:村松嘉津『巴里文學散歩』『續巴里文學散歩』

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村松嘉津『巴里文學散歩』(白水社 1959年)
村松嘉津『續巴里文學散歩』(白水社 1959年)

                                   
 引き続き村松嘉津を読んでいます。今回は彼女の代表作とも言える二冊。前にも書きましたが、野田宇太郎氏と親交があったようで、なるほどと頷けます(ちなみに野田宇太郎にも『ヨーロッパ文学の旅』という本がある)。大部なうえに、旧字旧仮名遣い、また内容的にも地名が頻出するので、地図と首っ引きでないと、位置関係がよく理解できず、二冊読むのにけっこう時間がかかってしまいました。

 パリの右岸左岸の各場所を順に取り上げ、文学的エピソードを、そこに住んでいた文人学者の話、そこで起った文学的歴史的事件、さらには物語の中の出来事まで含んで、紹介しています。昔の文人は転居が多かったこともあり(ボードレールは17、8回だそう)、一人の文人がいろんな場所に顔を出すのも混乱に拍車をかける。

 初めに『巴里文學散歩』を出して、その時に量の関係でこぼれた話(とくに墓地についての記述が惜しかったようです)や、出版後新たに分かった話をまとめたのが『続』ということです。なので『続』でも同じ場所を重複してたどるような形になっています。

 大まかに、17世紀以降のフランス文学上の特徴で理解できたことを復習してみます。①演劇が文学者の評判を左右したりかなり重要な役割をしていること、②サロンやそれに準ずるカフェなど、作家や芸術家が集まる場がたくさんあり、そこで文学が涵養されたこと、③フランス革命、ナポレオン等、政治の変遷で文人たちが大きく揺れ動いていること、④20世紀になって、詩の凋落が激しいこと。まだ他にあると思いますが、いま頭に浮かんでいるのはこんな感じです。

 サロンについては、たくさんのサロン名が出てきました。アルスナル文庫のド・ジャンスリ夫人とノディエのサロン、文学サロン「イドロパット」、マラルメの火曜日のサロン、マチルド姫、ジェラール男爵のサロン、文学カフェ「ヴァシェット」(モーリス・マーグルが出入りしていた)、レカミエ夫人のサロン、マニー会、カフェ・ド・マドリッド、パイヴァ夫人、ジラルダン夫人、ド・ロアヌ夫人、ダブランテス公夫人、サバチエ夫人、ダグー夫人のサロン、デュピュイ兄弟の書斎、ルコント・ド・リルの土曜日、バンヴィルの木曜日のサロン、ラ・ファイエット夫人のサロン、カッフェ・タブーレー、ジュール・ジャナンのアパルトマンなど。

 面白いのは、複数のサロンを同じ人が出入りしている様子がうかがえることです。例えば、ゴーチェなどは、マチルド姫、パイヴァ夫人、ジラルダン夫人、サバチエ夫人のサロン、バルザックはノディエ、ジェラール男爵、ジラルダン夫人、ダブランテス公夫人のサロンの常連に名前がありました。19世紀末あたりからカフェに重点が移ったようで、戦後のサン・ジェルマン・デ・プレ界隈カフェでの実存主義者の大流行についても書かれていました。現在のパリにはそうしたカフェはあるんでしょうか。また日本も戦前は森鴎外夏目漱石文人のサークルが活発で、戦後もひと頃文壇バーというのがありましたが、最近の作家たちはどこか集まる場所があるのでしょうか。                                   
 細かいエピソードで、面白かったのをご紹介します。セーヌ河岸の古本屋は、もともと橋上に店を張っていた連中が追われて移ったもの(p32)、山本芳翠らしき人物が『ユーゴー葬儀の図』を描いていること(p73)、ヴォルテールがある貴族の下僕に打擲された事件があったが、18世紀前半までは貴族が詩文人に打擲を加えることは珍しくなかったこと(p76)、実証哲学のオーギュスト・コントが晩年は奇妙な神秘主義に落ち込んだこと(p86)、ヴェルレーヌの家とマラルメの家が近かったこと(p136)、ダンテがパリに現れ神学講義を聴講に来たらしきこと(p205)、バルザックは死の直前意識朦朧の中で自作中の名医の名を呼び「あの男なら俺を救ってくれるだろう」と言ったという逸話(p205)、ノディエが賭けが好きで借財を抱えていたこと(p207)、カチュール・マンデスが鉄道線路で轢死という謎の死に方をしたこと(p281)など。

 この本を読んで行きたくなった場所は、イギリス庭園の名残が見られるというモンソー公園、初めての人なら誰もびっくりするという芝居がかったバロック様式のサン・ロック寺院、ボードレールがもっとも長く滞在したというオテル・ド・ディエップ。村松嘉津は市などの見学団に入っていろんな建物の中まで見学しているようですが、そんなのがあるなら昔家の前だけ眺めたピモダン屋敷を今度は何とかして中を見てみたい、豪華絢爛なアラベスク文様が見られるというポンパドゥール屋敷とかボーフルモン屋敷の中も。

 この本を読んで、読みたくなった作品は、ドーデー『月曜物語』の中にある「マレーの聖夜宴」、ローラン・ドルジュレース『霧屋敷』、エジェシップ・モロー『忘れな草』及び『短篇集』、フロマンタン『サハラの一夏』、バルザック『ファシノ・カネ』、ゴーチェが旧友の死後小伝(ネクロロジー)を書いたという『現代人物像』。アリー・シェフェールという浪漫派画家の絵も見てみたいと思いました。