:高木敏次『傍らの男』に衝撃を受ける

                                   
高木敏次『傍らの男』(思潮社 2010年)

                                   
 以前「現代詩年鑑2011」で阿部嘉昭の詩評に取りあげられているのを読んで注目していた詩人。ネットで安く出ていたので購入。読んでみると、不思議な感覚ですばらしい。これはまさしく改行詩でしかできない表現で、まぎれもなく詩であるという印象。通常の詩にどうしても付着してしまうマンネリズムから完全に脱っすることができていて、新鮮な詩の力を感じさせます。

 いまちょうど読んでいる三好達治『詩を読む人のために』なかで、萩原朔太郎の詩について、「読者をひとまず彼の詩中においてはぐらかす(p164)」イロジスム(illogismeフランス語)という詩法があることを指摘していますが、まさしくこれらの詩はその詩法を自家薬籠中にしたものにほかなりません。

 ひと言でいえば、「互い違いにかけられたボタンのような(河野聡子の評)」詩ですが、その魅力の源を探ってみると、1)一行のなかあるいは近接した詩句に見られる反語的表現、2)脈絡のないなかで数行離れた詩行との関連性の維持、3)脈絡のなさが感じられるのは、非論理性(イロジスム)だが、それも文法の脈絡で非論理なのではなくて、文法そのものを破壊する不思議な感覚、カフカの短編を読んでいるときの印象に似ている、4)私との距離の開き、離人症ドッペルゲンガー的感覚、「傍らの男」とは「私」のことなのだ、5)しかも平明な語彙と表現のなかでそれらを行なっていること、6)最終行の不思議な言葉で余韻が残る、といったことがまず目に留まります。


 具体的にもう少し詳しく見ていくと、1)の反語的表現には、「雲ひとつない青空は暗い(「一日」p43)」とか、「誰かが/迷惑そうに話しかけてきたが(「道」p39)」、これは迷惑に感じるのは話しかけられた方なので変な感じがする、といったものや、反語的表現に近いものとして「死んだ人が/生きている人を真似しているようだ(「朝」p35)」や「夏の日を思い出そうとしたが/忘れたことを思い出した(「目の前」p61)」、「私がいないふりをする(「花びら」p52)」といったような詩句があります。

 2)は全体を引用しないと分からないので難しいですが、冒頭の「帰り道」を例に取って示すと、「市場」に関連した言葉が、2行目(路上で野菜を売っている女を見る)、6行目(市場は遠い)、12行目(野菜は新しい)、17行目(市場からの帰り道を探している人)とつながり、「道」に関連した言葉が、タイトル(帰り道)、3行目(大通りへは)、10行目(急いで家へ帰る人々)、17行目(市場からの帰り道を探している人)、19行目(帰り道も知らない)と出てきて、また「遠さ」に関連した言葉が、6行目(市場は遠い)、8行目(誰かが遠くにいそうだ)、21行目(遠くから)と点在しています。その間に論理をぶった切るような表現が配されているわけです。また各篇のなかに関連のある言葉が必ず幾組か配されている以外にも、全編を通じてなじみのある情景や言葉がところどころで顔を出してきます。それらを拾ってみると、「市場」、「待つ」、「たずねる」或は「たずねられる」、「真似」とか「ふり」、「海」、それにもちろん「私」。

 3)は、これも一篇の詩全体のなかでしか説明しにくいもので、詩が進行するにつれて、それまでの詩行が作り出している意味の場にそぐわない言葉が平然と出てきます。近接した詩句の例では、「人の跡は古いのに/野菜は新しい(「帰り道」p9)」とか、「だれにさよならを言えばよいか/わからないが/知っている街では/誰にも会えない(「道」p40)」とか「私に臨んで/一日の過ごし方がわからない(「一日」p45)」と言ったフレーズ。

 4)のドッペルゲンガー的感覚は阿部嘉昭も詩評のなかで指摘していましたが、「もしも/遠くから/私がやってきたら(「帰り道」p10)」とか、「日曜日の午後は/鏡に映っているが/見たこともない/私も映っている(「その人」p15)」、「戻ってきたからには/見つかったからには/私だとは言わせない(「朝市」p33)」、「ふりむくと/何かを見ている私がいた(「一日」p44)」といった具合に、全編を通じて、「私」が私とは別の存在として登場してきます。

 5)タイトルも「帰り道」「その人」「机」「子供」「男」というような日常語、詩のなかの言葉もも「市場」とか「銀行」「ポップコーン」「写真館」「鉛筆」というように、詩語というより日常語だけを使っていて、しかも語彙が少なく基礎単語3000語の範囲と思われます。詩のかたちも、数えちがっているかもしれませんが、一行の音数がだいたい5音から12音、最少で2音、最大で25音、行数は平均23〜4行、最少で17行、最大で35行、といった言葉数の多くない詩です。

 6)これらの詩の魅力を引き立たせているのは、最後の止めの一行だという気もします。これも全体を引用しないと面白さは伝わらないと思いますが、例えば、「机に戻ると/帰らないと/伝言が置かれていた(「子供」p20)」とか、「ポップコーンを買いに行くふりをして/球場を出ていく(「男」p24)」、「知らない人に/行き先をきいてみたい(「公園」p56)」。


 と並びたててみましたが、それ以外に何か重要な秘密がこぼれ落ちているような気がします。魅力の源泉が把握できないというところが魅力たるゆえんです。
                                   
 どれも素晴らしいですが、あえて◎を選ぶとすると、「帰り道」「男」「露地」「朝市」「道」「公園」「室内」でしょうか。

 この人の詩を今後も注目したいと思いますが、これに似た詩はこれまでにも読んだような気もするし、同じような詩を書く人がこれまでいなかったか探して見たいと思います。