:渡辺照宏『不動明王』


渡辺照宏不動明王』(朝日選書 1988年)


 このところ家内のお供で奈良近辺の寺社へ行くことが多いですが、仏像を見ても、如来や菩薩、四天王や明王十二神将などいろいろ種類があってよく分からず、またしばらくするとどの寺に何があったかすっかり忘れてしまっています。不退寺の五大明王像を見て、迫力に圧倒されたのは覚えていました。

 それで明王という存在がよく分らなかったのと、易しそうな語り口だったので読んでみました。仏教の初心者向きに懇切丁寧に説明をしてくれているので、奈良時代から仏教が日本に定着していく有様がよく分り、目から鱗のような状態になりました。日本の僧たちが争うようにして中国へ仏教の勉強に行き、密教が導入され、宮廷や貴族たちと深く結びつく一方で、山伏の修験道や一般民衆には不動尊信仰として広まっていったこと。また仏教には大日如来、四天王、鬼子母神弁才天吉祥天女などバラモン教の神々が取り入れられたり、護摩の修法などインドの古来の宗教から多くのものが流れ込んでいることを教えられました。恥ずかしながら、他にも新しく知ったことをいくつかご紹介しておきます。
①仏教は他の宗教や宗派に対して寛容であるが、仏教のなかでは浄土真宗日蓮宗は排他的傾向が強いこと。
②浄土がなぜ西にあるかというのは、死者の国であり太陽の沈む方角である以外に、阿弥陀信仰が盛んになった中国からみれば、西の方角に仏陀の国があったから。
密教は、それまでの仏教経典が大日如来自体は語らなかったのに対して、『大日経』において初めてその秘密を顕示したので密教と言い、それ以前の教えを顕教と呼ぶ。秘密にするので密教かと思っていたが逆だったのだ。
空海は、当時唐で盛んだった密教の奥義を直系の指導者から受け継いだが、中国では密教は唐末の動乱期に断絶したこと。
最澄空海の弟子となって空海から密教の指導を受けたこと。さらに自分の弟子を送って空海のもとで学ばせたこと。これが天台密教となる。
不動明王は宇宙ぜんたいの象徴である大日如来と一身同体であり、永久不変の大自然である山の守護神であった。
明王の「明」は医術、呪術、呪文を意味する。「明王」には「呪文をつかさどる王者」と「すぐれた呪文(呪文の中の王)」の二つの意味がある。
護摩サンスクリット語のホーマの音写で「供物を火中に投じて神に捧げること」という意味であり、火が中心となっていたヴェーダの祭式からの伝承であること。

 他にも密教の十九観の修法などが詳しく書かれており、密教では理論よりも実践が重要であるということが分かりました。最近ブームのマインドフルネスなどはこうした観法を焼き直ししたものだと思います。

 本尊の本来の意味は、信者みずからこれと思い定めて信仰し礼拝する一尊のことと聞き、また密教は、低劣卑俗に近い信仰形態を必ずしも否定せず、すべて菩提(仏陀のさとり)への道程として許されるというのを知ったので、麻雀の手つきをしているような仏像をどこかのお寺で探し出して麻雀の神さまとして崇めようという気になりました。