:JEAN MISTLER『ETHELKA』(ジャン・ミストレール『エテルカ』)

                                   
JEAN MISTLER『ETHELKA』(CALMANN-LÉVY 1929年)

                                   
 これも生田耕作旧蔵書。1950年9月6日読了の鉛筆書きがあります。

 ミストレールは昨年『Gare de l’EST(パリ東駅)』を読みましたが(10月4日記事参照)、同じような雰囲気の物語。第一次世界大戦のフランス北東部戦線を舞台にした『Gare de l’EST』から、今度はさらに先に延びてハンガリーが舞台で、時代も第一次大戦直後に設定されています。作者の体験がもとになっているようで、ミストレールは第一次世界大戦後、外務省から派遣されてハンガリー大使館で働いていたと、ネットで出ていました。

 この本も、M・シュネデールの『フランス幻想文学史』でホフマンの影響を多大に受けた作家と紹介されている感じはまったくせず、文中に一ヶ所ホフマンの名前が出てくるのみ。ひと言でいえば、国の運命に翻弄される女性を主人公にした悲惨小説です。

 当時、戦争に負けたハンガリーはフランスを含む連合軍から屈辱的な条約を強いられ国土の三分の二を失った状態。エテルカはフランス大使館員の一時愛人となりますが、エテルカに想いを寄せている幼馴染のアンドールという愛国者の青年が愛が得られないことに絶望して、亡命した王のもとで決起した軍に加わり負傷します。国のために傷ついたアンドールに対して自分はフランス人といちゃついていることを恥ずかしく感じたエテルカは病院に毎日見舞いに行くようになり、彼と結婚しました。これが前段。

 不況で失業者が溢れるなか、アンドールは何とかもぐりこんだ銀行の職で一瞬上流社会の生活を味わいますが、貨幣の混乱で銀行がつぶれまた路頭に迷うことに。せっかく見つけた両替屋の仕事も数カ月で首になり、妻のエテルカがダンサーとして働いても貧乏は極まるばかり。家具もすべて売り払い食べる物も底をついて・・・。とうとうアンドールは信条とは別の左翼新聞で仕事をする羽目となりました。運命とは悲惨なもので、ある日デモに誘われ混乱の中偶然目の前に転がった拳銃で警官を撃ち殺してしまいます。エテルカは家宅捜査や警察の訊問を受け、夫の死刑が確実なことを知り絶望と疲労の果てに橋から身投げ、夫は獄舎の中で首を吊るという結末。

 最後の一節では涙が止まらなくなりました。お涙ちょうだい小説といえばそれまでですが、主人公たちの生きてきた軌跡が、運命の操られるままに最後の一節に向って収斂していく物語の語りの腕前は大したもので、よくできた小説です。第一次世界大戦後のハンガリーを実際に生きたような気がしました。インフレで世の中が大混乱するさまも描かれていますが、日本もそうならないように祈るのみです。

 貴族が没落し代わって投機によるにわか成金が跋扈する世のなかを苦い気持ちで描いています。「彼らは本は読まない」と吐き捨てるような言葉がありました。古いヨーロッパが崩壊していくことへの哀愁、郷愁に満ちています。オーストリア=ハンガリー帝国の栄華が消え去ったハンガリーという国がヨーロッパの没落を描くのにふさわしかったのでしょう。ハンガリーへの愛情が強く感じられました。私の数少ないフランス小説の体験のなかでは、モディアーノやカミュの乾いた抒情も感じられました。

 作中、エテルカがフランス人の理屈っぽさに呆れそれを揶揄するような場面がたびたびありましたが、フランス人のミストレールはどういう立場にいるのでしょうか。