:鈴木信太郎の二冊『文學外道』『文學遁走』

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鈴木信太郎『文學外道』(東京出版 1948年)
鈴木信太郎『文學遁走』(改造社 1949年)

 今回は、読書の楽しさをたっぷりと味わえました。こういう本をソファで寝転がって読むのが至福の時です。何よりも素直さ、読みやすさ、それでいて味わいのある文章。ストレートな感情の吐露と深い学識が合わさった魅力。温かい人柄を感じます。戦後の評論に時々見られる我を剥き出しにした戦闘的で声高な調子との差を感じてしまいます。

 戦後間もなくの出版だけあって、仙花紙のような紙質や柔らかい紙を使った表紙に何とも言えない風合いがあるのも読んでいて気持ちがよい原因ではないでしょうか。また文章の中に、若冲を当時すでに高く評価している一文を見つけたり(『文學外道』p180)、川口軌外という洋画家の存在を知ったり(『文學外道』p187)、「ヴィヨン墓碑銘」という詩の一節(『文學遁走』p155)がボードレール「屍肉」とよく似ていることから影響関係があるのではと勝手に推測したりするのも読書の喜びの一つだと思います。

 『文學外道』では、冒頭の随筆で、書籍に対する大変な執着ぶりが披露されていて、古本道の先達として大いに尊敬すべきと感じました。また「豹を猟る」「アポリネエルとモナリザの失踪」「科学の霊」の三篇は小説的興趣の溢れたすばらしい随筆で、なかでも「科学の霊」はキュウリイの研究室に勤めていた日本人科学者が放射能でぼろぼろになっていく話ですが、鬼気迫る幽鬼のような人物像が印象的です。

 『文學遁走』は二部に分かれて、一部はヴィヨン、マラルメなどを扱った文学評論、二部は自分の趣味などを語ったエッセイ。この一部は結構重厚です。ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」の主人公とそのモデルになった実在のベルジュラックの比較を語る冒頭の「シラノ」、マラルメの詩の制作年代を推理小説のように推測し解き明かしていく「マラルメの初期詩篇の制作年代について」「マラルメ1880年代発表の諸詩篇について」など、普通なら難しくなってしまいそうな内容を深みを保ちつつ面白く読ませてくれます。

 鈴木信太郎マラルメの詩の翻訳には独特な美しさがありますが、これは彼が習っていた能の言葉からの影響が大きいように思われます。

われここに、妙手(たくみ)によりて音を吹籠めし空洞(うつろ)なる/濱荻折りし時しもあれ、清き泉に 唐草を/涵(ひた)して捧ぐる 遠方(おちかた)の草叢の青き金色の/上に、息(やす)らう生(いき)ものの白妙の色 かいろげり(「半獣神の午後」)/p163


『文學附近』(1936年)『文學外道』『文學遁走』の順で出版されたようで、『文學附近』はまだ残念ながら所持していませんが、『文學遁走』の後記に内容の重複についての弁解が書かれているので、『文學附近』には読んだことがあるものが結構入っているのかもしれません。佐藤朔の時もそうでしたが昔の出版物は内容の重複をあまり気にしていなかったようです。

 読んでいる最中の『半獣神の午後其他』(1947年)や未読の『記憶の蜃気楼』(1961年)、『ヴィヨン雑考』(1941年)、それにずっと以前読んだ『小話風のフランス文學』(1955年)を合わせて重複を調べると下記のとおりとなりました。(『フランス象徴詩派覺書』『虚の焦点』との重複はなかった)

『文學外道』(1948年):「達四郎個展」が『半獣神の午後其他』と重複。
『文學遁走』(1949年):「ヴィヨン傳弄筆」から「ヴィヨン墓碑銘」までの8篇が『ヴィヨン雑考』、「忘却」「蜜蜂と魚と蛙」「本の話」「旅」「歌舞伎」「俳優」「古風な思出」「同名異人の話」が『半獣神の午後其他』、「サチリク詩華集について」「豹を猟る」「聖アントワヌの火」「覚えているか」が『文學外道』と重複。
『記憶の蜃気楼』(1961年):「巴里の酒」「鴨の思出」「豊島與志雄」「岸田國士」「辰野隆」が『小話風のフランス文學』、「彫蟲祕戯」が『文學遁走』と重複。


恒例により若干引用を。すべて『文學遁走』からです。

ロスタンが歴史的事実を縦横に使用しているとすれば、それは歴史的事実を描写するためではなくて、ロスタンの虚構を歴史的事実によって描写するためである。シラノの性格が美しいとするならば、それはシラノ其人の性格が美しいのではなくて、ロスタンの創造したシラノが美しいのである。美しいのは虚構であって、現実ではないのである/p37

ボオドレエルは影像の一連を把握し支配して、論理と感情とに従って排列した。マラルメは一影像が喚起し暗示するところに依って他の影像を得、順次に影像を連結して一連と為すものであって、影像と影像との間には、その「類推の魔」に示す如く、類推が存在するのみである。即ち、類推によって距てられた影像の堆積であって、排列ではない/p160

一八八八年刊行の『愛の詩集』、八九年刊行の「双心詩集』以後の十数巻の詩集は、ヴェルレエヌにとっては初期の詩集と異なって生活の資となったが、一篇として彼の名を高めるに足る詩を含んでいない/p179

高踏派は心が無いのではなく、心を匿すのである。浪漫派の自己の解放に対する反動である/p183

マラルメに於いては、影像と影像との間に空隙があって、それを類推が埋めるのであるが、彼(ランボー)に於いては影像の相互が一部分づつ重なって、その間に感覚を挟んで行く/p186