:宇佐見英治の二冊と雑誌宇佐見英治特集一冊

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宇佐見英治『戦中歌集 海に叫ばむ』(砂子屋書房 1996年)
宇佐見英治『ピエールはどこにいる』(東京創元社 1957年)
「同時代 第三次第二号 特集宇佐見英治」(黒の会 1997年)


 今回は宇佐見英治の若かりし頃の作品と、晩年の雑誌特集を読みました。『海に叫ばむ』は歌集、『ピエールはどこにいる』は小説集、「同時代」は宇佐見英治についての文集と本人の作品少々ということで、この三冊にあまり脈絡はないですが、雑誌特集号の刊行がちょうど「戦中歌集」の出版された直後ということもあって「戦中歌集」についての話題が多数あり、また「ピエールはどこにいる」についての文章もいくつかあり参考になりました。

 結論としては、宇佐見英治はやはり散文にその持ち味が最大限に出ているということがよく分かりました。歌集にはわれわれが今見る宇佐見英治らしさはなく、小説は秀でた部分はあるものの全体としては若書きの習作の印象はぬぐえません。やはり宇佐見英治は少し落ち着いたトーンの詩的な語り口でものごとの核心に迫るような文章に持ち味があります。


 『戦中歌集 海に叫ばむ』は、召集されてスマトラからマレーシア、タイと転戦した際に書きとめた歌を集めたものです。この歌集は宇佐見英治というよりも、一人の青年が見た戦争の風景そのものに目を奪われます。俳句は写生と言われますが、これらの短歌を読んでも、写真で記録されたかのように、なまなましい戦中の風景がわれわれの前に提示されており、いまも眼前にその光景が見えるかのようで、作者の内面のざわめきが伝わってきます。これは歌の持つ大きな力だと感じました。第二部コレラの歌が圧巻。

 印象深い作品を少し引用しておきます。
月かげの白き砂山に蚊帳はりて今宵は寝ねむ波の音(と)さやかに/p17
土民の子らわが自動車に寄りきたりやさしきこゑで日本(にっぽん)といふ/p32
橘の葉書はなしといふ聲す橘よいかにさびしからむ/p49
ドラム罐の風呂に顔出しわが友は子供のことを語りつづける/p60
墓穴をおのれ掘るなりと笑ひつつおのおの掘るなり丸きたこつぼ/p65
世をあげて戦争(いくさ)に狂ふ人の世に赤子生れて二日死にたり/p78
土間の奥に母立ちゐたり人よりて赤子の死骸(むくろ)をつつみてゐたり/p79
蚊帳のなかに膝をくづしてなにごとか叫びをあぐる何族かをんなは/p83
髪のなかを掻きゐし手とめそのをんなわれを見つめて荒き息吐けり/p84
手にひたとしがみつきつつ我(あ)を生みし大地にすがる堅き大地に/p117
石灰を播き散らしたるベッドの上死にゆくわれは擔き下されぬ/p122
胸の門(と)はみだれうちつつ息荒し闇より闇に見ゆるものなき/p125
看護婦の持てるラムプが近づきぬあはれ待ち戀ふ世の人のこゑ/p126
いのちありて泣きゐるわれに何といふやさしきことを人はいふなる/p131
水漬ける柱朽ちたる桟橋にいのちいとほし月の漣波/p159
 もう少し減らそうとしましたが、減らしきれません。


 『ピエールはどこにいる』は、短篇三篇を集めたものです。そのうち「死人の書」は作者がいちばん気に入っていたのか、あちこちの本に再録されていて、私も別の本で以前読んだことがあります。しかし良い作品とは思えません。死後の世界と生者の世界を反転させたグロテスクな滑稽譚で思弁的SFともいえますが、構造が理屈っぽくて、いかにも学生が書きそうな印象。

 それに比べると「幻の女」「ピエールはどこにいる」の二作は、両者ともに誰かを待ちつづけている状況とその思いが基調となっていて、モノローグの演劇的な語りが情感を刺激する点でまず成功していると思います。「幻の女」はひとりの女を図書館で待つ男の独り言を綴ったもので若干単調ですが、「ピエールはどこにいる」は、戦中に命を助けてくれたピエールという男に手紙の形で語りかけるモノローグと、話者の純粋なモノローグ、それから友人夫婦の会話を想像したダイアローグの三つのパターンからなっていて文体に変化があるのと、作品の構造自体、話者が戦争で記憶喪失しているという設定が物語にふくらみを生じさせていて、不思議な味わいが出ている秀作だと思います。

 雑誌「同時代」に掲載されていた宇佐見英治の未発表の小説「青い草」も、『海に叫ばむ』と同じ戦争体験がもとになっていて、こちらの方はよりリアルに戦争の状況が描かれています。間一髪で敵機の来襲から命を免れる場面は、『海に叫ばむ』の「めらめらと燃えゐる町を見つめつつふと胸さわぐ世界のしづけさ(p102)」を詠んだ時と同じ状況が描かれているんだと思います。将校が集まって麻雀をする場面がありましたが、戦時中には本当にこんな場面があったんでしょうね。


 雑誌「同時代」では、宇佐見英治と関係のあった「黒の会」同人の文章を中心に多数収録されています。各人がそれぞれ思い出や印象を語り、宇佐見英治の作品の魅力や文章のすばらしさについて語っています。他では知り得なかったようなたくさんのエピソードが紹介されていて、宇佐見英治をより多面的に知ることができたと思います。

 そのなかでも、宇佐見がこだわる言葉の使い方からその魅力を解き明かそうとした清水徹、独特の身体感覚に注目した三浦國雄の二篇がもっとも印象深く、他に宇佐見の若き日を紹介した小尾俊人、『海に叫ばむ』の出版のいきさつを披露した太田一郎、『海に叫ばむ』を詳細に吟味した田口義弘、旧制一高時代からの交友を語る中村真一郎、東大の寮委員長だった宇佐見の姿を描く安川定男、宇佐見にポルノ小説を書くことを勧める飯島耕一、癌の闘病を励まされた体験を綴った熊谷幸子、見ることについて語った清水茂らの文章が印象に残りました。