:MAURICE PONS『MÉTROBATE(メトロバト)』

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MAURICE PONS『MÉTROBATE(メトロバト)』(JULLIARD 1951年)
                                   
 著者の初出版。1982年にBalland社の叢書「L’instant romanesque(小説のひととき)」で再版されていますが、そのときのタイトルは『POURQUOI PAS MÉTROBATE(メトロバトはもちろん*)』に変えられています。続編かまた別の話と勘違いして二冊とも買ってしまいました。

*この訳し方でよいか自信はありません。この言葉は「小説のひととき」叢書の社主が著者に言った言葉をそのまま使ったということなので、「あなたの作品は当然この叢書に入るべきだ、ぜひこの叢書に入れてほしい」といった意味だと解釈しました。


 「メトロバト」というのは、コルネイユの戯曲『ニコメデス』に出てくる可哀そうな兵士の名で、何もせず何も言わないのに突然皆から嫌われ、裏切ったこともないのに裏切者と言われる人物。この物語の実質上の主人公である家庭教師の運命を暗示しています。

 『virginales(無垢な心)』と同様、こどもの幼い心から見た情景が描かれています。『la maison des brasseurs(ビール醸造業館)』や『Rosa(ローザ)』のような幻想小説的場面はありませんが、緻密な場面を積み上げて物語を作っていくうまさはなかなかのものです。

 物語は、夏休みに家庭教師が来るところから始まります。家庭教師をあてがわれた14歳の少年が語る物語の形をとっています。その家庭教師はみずからの過去の話には一切触れず触れさせず、詩人のような振る舞いをする謎めいた若者です。身分の割には金持ち然とした身なりでますます怪しいのですが、彼の巧みな人心掌握の技にかかって、親や使用人たちも彼に親密な感情を抱き心を許していきます。少年の友人たちとも海水浴やダンスパーティで仲良くなります。ところがある日、ある会計士との偶然の出会いにより、家庭教師の過去が暴露されることになりますが、少年には誰も教えてくれません。親や使用人までもが戦々恐々とするなかで、家庭教師は警察に捕えられて去っていきました。その秘密のひとつは、大戦中対独協力者だったということ。さらにもっと重要な秘密があるようですが、それは「大人になれば分かる」という言葉でしか説明されず、最後までその秘密は明かされないまま物語は終わります。どうやらそれは彼が同性愛者だという雰囲気を読者に感じさせたまま。

 あらすじだけでは、肝心の細部の積み上げがないので、われながら薄っぺらな文章になって残念です。

 家庭教師の人物像はなかなか魅力的で、過去が分からないという謎めいた部分はもちろん、着任早々少年に「ラテン語なんてたいしたことはない、それより悪を教えよう」と言ったり、親たちにも勉強の計画より近くに泳げるところはあるかといきなり質問する始末。突然姿が見えなくなったかと思えば庭で花を摘んでいたとか、男のくせにお化粧に余念がなく鏡の前で俳優のようにセリフを言ってみたり、授業中もベッドに横になったまま煙草をやたらと吹かしたりと、勉強にも熱が入りません。しかし一方で、難解な自作詩を暗誦したり、鉄道とオーケストラのための交響曲というのを自作自演したり、花の色や香りのなかに、生物の交感や心理学が見られることをヴェルレーヌの詩まで引用して説明したり、モンテルラン、ボードレール精神分析の本、ドイツの小説についてや、自分が旅した世界の様子を話したりもします。この作品はほとんどこの人物の謎めいた雰囲気を描くのに費やされているといってもいいかもしれません。


 『POURQUOI PAS MÉTROBATE』のほうには、「あとがき」がついていて、最初の出版をめぐる思い出が綴られています。はじめの原稿は、62ページだったそうですが、何とかつてを頼ってようやく面会できた出版社から、本にするなら原稿料を倍にしないと出版できないと言われ、泣く泣く持ち帰ったこと。それで1年をかけて、挿話や新たな登場人物を加え、分量を倍にしたいきさつが語られています。読者の作品に対するイメージにとっては、あまりプラスになるとは思えない話をなぜ書いたのかよく分かりません。本人にとっては貴重な思い出だったのでしょうが。


 事情により、しばらくお休みをします。