:JEAN MISTLER『LA MAISON DU Dr CLIFTON』(ジャン・ミストレール『クリフトン博士の家』)


JEAN MISTLER『LA MAISON DU Dr CLIFTON』(ÉMILE-PAUL FRÈRES 1932年)

 これも生田耕作旧蔵書。
 これまで読んだ『Gare de l’Est』『ETHELKA』と作風ががらりと変わり、M・シュネデール『フランス幻想文学史』で紹介されていた恐怖物語的な作品が収められています。マッドドクターものが三篇。あと二篇はそれぞれ現実と夢、終末の日をテーマとしていますが、この二篇にも狂気を感じさせる人物が登場します。

 筋立ては稚拙なところがありますが、人物や風景、細かい状況を伝える筆力がそれをカバーしてリアル感が醸成されていて、読後しっかりした印象が残ります。この辺が日本の最近の恐怖小説との違いを感じさせます。『Gare de l’Est』『ETHELKA』もそうでしたが、この描写力というか造型力がミストレールの持ち味なんでしょう。

 ミストレールは人類の未来を予言する能力があるのか、冒頭の短編「貧者の友」では乞食たちが列車で見知らぬ土地へ連れて行かれる場面がありますが、その後のユダヤ人の強制収容所送りを彷彿とさせる情景です。また二篇目の「心配性の人」でも、これを書いた1925年の時点ですでに病原菌の耐性が取り上げられているのに驚きました。

 
 各篇の概要を記しておきます(ネタバレ注意)。

○L’Ami des pauvres(貧者の友)
管理社会の恐ろしさとそのシステムに君臨するマッドドクターの姿を描いている。大学時代自分より成績の悪かった男が新聞記者になり、自分は乞食同然の暮らしをしている主人公が、その新聞記者の情報により「貧者の友」という施設へ潜入してルポを書こうとするが、そこには年限が来ると入所者をどんどん安楽死させるという恐ろしい秘密があった。それを見抜いた主人公は決死の脱出を図るが、村の人々の冷たい仕打ちで、ふたたび施設に戻ることを余儀なくされ・・・


○L’Inquiet(心配性の人)
マッドドクターもの。主人公があるカフェで亡命ロシア人の学者と知り合う。招かれた彼の家で、学者は微生物の進化の自論を展開、人類の滅亡の必然を力説し、それを防ぐには男女の自由な結合が大事だと、自分の娘を提供するのだった。


La Ligne droite(まっすぐな線)
これも一種のマッドドクターもの。罪人の重罪を信じる獄舎の厳格な管理人が度を過ごしたお仕置きをして罪人を自殺に追いやる話。直線が何ひとつなく、すべてが曲線という歪んだ空間が拷問の道具となる。


Miroir(鏡)
悪い意味で散文詩のような、散漫な作品。真実を映さない鏡と、人生の断片しか残さない記憶の二つについて考え続ける男が、夢と現実、生と死の区別を見失って鏡の前に立ちつくす話。これも考えようによっては一種のマッドドクター(考え過ぎのノイローゼ)ものか。


L’Homme invisible(透明人間)
これは完全なマッドドクターもの。動物の体を透明にする研究をしている先生のところに久しぶりに訪ねていくと、「殺人犯の死体を透明にできたんだよ、次はぜひ生きた人間を」と、狂気の色を帯びた眼をして、クロロフォルムを手に近づいてくるのだった。


○Le Dernier jour(最後の日)
終末の日を前にした村の様子を描く。次々に怪異が起こるなか一人の預言者が現われ、この世の終わりだという言葉に人々は右往左往する。時間の経過とともに、物語は大団円に向って盛り上がっていくが、最後に一筋の光明を残して物語は終わる。絵にかいたような預言者の狂気にみちた言動はマッドドクターに通じるところがある。