:井辻朱美『風街物語』


井辻朱美『風街物語』(哲学書房 1988年)


 これもずっと以前に買って温めていた本。井辻朱美はファンタジーの人という先入観があって、少し敬遠気味にしておりました。この本は5つの作品が収められていますが、風合いがそれぞれ異なっていて、あきらかに海外のファンタジーの影響を受けたと思われる作品(「エルガーノの歌」「ファラオの娘」「帰郷」)もある一方、冒頭の「風街物語」は入沢康夫などの散文詩に通じるテイストがありましたし、「進化の物語」のようなSF的作品もありました。                       

 「風街物語」はとても私の趣味に合っています。なかでも、「噴水」「刺青」「芸人」「塔」「妖神たちの小路」「標本」「目薬」の諸篇がすばらしい。ある謎めいた街を舞台に設定して、変わった建物・住民・習俗を紹介するという形で、想像力をはばたかせて、機知に富んだ、夢の中のような世界を描くという作品群です。これに似た作品を他にも書いていないか気になるところ。

 ここで、少し脱線して、不勉強ながらこうした味わいを持つ散文詩を考えると、入沢康夫「『マルビギー氏の館』のための素描」、高柳誠「都市の肖像」、多田智満子「遠い国の女から」、粒来哲蔵「望楼」、粕谷栄市「鏡と街」、永井元章「逃亡用迷路」、海外では、マルセル・ベアリュ「死者の日記」「影の回想」などを思い浮かべることができますが、そのもとにはカフカがいて、さらにさかのぼれば、『皇帝の閑暇』など古代・中世の旅行記や驚異譚、あるいは『千夜一夜物語』の奇想に行きつくような気がします。誰かこの系譜について書いている人はいないでしょうか。


 ついでに本棚にあった二つの歌集も読んでみました。
井辻朱美『水族』(沖積舎 1995年)
井辻朱美コリオリの風』(河出書房新社 1993年)

 井辻朱美は大学で生物学を勉強していたらしく、「進化の物語」に見られるような生物への興味が歌の元になっているようです。水棲動物や恐竜、古代の地球への憧れが全篇に感じられました。

 『水族』には、評論も収められていて、「水族あるいはOtherness」では、自分の感性の寄って来たるところを正直に告白し好感が持てましたし、「FT万歳」では、ファンタジーが古代歴史物語と異なるのは、小説の舞台となる現在が神話的過去を背負っているという構造にあることを喝破しています。

 両歌集から、印象に残った歌を引用しておきます。
藍ふかき都市の夕空クレーンはいつか死にたる恐竜となる
肉厚き胸鰭みずをかきわけていまも水界をいでざるものら
海底のくらき砂丘にありありと首長き影落ちて過ぎゆく
夢魔というランプの下に曇りつつ永遠にみどりのにぶき海底
竜たちのガラス玉の目かがやきて崇高というは恐怖のひとつ
以上『水族』より

杳(とお)い世のイクチオステガからわれにきらめきて来るDNAの破片
ひときれの雲の白さに磨かれて天のグラスのふちの鳴るまで
その地下にペスト死者の骨たくわえて聖堂蒼き天をさしたり
屋根屋根に彫像たたずむ街なればあまたの影は生れてめぐる
みどり濃き森に棲むゆえ身をめぐる体液は指の先までおそろしき赤
以上『コリオリの風』より

 遅まきながら、井辻朱美のファンタジー論を読んでみようと、アマゾンの古書で発注しました。これは次回の古本購入報告に登場するはずです。