バルベー・ドールヴィイ宮本孝正訳『高貴なる人々に贈る言葉』(審美社 1989年)
あまり見かけない本。昨年オークションで発見しました。
ドールヴィイが最晩年に編んだ箴言集に訳者が一部追加したもの。『亡びざるもの』と同じ訳者です。
ドールヴィイの気のきいた言い回しも、こうした箴言集の形にして読んでみると、魅力が失せてしまう気がします。これらの言葉も、物語のなかで、誰かの喋る言葉のなかに登場して、初めて光り輝くものと思います。言葉を一枚の葉とすると、その葉のまわりの森のざわめきと一緒になって、はじめてその葉が生きてくるといった感じでしょうか。
箴言の他に、散文詩二篇も収められていますが、いずれも色彩に溢れ生命の動きに満ちたダイナミックな詩篇で、もとの散文詩集『忘れられたリズム』をぜひ読んでみたいと思いました。
箴言の中からいくつか引用しておきます。
チェザーレ・ボルジアは毒殺による戦いの推進者であった。・・・一部の人が抹殺されたのは、・・・人民全体を滅ぼさずに済むからであった。・・・このことは、戦争よりも人間的であった。だが裏切り行為としての毒殺は、と人は問うであろう。だが待ち伏せはどうなのか。―戦争では、どこかで待ち伏せが必要なことを、人は知らぬわけではあるまい。/p8
ウェルギリウスのラオコーン。もっと怖ろしいのを私は知っている。彼の息を詰まらせ、彼をむさぼり喰う蛇が、彼自らの心臓から出ているのがそれだ/p19
人間は何かを賞賛することで自分の力量を見せるものだが、その人間を理解しようとすれば、その者の判断によって行うしかない/p23
我々がもはや見なくなったものほど美しいものはない/p30
十人の会議では、常に、五人以上が多すぎる/p62
カーライルはたった一言でリアリズムを殺した、リアリズムが生まれるよりも前に。「ニュートンと、ニュートンの飼い犬ダイヤモンドにとっては、それぞれ異なった二つの世界があった。しかし各々の網膜に写った像は、おそらく同じものであったろう。」/p63
人は教育について、素晴らしい教育について、語っている。―何と不幸なことか。― 人が事物から受け取るもの、人が自分の目で観察したもの以外に、教育など無いというのに/p65
とりわけ自分が理解できないことにこそ、人は説明を与えようとする。人間の精神は、その錯誤により、自らの無知に復讐するのだ/p75