:柳宗玄(やなぎむねもと)の本二冊

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柳宗玄『秘境のキリスト教美術』(岩波新書 1967年)
柳宗玄『かたちとの対話』(岩波書店 1992年)


 ふとした気まぐれで、『かたちとの対話』を読み始めると、とんでもなく面白い。引き続いて『秘境のキリスト教美術』を取り出して読んでみると、これがまたさらに深い。しばらくは柳宗玄を読んでみようと思います。

 この方は柳宗悦の息子さんのようで、さすがお父さん譲りの哲学的思索に溢れています。ゼロから自分で考えようとするその姿勢がとても好ましく思えます。また机上で本を繙いて何かを語るというのではなく、とにかく現地へ足を運び、数多くの作品に触れ、その周りの雰囲気も含めて自分の眼で見て判断していることも素晴らしいと思います。

 両書に共通して見られるのは、近代美術のあり方に対する嫌悪を表明したり、近代の眼で古代や中世の美術を見ることの間違いを指摘するなど、近代への呪詛といったものです。また動物たちの調和を乱し、人間中心で近代の社会をおし進めてきた人間への呪詛も感じられます。企業に身を置いたことのある私としては、単純に反近代!と100%同調するわけにも行きませんが、感覚的には共感できるところが多々ありました。


 『秘境のキリスト教美術』は、ロマネスクの前の時代のキリスト教美術について、修行や精神的なありようから語っています。具体的には、カッパドキアの溪谷に200ほどある洞窟の修道院へ足を運んだり、現在なお修道士が修行する聖山アトスに滞在するなどした現地の観察から、信仰のあり方や美学についていろいろ考えたことを綴ったものです。

 ここで扱われている一番大きな問題は、偶像崇拝に対する態度で、次にキリスト教以前の宗教、主にケルト人のドルイド教やギリシヤ神話とキリスト教との関係です。また共住と独居の二つの修行の在り方なども取り上げられています。

 それまでの西洋の学者が、カッパドキアの200のうち一割程度の人像の描かれた壁画しか研究の対象にしてこなかったことに疑問を呈し、まったく図像の描かれていない壁をもつ修道院や、抽象画のみの壁画も含めて、全体で判断しようとしていますが、そこに出てくるのが偶像崇拝の問題です。

 旧約の時代や初期キリスト教では偶像が否定されていたが、4世紀ごろから聖像が描かれるようになったという偶像崇拝の歴史を辿りながら、基本的にはこの溪谷は、偶像否定論者が洞窟修道院を作ったが、その後、聖像を容認する派が少し入ってきて、従来の岩壁の上に聖像画を描いたという説を打ち立てています。

 最後の章で、ベネディクト派とシトー派の考え方を対比しながら紹介していますが、ベネディクト派の華美の方向へ拡散していく美学と、シトー派の余計なものを削り落として構成の美を極めようとする美学の対立は、大ざっぱにロマン派対古典派の図式に置き換えられるように思います。


 『かたちとの対話』は、長年雑誌「図書」の表紙図版とその解説を続けて来られたものを、新たに編集し直しまとめたものです。世界各地の古代、中世の美術を自ら現地に赴き写真に収めたものが中心ですが、全編を通じて、調和のとれた自然を破壊してきた人間への呪詛が感じられます。

 楽園を描いた絵や生命の木が描かれたものが多く、珍妙な形のオンパレードで、想像力が刺激されます。選ばれた絵は、場所も変われば時代も異なり、様式も違いますが、著者の感性により選ばれたという点で統一がとれていて、見れば見るほど味が出てきます。こんな絵を画く人は特定の芸術家だったのでしょうか、それとも誰でも描けたのでしょうか。

 文章もどことなくユーモラスな味わいがあります。

 一点、著者は「『繰り返し』というのは、おそらく昨今の美学辞典には出て来ないだろう(p237)」と、中世の美術における繰り返しの美学を指摘していますが、この時点では現代のミニマリズムがまだ出てきていなかったんでしょうか。


 恒例により、印象深い一節を引用します。

いったいなぜ墓室に壁画が描かれ、石棺に浮彫が施されたのか。それは古代社会の習慣だったからだ。キリスト教徒は、古代風の図像や様式を少しずつキリスト教的に変質させようとする/p61

山というものは、常に神秘的なものである・・・登山という苦行を敢えてするアルピニストの心理は、何か修道者的なものがある/p113

ケルト時代の自然崇拝をキリスト教がそのまま取り入れている例は、非常に多い。・・・岩、山のほか、泉、湖、巨木など、ケルト人が聖なるものとして崇めていたその場所に聖堂を建てて、自然崇拝をそのままキリスト教信仰に転化したというのが、多くの教会の起源である/p114

今日見られるあのロマネスク建築から、古さというものを取り去ったらどうか。・・・私たちの眼前にはどういうものが現われるか。それは、おそらく私たちが「古きよきもの」に対してもつイメージとは別のものではないか。そうすると、私たちの中世―あるいは古代―に対してもっているイメージは、実際は正体のない幻なのではないか/p131

自力で一つのものを生み出したからとて、生み出されたものが直ちにすぐれているとは限らない。昨今の芸術家は、模倣を恥ずべきこととし、独創を重要視する。独自のものを生み出すことによって、自己の存在を誇示し、満足感を味わおうとする人が多い。しかし、優れたものを生み出すために伝統に頼るという段階を経ることは、それ自体悪いことではない/p135

目に見える世界とは何か。無数の形は何を意味するのか。・・・中世は一致して答える。世界は象徴である、と。・・・すべては神の意思を秘めているのだ。世界は、神の手によって書かれた巨大な書物であり、そこでは、それぞれのものは、意味をいっぱいにもった言葉なのである(エミール・マール)/p189

物質的な美を享受することによって、神に助けられながら、神秘の道を辿り、崇高な美によって与えられる霊的な喜悦の域みまで導かれるような感じをもつことができるのだ(ベネディクト派修道院長スゲリウスの言葉)/p187

聖堂は四面まばゆく輝いているのに、貧しい者は飢えています。聖堂の壁は金色で蔽われているのに、教会の子どもたちは裸でいます(シトー会の指導者聖ベルナルドゥスの言葉)/p200

以上『秘境のキリスト教美術』より。

作品としては寡黙であるとしても、問いかけに対しての答え方は静かであり、語りかける言葉は深さと広がりを持つことが多い/p鄽

ピカソやブラックがやっと習得した・・・この二十世紀の画法は、実はヨーロッパ中世において、さらに古代エジプトその他でも、常識的な画法だった/p11

人間が荒らさない自然というものがいかに見事な調和を保っているかがよくわかる/p57

神はしばしば水にたとえられている。いわゆる「生命の水」である。樹も同じく「生命の樹」として神を象徴する。中央のモティーフが、川、水甕、樹、十字架などさまざま変化しても、それらは皆神ないしキリストの象徴であり、その左右の鹿は時には孔雀や鳩に替るが、それらはいずれも神を求める人々あるいはその魂を表す。・・・ついでにいえば「生命の樹」も「生命の水」も、その起源はキリスト教以前のオリエントに古く遡る/p77

聖堂に樹葉を彫りつける習慣そのものは、ロマネスク時代以降のキリスト聖堂に広く見られ、聖堂が緑樹豊かな幸福の園であることを示すものと思われる/p92

人間は死後どうなるのかということは、人間にとって大きい問題である。・・・信仰を持つ者には、キリスト教徒でも仏教徒でも、死後のことは向こう岸の風景のようによく見えている。孔子はこの問題を意識的に避けたが、老荘の徒には死は根(大自然)への復帰である/p120

死体を火葬にせず石棺に納めて保存するのは、キリスト教の復活思想に基づく。・・・死者を草むらの中に置いて「根(もと)に復帰」せしめる(『老子』)というのとは全く違う/p132

以上『かたちとの対話』より。


 世界中を回って、未知の部分の多い中世、古代の遺跡の絵や彫刻について考えるというのは、学者と冒険家が合致したカッコ良さがあって、憧れてしまいます。