:ローデンバック『樹』とその訳者村松定史の本

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ジョルジュ・ローデンバック村松定史訳『樹』(森開社 2009年)
村松定史『旅と文学』(沖積舎 2011年)
村松定史『たそかれ』(芸林書房 2001年)


 読んだ順です。まずレオン・ブロワのごてごてした文章を読んだ後の口直しとして、優しく静かな本を読もうと、ローデンバック『樹』を選びました。村松定史氏は以前ローデンバックの詩集『静寂』の翻訳と、書誌研究『日本におけるローデンバック』を読んで感銘を受けたことがあったので(2011年1月8日、22日記事参照)。

 残念ながら、『静寂』のあの静謐な境地、『日本におけるローデンバック』の考証の緻密さを味わうことはかないませんでした。


『樹』はいかにもヨーロッパの小説らしい落ち着いた雰囲気で、愛し合っている村の男女が余所者がもたらした不幸な事件をきっかけに破局するという恋愛の原型的な姿を描いています。村が舞台となり、村はずれの柏の樹が中心的役割をし、聖人の祭の度ごとに事件が繰返すという、一瞬民話かとも思われるほど素朴な展開のなかに、世紀末的な心理描写や幻影におびえる不安もちらちらと顔をのぞかせています。

 巻末の村松定史氏の解説は、微に入り細を穿っていて、感心しました。この物語が平穏な郷土に押し寄せる近代化(余所者が象徴する)への憎悪という構図で読み取ることができること、また『死都ブリュージュ』では町が主人公であったように柏の樹がこの物語の主人公として考えられること、また、ここで描かれている村の男女の愛の描写が『旧約聖書』の〈ソロモンの雅歌〉をなぞらえたものであることなど。ソロモンの雅歌を読んだことがなかったので、ぜひ読んでみたい。

 この本は装幀が素晴らしく、青インクで刷られた題字や挿絵、洒落た製本も静謐さを漂わせて、物語を盛り立てていました。一つサンプルをあげておきます。

 『旅と文学』は、若い頃からの海外旅行の印象記を集めたもので、フランスを中心にヨーロッパの10ヵ国、それにアメリカ、オーストラリア、中国にいたるまで網羅しています。文章は気取らず平明で気楽に読めました。それにしてもあちこちよく行っていて、しかも外国語が操れるのでいろんな人との交流があって、たいへん羨ましい。

 とくに印象深かった章は「文人の微睡―パリ」と「白鹿の幻影―ソールズベリ」。「文人の微睡」はペール・ラシューズ墓地探訪記で、前回パリ訪問時行きそびれてしまったので参考になりました。ネルヴァル、ローデンバックのお墓はぜひ一度訪れたい。「白鹿の幻影」は偶然泊まったホテルの「白鹿館」という名をきっかけにして、鹿についてのいろんな思い出や物語にまつわる話が連綿と紡ぎ出され、詩的な雰囲気のあふれる上質のエッセイになっています。

 文学的な話題以外にもパリ地下鉄の話やスリの話など日常的な話題も豊富。またフランス人の日本人を見る眼の変化が語られていますが、これは26歳で初めて留学してから、60歳近くになるまで、同じ地に何度も繰り返し行っているからできることでしょう。

 北原白秋にローデンバックを歌った短歌「かはたれのロウデンバッハ芥子の花ほのかに過ぎし夏はなつかし」があること(p101)や、「ローデンバックの思い出に」という、静謐と夢想に満ちた詩人のイメージを見事に表現した彫刻が、ガンのペギン会女子修道会サント・エリザベスの庭にあり、トゥルネーの美術館にその小さなレプリカがあること(p104)などを知りました。


 『たそかれ』は詩集で、タイトルから、ヨーロッパの淋しい夕暮が描かれるローデンバックの『静寂』のような世界を期待していましたが、まるで違って、日本の戦後間もなくぐらいの郷愁に満ちた夕暮が語られていました。ノスタルジーをわが身に照らせば、こうなるという感じ。

 すべて子どもの目線から見た世界が歌われていて、夕餉の時間、台所に灯った格子窓に、人影が揺れ包丁の音が聞こえてくる、そんな情景が頻繁に出てきます。背後に母親の温かい存在が感じられます。「ひととの別れは いつも たそかれだつたやうに思ふ/ それとも 別れるといふことが 暮れ方の 傷に沁みるやうな 疼きに似てゐるから さう思ふだけなのだらうか」(「たそかれ」)とか、ヨーロッパで驢馬を見て幼い頃の驢馬の麺麭屋を思い出す一節、「それは 田舎町で 温かな麺麭を 虚弱な僕に 毎日 届けてくれた あの同じ驢馬だ 僕の中の僕が そのままであるやうに 驢馬もまた 何処にゐても あの一頭の驢馬なのだつた」(「驢馬の麺麭屋」)というフレーズが印象的。

 造本に関して、字組みの問題を感じました。各文字が原稿用紙のように均等に配置されて、いわゆるカーニング処理をしていないのと、その字間が広すぎるために行間と同じくらいな感じで横に読んでしまいそうで何となく読みにくい。謄写版の思い出がこんな形にさせたのでしょうが、これはどうかと思いました。