:Jean Lorrain『La Maison Philibert』(ジャン・ロラン『フィリベール館』)


Jean Lorrain『La Maison Philibert』(Jean-Claude Lattès 1979)


 久しぶりに、ジャン・ロランの長編を読みました。全部で314ページ。Jean Chalon(ジャン・シャロン)という、ロランの友人だったナタリー・バーネイの伝記を書いている人が、序文を寄稿しています。

 ロランには「象牙と陶酔の王女たち(Princesses d’ivoire et d’ivresse)」などの詩的な頽廃的情景を描く作品群と、「ブーグロン氏(M. de Bougrelon)」などの冗舌な人物が喋くり散らすグロテスクな作品群がありますが、これは後者に属するもの。娼館が舞台になっていて、先天異常だったり、不具だったり、醜かったりと、普通の小説の世界としては尋常ではない人物が続々と登場します。娼館の女性が、節くれだっていたり毛むくじゃらだったり、骸骨のように痩せていたり、結核だったりするというのは、お化け屋敷かと言いたいぐらい。


 大きく二つの話からなっており、ひとつはPhilibert館という田舎の娼館を舞台としたもので、館が次第に凋落する様子が描かれます。もうひとつは「怖い坊や」というあだ名のチンピラ親分を筆頭にパリの娼婦やヒモなどが群れる底辺の社会を舞台としたもので、喧嘩や、恐喝、殺人が日常茶飯事です。この二つの話の接点は、Philibertがパリに娼婦の補充をしにきたのを親分が妨害して金をだまし取り、最後は殺してしまうというところにあります。その両方に登場して話を進行させる役は、新聞記者メナール(Ménard)と館経営者のボーダルモン(Beaudarmon)の二人、いずれもPhilibertの友人です。

 この小説の魅力と言えば、ひとつは娼館の裏側のごたごたした世界や人間模様が描かれていること、もうひとつは、チンピラ親分が催したダンス・パーティで二人の新参女性が行方不明となり、うち一人がセーヌ川の船倉から死体となって発見されるという殺人事件があり、その真相の追及という犯罪小説的興味があること。

 底辺社会ばかりの話かと思えばそうでもなく、チンピラ親分の催すダンス・パーティは、さる伯爵の別荘で行われ、貴族や皇族もやってきて、華やかな雰囲気を盛り上げます。また21章に出てくるパリの娼館にはルネ・ヴィヴァンの部屋を髣髴とさせるような「日本風サロン」が出てきたり、22章に描かれるベルリンの豪華な娼館では、トリアノン宮やアルハンブラ宮殿を模した部屋が出てきたりします。それらのエキゾチックな室内の描写に、世紀末の雰囲気が色濃く表れていました。


 フランス語を読んでいて、いつもより難渋したことは、
①綴りの短縮形が頻繁に出てきて読みづらかったこと。p’titやvot’、v’là、d’voirは分かるとしても、all’、Y faut、、などは何を省略したものか分からず手こずりました。
②soce、amincheなど俗語辞典にしか載っていない単語や、他にもどの辞書に載っていない単語が多く、よく分からないまま読み進んだというのが正直なところ。
③ところどころノルマンディ訛り(connaissonsをconnaichonsと言う)やオランダ人の激しい訛り(p⇔b、t⇔d、f⇔v、g⇔cが入れ替わる)などというのも出てきました。
④人物がたくさん出てきたので覚えきれないこともありました。Mélie、Maria、Marie、Marineと似たような名前が多く、しかもAmélieがMélieのことだったり、Tototeが途中でTototteとなったり訳が分かりませんでした。最後の方で、急にBitterroiseという聞いたことのない女性が会話に加わってきて困惑したりもしました。途中で気がつかなかっただけか。


 ところどころに歌が引用されていましたが、25章のシャンソンの脚韻はaaabcccbとなっていました。可愛らしい感じがしたので調べてみると、鈴木信太郎の『詩法』で、広く中世期に使用されていたが、17,8世紀に完全に消滅し、歌謡に残っていたものをユゴーやラマルチーヌが復活させ、象徴派時代にはモーリス・ロリナが多用したと書かれていました(『フランス詩法』下巻p139〜p146)。


 いくつかの面白いことが書かれていました。
①冒頭、「トゥール・ダルジャン(Tour d’Argent)」で豪華な食事をするシーンが出てきました。この頃から有名だったようです。
エッフェル塔も出てきました。この本がはじめて出版されたのが1904年ですから、エッフェル塔ができて間もなくの話。


 フランスの娼館の話だったので、鹿島茂『パリ、娼婦の館』(角川学芸出版 2010年)というのを並行して読んでみました。娼館はかならず夫婦で経営に当らなければならないなど娼館に関する法律が裏づけられたことや、娼婦の昼間の生活ぶりなど、『フィリベール館』で描かれているのと一致し、ずいぶん参考になりました。

 この『パリ、娼婦の館』は、コルバン『娼婦』を理論的支柱として下敷きにし、ゾラ(「居酒屋」「ナナ」)やバルザックバタイユ(「マダム・エドワルダ」)、モーパッサン(「メゾン・テリエ」)、ケッセル(「昼顔」)から多くを引用し、また日本人の戦前のパリ探訪記を参考にしながら、19世紀以降のパリの娼館の実態、変遷を説明していて興味深いものでした。

 鹿島茂は「あとがき」で「19世紀の恋愛小説と呼ばれるものの多くは、人妻との不倫小説でなければ、娼婦小説であったのだ。(p294)」と書いていますが、『フィリベール館』の序文でジャン・シャロンも、「この世は大いなる売春宿でしかないのだ。隠そうとしても無駄で、文学はマノン・レスコーからナナまで、高級娼婦的なあり方が続いていることを示している(p10)」と共通しているところが面白い。

 ちなみに、この序文でシャロンは、娼館の復活を望む声が56%あるというアンケート結果を引用しながら、生来娼館はかならず復活するとし、ロランは来たるべき娼館文化の時代の先駆者であり、『フィリベール館』はその聖書であるとまで言っています。