ると本物と区別がつかなくなってきた。最終的には来歴を物語化したブランドが価値観を制覇してゆくだろう。


 真珠から離れますが重要な指摘は、皇室の祖霊神と伊勢という土地柄が深くかかわっていて、天武帝以前は伊勢神宮大和朝廷のなかではあまり重要視されていなかったこと。天武帝の皇子時代の名の大海人は新羅系海人の凡海(おおしあま)氏が乳母として育てたことを示しており、天武、持統には、他にも海、山の狩漁系部族が背景にいて、彼らが渡来系技術職能団を組織化していたことが推測できるということです。

 他にもいろいろ面白い話がありましたが、書ききれないので省略。後半とくに「文学世界の真珠」以降、真珠と関連する文学、美術、音楽を語りだしたあたりから、少々知識をひけらかしていると感じるようなところもあり、鼻につきだしました。