:福原麟太郎『チャールズ・ラム傳』

                                   
福原麟太郎『チャールズ・ラム傳』(福武書店 1982年)
                                   
 ちょっとこのところ、ラムづいてます。今回は『陽気なクラウン・オフィス・ロウ』にもたくさん引用されていた本。日本のラム研究の基本図書とも言えるでしょうか。

 ラムの生涯を、ラムの作品やラムおよび友人たちの手紙、本国の各種ラム評伝をもとに辿ったもので、『エリア随筆』『エリア随筆後集』の一篇ずつの内容紹介も貴重です。

 その『随筆集』の紹介では、先日読んだ抄訳以外の作品をいろいろ知ることができました。なかでは、「休暇中の牛津」「クライスツ学寮の三十有五年前」「人間の二種族」「萬愚節」「新旧の学校教師」「妖婆その他の夜の怪物」「インナー・テムプルの昔の評議員連」「夫婦者に対する独身者の不平」「友人蘇生」が面白そうで、読んでみたいと思いました。

 『随筆集』のなかに役者についてのエッセイがいくつかありました。ラムは当初、劇評家としてスタートして、その鑑賞眼には定評があったようで、同時代の人びとには面白かったのでしょうが、いま読んでみると、演技自体を見ていないので、共感できず分かりにくく感じました。これは劇評の宿命と言うべきものでしょう。

 この本の中で著者が一貫して強調しているのは、ラムが人間の弱小感をいかに巧みに語っているかという点で、この弱小感に眼を留めたのは慧眼だと思います。

 ラムについての全体の印象はこれまでの本を読んで抱いていたのとそんなに違いませんでしたが、この本を読んで、細部のいろんな事実を知ることができ、また新しい発見がありました。断片的にひとつずつ挙げていきますと、

 ラムの晩年についての記述が詳しく、その悲惨な一面が分かりました。養子にして可愛がって育てていた娘が嫁に行ったり、ハズリット、コウルリッヂと昔からの知人が次々に亡くなって、淋しくなっていく中で、アルコール中毒のようになり、晩餐から飲みだすと翌日の昼まで延々と飲みつづけたり(p366)、見知らぬ人の家に上がりこんで酒を求め酔いつぶれて戸外へ放り出される様(p382)が描かれています。

 お姉さんが精神的に不安定で、精神病院に入ったり出たりしているのは知っていましたが、チャールズ・ラム自身が1795年の終りから1796年にかけて、精神病院にいたというのも驚き(p24)。

 チャールズ・ラムとお姉さんを主人公にした戯曲があること、しかもそれが上演された舞台を著者が見ていること(p403)。

 ラムの面白いエピソードが紹介されていました。ラムがある女優に恋して、求婚の手紙を書きましたが断られたので、「この前の手紙を貴女の御帖面へお貼りにならないで下さい」と書いて送っておきながら、自分のところへ戻ってきたその手紙を大事に保存しておいたので、皮肉にもとうとう帖面に貼りつけられて、今はカリフォルニアの図書館で衆目の目に曝されているという話(p290)。

 ラムの好きな言葉に「格式ある閑暇(オシウム・クム・ディグニタテ)」というキケロの言葉があると知りましたが(p375)、これはまさしく私の理想とする境地でもあります(なぁんちゃって)。

 『エリア随筆集』の諸作品は45歳の正月から書き始めたものとのことですが、ギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの手記』も43歳のころから書き始められていましたから、このぐらいの年になると、懐旧癖が出てくるということでしょうか。


 恒例により引用でお茶を濁します。

「私の一家を騙して折角貰った遺産を横領した、ドレルという古狸もいたが、考えてみれば今銀行に二千磅あるよりは、あんなぬけぬけとした悪童がいることを知ったことの方が、嬉しいような気がする」というのはラムの偽りない感情であろう。ラムは現在を肯定する。現在を肯定すれば現在を作ってくれた昔は皆なつかしい。/p82

あらゆる人が同じ立場に立って、お互いの条件の等しさを感じあうことができるのは、お互いに弱小であるという点を認め合う時である。・・・人はみな死ぬものであるという、諸行無常の思想に到達してしまうこともできる。そのような無常観をうしろにして、人はみな馬鹿であるという見方が成立する。それは悲しむべきではなくて、だから、人間はお互いにいとしいものであるということになるのが、ラムの「萬愚節」の主旨である。/p93

正真正銘なところ、貴君に真実を白状すれば、僕は、馬鹿が好きなのです。生来まるで親類同族の如く好きなのです。(ラム)/p95

静寂の中に魂の深さを保ちつつ、人間の顔を見る慰めからも締め出しを喰わないという境涯に入りたければ、クウェーカー宗徒の集りに来たまえ、ここでは孤独でいながら、伴侶がある(ラム)/p96

文筆によって生計の資を得るということのみじめさ・・・出版業者の居候になったら、奴隷中の奴隷だ。数杯のビールと羊の胸肉とのために、頭をこき使うことだ。・・・日々の糧のために、頭一つをもとでにしている不運な奴がある。その頭をかき乱して腐らせ、さいなみ、いためつけなければ措かない思索なんて、ざまみろだ。(ラムの手紙)/p321