:ケルト神話の本二冊

///

井村君江ケルトの神話―女神と英雄と妖精と』(ちくま文庫 2010年)
バーナード・エヴスリン喜多元子訳『フィン・マックールの冒険―アイルランド英雄伝説』(社会思想社 1983年)


 ケルトの神話についての概説書と、ケルト神話の一部であるフィン・マックールの物語を読んでみました。この二冊はかなり重なる部分があるだろうと思っていたら、フィン・マックールの物語は『ケルト神話』のなかでは、Ⅳ章の「フィンと知恵の鮭」のわずか4ページ分しかありませんでした。それだけケルト神話は広大な世界なんですね。

                                    
 井村君江の『ケルトの神話』は、初めから三人称で物語っていくのでなく、ケルト人やケルト文化についての研究の進捗の歴史を説明しながら徐々に物語って行くという語り口で面白い。

 『ケルトの神話』の全体の印象としては、この神話に溢れている自由自在な想像力がとても面白く、時には忍術合戦のように魔法が繰り広げられるかと思えば、物事を極端に大げさに語るホラ話のようなところもあります(後でその部分を引用)。また描写が色彩的で美しくイメージ豊かな世界が描かれているのも魅力的でした。

 いろんな話が次から次へと展開したのと、その中に共通の登場人物が入り乱れていて、すぐには頭に入りませんでしたが、これはギリシア神話などでも、物語の細部は面白いのに、全体の系譜をたどりはじめると何が何だか分からなくなるのと同じです。

 以前、ケルトの物語『フェヴァルの息子ブランの航海』の結末が浦島伝説と似ていると紹介しましたが、その源流はケルト神話にあったようです。常若の国へ行ったオシーンが故郷へ戻ってきた時、「白馬から落ちて足が地に着いたとたん、白髪の老人に変わり果て(p231)」ます。また別の古い伝承物語では、「老人に変わったオシーンは、その場で灰になってくずれ去ってしまったり、小さく縮んで煙か霧のようにかき消えてしまったり (p232)」しています。

 「水浴びをしているあいだ、エスニャはうすい衣を岸べの草むらにおきました。この美しい変身を木立のあいだから見ていたデスモンド伯は、そのうすい衣を隠してしまいました。(p140)」という日本の羽衣伝説と似ている話もありました。


 『フィン・マックールの冒険』の全体の印象は、話としてはとても面白く読めましたが、脚色が行き過ぎ。いい意味でも悪い意味でもアメリカ的センスというか、話を現代人に分かりやすくしようという顧客サービスに溢れていて、アイルランドの伝説をもとにしたまったく別の物語になっています。

 軽妙なドキュメントタッチの「まえがき」は導入部として辛抱できるとしても、どこまでが原話にある話かと、読むのにも疑心暗鬼になってしまいます。少なくとも「まず鱒に、酢とバターとパセリとひねタマネギで下味をつける。・・・その上にベーコンの薄切りを乗せて、皮が焦げるまで焼く。それからソテーにしたカニ肉を中に詰めて、すりつぶしたアーモンドとケシの実入りのソースをかけるんだ。(p70)」や「夜ごと饗宴が開かれた。・・・昼は昼で、狩りや魚釣りや馬上の槍試合や、徒競走やレスリング、チェスやボウリングなどが行なわれた。(p87)」はいくら何でもないだろう。  
 決してこの物語自体を否定しているわけではなく、一つの作品としては、美しいイメージ、気の利いた洒落たセリフなど魅力に富んでいて、訳者の喜多元子さんの平明で分かりやすいイメージ喚起力の強い文章は、最近の松浦寿輝の書く童話の文章を思い出させました。新倉俊一氏が言うように、こういった感じで写本生や語り手の創意工夫が足されて、伝説のヴェルシヨン(異本)がどんどん増えていくわけだと納得しました。


 面白かった文章を抜粋しておきます。

門番の男は片目で、そばには猫が眠っていました。・・・そこでミァハとアミッドは、猫の目をとって上手に門番の眼窩へ入れる手術を終え、門番の男はりっぱに両方の目が開きました。しかし、困ったことには、夜になって人の目は眠っていますのに、猫の目のほうは起きていて、ネズミをたえずねらっており、昼間は日だまりで眠ってしまうことでした。/p83

海草がゆれて鈴のように鳴りひびく庭のなかで、赤い髪の娘たちが、海底の光のなかで宝石のまわりに金で刺繍をしているのが見えました。/p95

武芸にも秀で戦いに強く、モイツラの戦いのとき城壁を築いたのもダグダで、建築の才能もあったようです。武器として特別な棍棒を持っていましたが、八人がかりでやっと運べるほどの大きいものでした。片方の端でひとふりしますと、九人を倒し、その者の骨は「馬のひづめの下に飛び散る霰」のように飛び、反対の端をふれば、死んだ者を生きかえらせることができるのでした。死と生命とを与えることが、両方ともできたわけです。あるとき、この棍棒を引きずって行進してしまったために、その跡に城の濠のような大きい溝が、二つの地方にまたがって出来てしまいました。/p106

→ホラ話の例

ある日のこと、ファームナッハは、魔法の杖でエーディンを打ち、水たまりに変えてしまいました。水たまりは毛虫に変わり、やがて毛虫は紫の蝶となって、美しい羽を広げて飛び去りました。・・・エタアの妻は酒といっしょに、エーディンの蝶を飲んでしまいました。蝶はエタアの妻の子宮に落ち、再びこの世に生まれたときには、エタアの娘エーディンとして人間になっていました。/p118

ふたりは敵同士で、さまざまに姿を変えては、戦いを続けました。まず大きな鳥となって空で戦い、次に水の怪物となって水の下で戦い、次には鹿となり、次に人間の戦士に変わり、幽霊となって戦い、竜となって相手の土地に雪を降らせているうちに、ウジ虫に変わりました。/p186

→魔法合戦の例
以上『ケルトの神話』より

彼(オシアン)がヒュッと口笛を吹くと、種馬の骨が見る見るつながって肉がつき、巨大な灰色の馬はむっくり起き上がると後脚で立ちあがって、雷のようにいなないた。/p21

彼女の仕事は「知識の鮭」の番をすることで、この貴重な魚が、間違った人の手で釣り上げられ、無知であるべき者が物知りになったりすることのないように見張っていなければならなかった。/p47

フィンはネコの頭をあちこちに向けて、その燃えるような緑の眼の光で「聖なる鮭取り網」を探した。/p65

黒ネコはリズミカルな鳴き声を立て、前足をひょいと微妙に動かした。ハヤブサの体はみるみる縮み上がってちっぽけなミソサザイになり、一度羽ばたいただけでネコの口にくわえられていた。/p84

彼は、それまでの短い人生が知るかぎりの、もっとも冷たくて美しいものをあれこれ思い浮かべた。ネコの眼の冷たい光、雪の青い影、山の湖の新緑のさざ波、霧の中を流れる風、黄色い月を背にしたフィッシュ・ハグのシルエット、カラスの濡れたように黒い羽、暮れ方のコウモリのお喋り、そして最後に、フィンに意地悪をする時、マーサの顔に浮かぶ冷たい薄笑い―こうした冷たいイメージが雪の結晶のように寄り集まって、吹きつける炎から彼の身を保護した。/p97

生れたての赤ん坊・・・皮をはいで踊り靴にしたり、骨からボタンを作ったり、その小さな手を死体ろうそく(人魂)にしたりね・・・指に火を点すと、家中の者が眠りに落ちるんで、盗人は邪魔入らずで仕事ができるんです/p238

ドラブネは姿を消してハンラッティのあとをつけ、城の庭で彼の影を盗んだ。そして、それを丁寧にたたんで財布にしまい、飛び去った。・・・ハンラッティの影を、フィッシュ・ハグから盗んできたフィンの面影をぶちこんで、かき回した。/p245

地主が彼女を抱きすくめようとすると、彼女は彼の妻の姿になって、彼を恐怖で身動きできなくした。/p259

以上『フィン・マックールの冒険』より

 引用が多すぎましたか。