:旅の本二冊

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玉村豊男『旅する人』(中公文庫 1995年)
池内紀『異国を楽しむ』(中公新書 2007年)


 今年は町内会の役をおおせつかっているので、長期旅行は何となく行きにくく、せめて読書で気分を味わいたいと、旅の本を読んでみました。旅行そのものを考えた本からはじめます。

 『異国を楽しむ』は、池内紀氏がご自分の旅での経験を素直に開陳し、時には深くその意味を考えたりしながら、旅の心得を綴った本。片や『旅する人』は玉村豊男氏が若い頃にした冒険的な旅の記録が中心。両者とも旅と日常生活を比較して考える視点が共通してあるように思います。旅の形は、どちらか言うと、池内氏のほうが私の旅に近くいろいろとヒントがありました。


 池内氏はよほど旅行が好きと見えて、旅に関するエッセイは数多く、異国の都市を舞台にした小説もあり、またテレビの旅番組でゲスト出演しているのも見たことがあります。

 「旅は非日常を味わうもの」というのは宣伝文句などにも使われる言葉です。たしかに日本を離れた時点で非日常ではあるに違いないのですが、池内氏は、本当に異国を感じるのは、空港からホテルに向う途中の生活圏に入ったときで、「自分がまわりの世界と、いささかもかかわりがないと気づいたときだ」(p33)と言います。本当の非日常は異国の日常に入ったときというのが面白いところです。私個人の体験からしても、各国の観光客が大勢集まる名所やホテルよりも、町の日常のなかで拙い言葉でやり取りして初めて外国に来たという感じがするものです。

 池内氏ほどの語学の達人風に見える人でも、やはり外国語は難しいらしく、「言葉の壁の前で往きくれてこそ異国は楽しい」(p149)と書いているのはおおいに共感しました。

 逆に、空港やホテルなどと同様、異国性の薄い場所としては、動物園をあげています。「動物園は異国にひらけた故国であって・・・カバは日本でもフランスでもカバであって、カバには国境がないらしい」(p108)。これは「音楽に国境はない」よりも名言のような気がします。

 もうひとつ面白い指摘は、異国から疎外されたように寂しく感じる旅のなかで、くつろげる場所として公園のベンチをあげていることです。「そこにすわると、それだけで不思議な権限が与えられる。・・・そこにいるにもかかわらず、いないにひとしい。・・・『ベンチにすわっている人』であって、ただそれだけ。いっさい気にとめられない」(p80)。旅行では歩き疲れることもあって、広場のベンチなどによく腰掛けることがあります。そこでいろいろ観察するのは楽しいものです。

 最後に、旅の終わりに自分の部屋を片づけ、あとは出て行くばかりとなった時、「人生がまさしくこれと同じ原理で成り立っている。自分の学校、自分の町、自分の職場、自分の家。何であれ、いつまでもそこにいられない。いずれはおサラバをする。・・・旅の終わりがまざまざとそれを実感させてくれる」(p181)という言葉は身に沁みます。


 玉村豊男はこれまで『パリ旅の雑学ノート』正・続、『ロンドン旅の雑学ノート』『パリのカフェをつくった人々』などいろいろ読みましたが、この本は、波瀾に富んだ話や面白いエピソードなどが盛り沢山で、いちばん面白く読めました。
                                   
 時に無一文になったり、一宿一飯の恩義を受けたり野宿したりしながらの北アフリカの冒険旅行は、TV東京の「YOUは何しに日本へ」に出てくる無計画にヒッチハイクを繰り返す若者と似て、アナーキーな情熱を感じます。

 アフリカの小さな村で、ほとんどその村の周辺から外へ出たことのない若者たちが大勢集まり、著者の語る世界の見聞に熱心に聞き入る姿は感動的で、著者は「そのひとときが彼らにとっての〝旅″であったのかもしれない」と書いています(p76)。子どもが父親に「日本てどこにあるの、イタリアの隣り?」と聞いたのに「バカ。トルコの隣りだ」と答えたのを聞いて、著者が子どもに向って大きくうなずくところでは(p81)、なぜか心が豊かになったような気になりました。

 こういう旅の話には面白いエピソードがたくさんあるもので、例えば、旅で出会った人の話で、アルジェで知り合いになった人のところへ泊めてもらい、荷物を置いたままカスバへ案内されて、途中ではぐれてしまい、迷路の中を脱け出して何とか元の家に辿りついたと思ったら、知らない人たちが住んでいて荷物がなくなっていたという話(p136)。著者は大仕掛けの窃盗だと言っていますが、別の家に迷い込んだ可能性もあるかもしれません。


 旅と日常をめぐる考察では、いろんな指摘がありました。
①日本で1日に何カ所もお寺を訪ね歩く人はいないのに、外国へ来た途端に教会ばかり巡るのは不自然(p100)。→ということは旅はやはり日常ではないということですね。
②海外の団体旅行は、安全な位置から危険な場所を覗き見るサファリツアーのように、外界と隔絶された旅になっていること(p186)。→本当の旅は自分の身を異なる環境に投げだして自らも変化を被ることを厭わないということなんでしょう。
③インドでは自分の寝具を携えて旅行する。時としてそのまま野宿をすることもある。それでも宿を取るというのは安全のためという要素がある(p201)。
④日本で賃貸マンションの費用を払いながら、旅先のホテル代を払うことに、二重の支払いをしているという意識を持つ人は少ない(p203)。
⑤引っ越しを頻繁に行えば旅に近づく(p215)。→これもかなりな名言。
⑥中世の王族は家具調度一式一族郎党を引き連れて旅した。オリエント・エクスプレスの乗客たちも膨大な荷物と下男下女を連れて旅した。現代の高級ホテルは、そうした必要がないように家具調度やサービスを備えている。ホテルの料金とは、共有財産に対する分担金のようなものである(p226)。
⑦日常のなかにいながら、その暮らしの刻一刻につねに新しい発見があるような日常、つまり日常を旅することが理想(p228)。→それが現在の玉村氏を農業に狩りたてているものなんでしょう。