:モーリス・ブランショ『アミナダブ』


モーリス・ブランショ清水徹訳『アミナダブ』(集英社 1968年)
                                   
 このところ幻想小説を読んでいます。ロブ=グリエ『迷路のなかで』(9月8日)に続いてのフランスのヌーボー・ロマン。文章の断片はとても魅力的ですが、読み終わってもよく分からないというのが本当のところ。迷宮小説の最たるものと言えましょう。細かい挿話は端折って大きな枠組みだけを下記に記しますと、
①主人公トマが歩いていると、建物の中に若い男女の人影があり、女性が手招きをしたように見えた。中に入ると大きな扉がある。
②守衛がいて、絵が並ぶ小部屋から大部屋に通された。そこで守衛は画家となってトマをモデルに絵を描きはじめる。
③青年が入ってきて、お互いの手首を手錠で結わえ、別の部屋へ入る。→このあたりグロテスク度が激しく、ヤーン『鉛の夜』の最後のシーンを思い出させる。
④3人のボーイ長や女中が続々と登場、青年と女中はお互いドム、バルブと呼び合う。
⑤その部屋を出て、別の守衛と出会う。上に行く階段と下に行く階段があり、下の方は暗くてよく見えない。上にのぼると、広い部屋の中に群衆が、列をなして並んでいる。
⑥賭博室で、書見台の男が賭博室の歴史を語る。別の部屋で今度は青年ジェロームが間借り人と職員、召使の関係について延々と話す。間借り人の間で分裂が起り、悲惨な事件があったことを知る。
⑦二人の賭博者を連れて上の階の病室に入ると、二人の賭博者が急にトマに対し卑屈な態度になる。トマは二人を打ちすえる。
⑧ここでようやく守衛がトマとドムをつないでいた手錠を解きドムは去る。トマはバルブに再び会い二人の問答が始まる。職員や上の階にいる人たちについて。
⑨バルブは仕事を終えると、扉を開けてトマに外を見せすぐ閉める。トマは卒倒し病気にかかり記憶を失う。気がつくとベッドで寝ている。別の部屋にいた若い女リュシーから掃除を命じられる。
⑩トマに青年の来客あり(どうやらドムのようだ)。青年はトマを抱き上げ寝台に寝かせ「あなたは忠告に背いた」と切り出し、アミナダブについて、また地下への讃美を語る。
⑪トマとリュシーの問答。トマはこの家に入ったいきさつを語り、リュシーは謎に答えようとする。ドムはリュシーとともにトマに向って「この家から出よう」と言う。トマはようやく謎が解けると期待して思い切って「きみはだれか?」と問う。
といった感じです(肝心なところを落としているかもしれません)。


 全体の印象は、カフカの影響が色濃いと感じられます。と偉そうに書いても、短篇を読んだだけで、「審判」は映画で見ただけ、「城」も読んでません。タイトルの「アミナダブ」というのは、間借り人を縛る法規があり、大門を過ぎると法規の力が及ばなくなるが、その大門をアミナダブと言う男が守っているというところから来ています。この挿話もなんとなくカフカの「掟」を思い出します。

 抽象的な独白や問答が多く、出来事もまるで夢のなかのように脈絡なく起ります。すべての出来事が何かの暗喩になっているような気がしますが、正確にどれとは言えません。読んでいる途中で、どうやらこの建物は通行人をおびき寄せて囚える家らしいということが判ってきて、強い権力のもとでの人間の自由のあり方がテーマかなとおぼろに分かる程度。間借り人、職員、召使、上の階、病室、仕事、公務などがキータームで、それぞれ暗示的な意味を隠し持っているようです。主人公トマが自分の思ったことと別の行動を取ってしまう(p279、p284、p301)のも、自由の問題と関連があるように思います。

 この作品も、初版が1942年ということを考えると、『迷路のなかで』と同様、やはり戦争の影響が色濃く、抑圧や囚われなど、戦争下での個人の悲惨な境遇が反映していると見るべきでしょう。


 特徴が少しでも明確になるかと思い、同じく彷徨譚である『迷路のなかで』と比較してみました。
①時間の流れと空間の構造:ロブ=グリエでは時間も空間も錯綜していたが、この作品では時間は単一の流れ上にある。空間も迷路のようにはなっているが、3次元上に描ける。
②主人公の内面の描き方:ロブ=グリエでは外側から簡潔にしか描いてなかったように思うが、この作では内面の直接の描写がある。
③会話:ロブ=グリエでも会話は少しあったが、主に風景や室内、絵画の描写で占められていた。この作品では、逆に登場人物の語りや、主人公との問答が延々と続く。印象的なセリフも多く、演劇的な要素が強い。
④舞台:ロブ=グリエでは、街路や居酒屋、室内、兵舎など移り変わったが、この作品ではひとつの建物のなかで終始する。
⑤物語を牽引する謎:ロブ=グリエでは誰かに面会して箱を渡すということがキーになっていて、たえずその謎が反復されるが、この作品では、女性の人影が気になって建物に入った後、意味不明の出来事が次々と生起したことから、何を探しているのかも分からなくなり、全体が謎に包まれてしまう。両作品とも謎は解かれないまま終わるが、「アミナダブ」の場合はどこかしら希望の光が見える気がする。


 この本は、学生の頃新刊で買ったもので、当時併載のジュリアン・グラック「シルトの岸辺」だけ読んで悦に入ってました。おそらく「アミダナブ」は歯が立たなかったんでしょう。50年ほども寝かしていて、ようやく読んでみたら、なんと落丁が見つかりました(p417〜432が欠け)。すぐ見つけていたら交換してもらえたのに。というので、図書館で筑摩世界文学大系に入っているのを借りてきて、落丁の部分だけ読みました。


 細部の文章が魅力的と書いたので、その印象的なセリフをピックアップしてみました。

おれたちのどっちが囚人なんだい?/p281

「どこへ行くつもりなんです?」守衛はいらいらしながら叫んだ。・・・「いったいおれたちはどこへゆくんだろうね?」/p307

「それならわたしはこれからなにをするんですか?」トマはかれにたずねた。男は手を動かしたが、それはまるでこういっているようだった。「それならあなたはいまなにをしているのか?それ以上なにをしたいのか?なぜそんなにいろいろと気をつかっているのか?」/p312

召使など存在していない、これまでただの一度も存在したことはなかった/p347

上の階などないのだ、ただ建物の前面が背後の空虚をかくしているだけで、この家の建築は、実は未完成のままであり、実状を知らぬまま何年も何年もたったのち、間借り人たちがついに真実を理解するときに至ってはじめて完成されることになっている/p352

→これもカフカ的ですね。

「守衛はなにをしに行ったんだ?」「貴様の命令を実行しに出かけたのさ」「じゃあ、ぼくの命令は何だった?」「おれたちを罰するための部屋を用意すること」/p394

記憶がもう一度忘却からよみがえるところをぜひ見たいですね。/p409

その場所へぼくが行きつくためには、あなたの考えだけが唯一の道だったのです。/p410

どうやらぼくは、妄想のなかで迷い子になっているらしいけど/p418?

あなたは呼ばれたと思っているけれど、だれもいなかったのです。呼び声はあなたから出ていたのです/p428?

 
 また長くなってしまいました。次回は短めに。