:ハンス・ロット

昨日、久しぶりにコンサートへ行ってまいりました。

大阪交響楽団第176回定期演奏会マーラーのライヴァル“級友ハンス・ロット”」(ザ・シンフォニーホール
指揮:寺岡清高
ハンス・ロット:「ジュリアス・シーザー」への前奏曲
ハンス・ロット:管弦楽のための前奏曲
ハンス・ロット:管弦楽のための組曲
ハンス・ロット:交響曲第1番

 ハンス・ロットについては、どこかで名前を知ってCDを買ったものの聴かずに置いていましたが、この演奏会があるので4月ごろから聴き始め、交響曲1番がとても好きになり、コンサートが待ち遠しく思われていました。期待にたがわず、CDよりもはるかに熱気に溢れたすばらしいコンサートでした。

 何よりも気に入っている部分は、一楽章の冒頭、主旋律を奏でた直後に、エルガーのチェロ協奏曲の第一楽章冒頭部分と同じような感じで、低音から高音へ盛り上がっていくところ。このフレーズは終楽章の最後の部分にも再び現れ、盛り上がった後静かに消えていきます。この終り方も最高。

 ブルックナーのように、金管楽器がオルガンのように重厚に鳴り響くところがあったり、コラール風に明るく厳かに吹き渡るところもあり、ヴァイオリンソロや木管楽器マーラーのフレーズがふと顔を覗かせたり、どこか王宮の音楽のような典雅なところもあったり、ワーグナーの弦のそよぎが聴こえたり、ヨハン・シュトラウスの愉しい音楽も垣間見えたりと、ひと言でいえば、世紀末ウィーンの音楽。

 プレトークで、マーラーの曲想に似ていてしかもロットの方が先に作曲していると、まるでマーラーを盗人呼ばわりするかのようでしたが、同じ場所で同じ時代の空気を吸い、同じ師から作曲を学べば、似てこないわけがないでしょう。

 演奏も、マーラーとの親近性を強調するかのように、3楽章では、弦の出だしの1音ずつをはっきり区切って演奏するなど、マーラーのグロテスクなスケルツォを意識させる演奏法でしたし、ヴァイオリンのソロ演奏の部分もコンサートマスターの歌いまわしがマーラーを思わせました。この演奏は秀逸。

 マーラー交響曲を全部聴きつくして他にないかと欲求不満になっている人はどうしてもこの曲に辿り着くことになるでしょう。そういう意味ではマーラー交響曲0番と言ってもいいかもしれません。

 指揮者寺岡氏がプログラムに寄せたメッセージのなかにある次の言葉はまさしくこの曲を聴いたときの切ない感情を言い当てています。「彼の交響曲の本当の魅力は・・・聴いていてこう何だか胸が熱くなるのです。そしてなぜかとても悲しくなってしまうのです。うまく言葉にできないのですが、もう戻れない青春の日々のような、心の奥底に眠っている何かとても個人的で大切なものを思い起こさせるというか・・・」

 東京から東条碩夫氏ら音楽評論家の方もお見えのようでしたが、大阪の他のオーケストラもどんどん新しい曲に挑戦してほしいものです。


 ちなみに私の聴いているCDは
Hans Rott「Symphony No.1 Orchestral Works」
Sebastian Weigle指揮、Münchner Rundfunkorchester
(BMG ARTE NOVA)