:イギリスの挿絵に関する本二冊

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平田家就『イギリス挿絵史―活版印刷の導入から現在まで』(研究社出版 1995年)
清水一嘉『挿絵画家の時代―ヴィクトリア朝の出版文化』(大修館書店 2001年)
                                   
 イギリスの挿絵についての本を二冊読んでみました。この二冊は面白いほど対照的で、『イギリス挿絵史』が網羅的にイギリス挿絵史の全体像を書いているのに対して、『挿絵画家の時代』はディケンズとクルックシャンクの時代にほぼ限定され、内容も作家と画家の関係を考えるという一点に集中しています。どちらも一長一短あり、読後感がスッキリしません。

 『イギリス挿絵史』は、まず第一印象が学者の書いた硬い本ということ。そもそも著者はトインビーの専門家で挿絵は余技というか趣味のようです。イギリス挿絵全体について、個々の作家を平等均等に扱いながら、編年的に記述しているところや、人名表記が初出はかならず、原語、カタカナ表記、誕生年、死亡年と続き、作品名も原語表記、翻訳表記、出版年が付記されているのはいかにも学者らしい。それで文章がごちゃごちゃした感じになって読みにくいことかぎりなし。

 さらに、その人名の表記法に何かこだわりがあるようで、通常流通しているのとはまったく異なる読み方を採用しているのが解せません。ウィリャム・ホゥガース、ラッファエッロ前派、ビアヅレー、ワーヅワス、バーン=ジョゥンズ、アーネスト・ダウソンなど。

 網羅的な取りあげ方をしているということは、著者自身の骨太の主張が見えないということでもあります。かろうじてフランス人挿絵画家のギュスターヴ・ドレについてページを多く割いているのが、この著者の趣味の表れでしょうか。美術の専門家でないために、絵に対する素朴な感想があるだけで、技法的な特徴については『挿絵画家の時代』よりは記述が多いものの、時代とともに移りゆく様式的な画風の解説や影響関係の記述がないのが物足りません。

 悪いことばかり言ってると嫌われますので、良い点を挙げると、まず挿絵の例示が多いことで、全部で176図の挿絵が掲載されています。これらの版画を見ているだけでも楽しい。さらに網羅的に作家を取り上げているので、知らない挿絵画家の名前もたくさんありましたし、辞書のように使えるということが便利だと思います。


 『挿絵画家の時代』は逆に、ドキュメントタッチのノンフィクションという感じで、著者による問題設定が初めにあり、その論理的な探求の過程を読者に提示しながら、一緒に辿っていくことによって、理解が深まるように巧みな書き方がされています。一種のミステリーのような印象を受けました。が内容は作家と画家のどちらが主導権を握るかというのがテーマで、それも少しゴシップ的興味が中心となっています。

 この本でいちばん印象深かったことは、画家が描いた下絵を木や銅や鋼に彫りこむ彫版者の役割がとても大きいことが分かったことです(p238)。細部がやはり重要なので、下絵と出来上がった版画とを比べると、まったく別の絵という印象すらあります。

 この本を読んでいて、ディケンズという人は『クリスマス・キャロル』ぐらいしか読んだことはありませんが、感じ悪い男という印象。さらに挿絵を画いたクルックシャンクにもいい印象はありません。彼はエインズワース『ロンドン塔』の構想やディケンズの『オリヴァー・ツイスト』の登場人物フェイギンは自分が考えたと盛んに主張していますが、そこまで言うなら、なぜ自分で一篇の小説も書かなかったのでしょうか。

 この本で不満を感じたのは誤植が多いことで、とくに木口木版を延々と小口木版としているのが不思議。また図のキャプションで「ピクウィック・ペーパーズ」の挿絵の画家名をクルックシャンクとしたりしています(p146)。版画の技法についてもあまり解説がなく、「エッチングにメゾチントの手法をとり入れた」という箇所がありましたが(p252)、エッチングとメゾチントは別物ではなかったでしょうか。「ラファエル前派の出現以後、挿絵はクルックシャンクやブラウンなどのドラマティックでコミカルなものから、写実的で自然なものに変わりつつあった。(p253)」という表現も言いたいことは分かりますが首をかしげてしまいます。

 とまた悪口になってしまいましたが、詩と小説の場合における挿絵の効果の違いを論じた部分(詩に必要なのは光と影の微妙な陰影で、小説の場合は人物の表現が重要となる)という指摘や(p24)、出版形態の変化が挿絵の宣伝的要素を大きくしたことへの着目(p74)は、参考になりました。


 この二冊を読み終わって、今度はフランスの挿絵の歴史を書いた本を読んでみたいと思いました。