:畑耕一『ラクダのコブ』『微笑の園』



畑耕一『ラクダのコブ』(大阪屋號書店 1926年)
畑耕一『微笑の園』(天佑書房 1942年)


 この前ヤフーオークションで畑耕一の『怪異草紙』を入札し、5000円までせり上がった時、そういえば畑耕一は持ってはいるが、怪異文学を語った二三編以外これまで読んでなかったことに、はたと気づきました。そんな弱腰もあり落札できませんでしたが、それをきっかけに持っている本を読むことにしました。

 二冊ともに綺譚や奇譚と銘打った掌編がいくつか載っており『微笑の園』には小説二篇も収められていますが、基本は随筆です。二冊を読んでの感想は、たいへんな読書家で、とくに英語の本をたくさん読んでいることからの薀蓄がちりばめられていること、芝居や映画の世界にいた人らしく俳優や舞台の話題が豊富だということです。おしなべて戦前の教養人という印象。

 随筆の題材の範囲も広範で、怪談文学や幽霊画など怪異を語ったものをはじめ、夢の話、奇術や大道芸にまで及ぶ東西演劇に関する話題、姓名や語源などの言葉の話題、女性について、煙草などの趣味などに広がっていますが、現代のエッセイには見られない風変わりでオリジナルな問題意識があるように思います。


 『ラクダのコブ』はどちらかというと、演劇や映画に関連した話題が多く取り上げられています。なかでは、中国の幻想的で神秘的な大道芸や玄妙な工匠を紹介した「奇技」が圧巻。ついで淡島寒月を語った「趣味の長者」、幽霊屋敷やドッペルゲンガーなどの怪異現象について述べた「西洋怪異一覧」、「奇技」の続編とも言うべき「奇譚五つ」、映画こそが怪異を表現するにふさわしいと主張する「新怪異劇と映画」、英詩に登場する言葉を取り上げ薀蓄を語る「英詩一口噺」、また電話の混線を演劇仕立てにした「混戦大正娘気質」が面白かった。

 この本は造本が凝っていて、石井鶴三、木村荘八による著者の似顔絵が本の表に描かれています。昔の本らしく印字が紙に食い込んでいるのがはっきりと見えて味わい深いものがあります。また紙質が良いせいか本全体が軽いのも昔の本の特徴。


 『微笑の園』は『ラクダのコブ』から16年後の出版ですが、言葉を軸にした考察や文学の話題が少し増えているように思います。小説も二篇ありますが、随筆のハイカラさとこの小説の土着的な生活感の落差が大きく驚いてしまいました。「糧」という小説では大阪弁が巧みに取り入れられていますが、それもそのはず『ラクダのコブ』に、著者が当時中之島にあった大阪府師範学校の付属小学校へ通っていたことが書かれていました(p134)。

 この本では、怪談文学の要諦を語る「怪談文学の現代性」が秀逸。ついで、作品に登場する人物名が日常的な言葉となる度合を日欧で比較した「『人物』の名の普通名詞化」、スプーナリズム(前後をテレコにする言い間違い)について厖大な薀蓄を披露する「逸口僻耳」、舞台での怪異の演出法を暴露した「怪異劇の舞台技巧」、5,60もの幽霊画を所持していると自慢する「幽霊画を漁る」、ドッペルゲンガーがテーマの「自分が自分に出会った話」、語源にこじつけが多いことを楽しんでいる「俗間語源説」、東西の似た話を比較した「翻案説のいろいろ」、シュールレアリスティックな記述に溢れた「夢日記」が印象深く読めました。