:ライン河の伝説に関する本

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ユゴー榊原晃三編訳『ライン河幻想紀行』(岩波文庫 1985年)
松宮順『ラインの傳説』(ソフィア書房 1962年)
ヴィクトル・ユゴー根岸純訳『美男と美女の伝説』(パロル舎 1996年)

                                   
 次にどの本を読むかを選ぶのが楽しい時間でもあり、また思い悩むところですが、今回はふと思い立って、フランスロマン派の巨匠ユゴーがドイツ旅行の印象を記録した『ライン河幻想紀行』を読むことにしました。
 読んでいるうちにライン河沿いにたくさんの城があり、そのそれぞれに伝説があるのに興味が湧き、『ラインの傳説』という本を持っていたので、読んでみることにしました。
さらに『ライン河幻想紀行』所収の「美男ペコパンと美女ボールドゥールの物語」がとても気に入り、別の訳者による本も架蔵していることに思い当ったので、もう一度読んでみることにしました。


 ユゴーの『ライン河幻想紀行』に出てくる伝説で、明らかに『ラインの傳説』と一致するのは、「アーヘンの大聖堂建立」にまつわる悪魔との契約の話と、倉のなかで焼き殺された領民たちが鼠となって領主を襲う「ビンゲンの鼠塔」の伝説の二つで、意外と少ない。

 ユゴーが「斬首された謎の騎士の名前は知らずじまいになった(p110)」としている「ファルケベルク城の首のない騎士」は旅先でのフランスの三人娘とのやり取りを描いた印象に残る一篇ですが、この謎の騎士は、おそらく松宮氏が「老賊の一念」で紹介されている老賊と思われます。ファルケンベルクという城の位置を記述から探ると松宮氏のライヒェンシュタイン城に一致するからです。なので、この人物の名前はフィリップ・フォン・ボランデンということになります。

 フィリップは盗賊の首領で9人の子どもを従えて悪事を振っていましたが、とうとう捕まり全員死刑を宣告されてしまいました。フィリップが王に息子らの命乞いをしたとき、首を刎ねられてからお前が歩いたところまでは助けようと言われ、首を斬られた後、本当に首なしのまま立ち上がって9人目の末子のところまで歩いてから倒れ伏したという伝説です。

 またユゴーの「美男ペコパンと美女ボールドゥールの物語」と松宮氏が紹介している「私語(ささやき)の谿谷(たに)」とはどこか似ているような気がします。ユゴーは「遊んでいるあいだに美女が老婆になってしまう」という核心の部分と、鳥の鳴き声の意味が分かるというところからヒントを得て、創作の羽根を生やしたのではないでしょうか。

 『ライン河幻想紀行』は、まさしくユゴーのロマン派的才能が垣間見える作品で、文章に溢れる情熱と機知はとても魅力的です。廃墟趣味、歴史趣味、自然趣味が滲み出ている文章で、次から次へと事例が並列的に繰り出される講談のような調子の良い語り口調が印象的です。最後の「美男ペコパンと美女ボールドゥールの物語」の奇想に満ちた語り口にはアラビアン・ナイトの影響が濃厚。物語の最後は「浦島」を連想させられました。

 さらに驚いたことは、ユゴーが自ら描いた絵画が何点か挿絵として使われていますが、これがいずれもピラネージかフリードリヒを思わせるような暗い画風の廃墟画で、並みのものとは思われません。本物を何とか見てみたいと思わせられました。
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 この本は旅行記としても魅力的で、ライン河には異教の時代、ローマ時代の面影が色濃く残されていることが分かりましたし、コブレンツからマインツまでの間の両岸に古城が沢山あることにはびっくりしました。

 蛇足ですが、記述のなかで、ミステリーサークルを描写したとしか思えないようなところを発見しました。
「草原は墓場の芝生のように茂るに任せた芝生に蔽われている。幻想なのか、それとも影と風のいたずらなのか?ところどころ、背の高い雑草の上に、うっすらと大きな輪が描かれてあるのが見えるような気がした。それはまるで、夜のあいだに謎めいた輪舞(ロンド)があちこちで雑草を踏みしだいて描いた跡のようだった(p98)」


 『ラインの傳説』の著者の松宮順という人は外務省の役人で海外生活が長かった人のようで、この本はドイツに駐在していた間に集めた伝説をまとめたもののようです。

 戦前に教育を受けた教養人らしく、西洋の伝説や、歴史、文学の知識、ドイツ語からフランス語、英語、ラテン語等の知識が豊富なことに感心しましたが、さらに驚いたのは日本や中国の伝説もよくご存知なことで、東西の伝説を比較しているところに並はずれたものを感じました。

 真面目な方らしく、各伝説の最後に、固有名詞や歴史的事実の説明があり、人名や地名も各国の言葉で紹介しているところなど、読者にとってはとても親切。最近こうした丁寧な本はあまり見ません。

 伝説は90近く集められていますが、印象的だったのは、アナトール・フランスの「聖母の手品師」のような奇蹟譚の「老いた竪琴弾き(p56)」、三人の酒飲み僧が味聞きのためにひたすら酒を飲み続ける「エーベルバッハの酒飲み僧(p66)」、妻子を忘れる程の狩猟マニアが天から現れた巨きな手に首を捻じられ、顔を後ろに向けたまま永遠に走り続けさせられる「呪われた狩人(p80)」や、盗賊たちが戦利品を賭けて永遠に賭博する運命に陥る「ブラウバッハの賭博師(p189)」などの呪い譚、「小人の王様の指輪(p212)」など可愛らしい小人が登場する話です。


 三冊目の『美男と美女の伝説』ははじめに書いたように、『ライン河幻想紀行』の最後の「美男ペコパンと美女ボールドゥールの物語」の新訳で、訳者もあまり知らない人ですが、既訳があるところをあえて訳すあたり、この本に対する情熱が感じられました。また訳し方も平易な訳を心掛けてられるようで好感を持ちました。

 この物語は、一種の呪い譚が中心になっています。一週間後に結婚式を控えた花婿が、狩が大好きなあまり宮中伯から1日だけとの約束で誘われた狩に出かけ、3日後腕前が気に入られ領地を授与されることになったので、花嫁に来月まで待ってと手紙を送った後、こんどは大使としてブルゴーニュへ派遣され、そこから大使としてフランス国王へ派遣され、そこからスペインへムーア人教主の説得に行かされ、そこからまたバグダッドへ条約の調印に、という具合にどんどん遠方の用事で先延ばしにされてしまいます。そのあげくに悪魔に騙され、実は百年間森の中をさまようことになる「一晩の狩り」に誘われ、花嫁のところに戻ったときには美しかった花嫁が老婆になっていたという話です。

 この本の中の「悪魔の失敗」の部分は、『フランス幻想文学傑作選②』(「屑屋の悪魔」)と『ふらんす幻想短編精華集』(「負籠をせおった悪魔」)にもそれぞれ別の訳で収められているので、四種類の訳があることになります。

 この本には、オリジナルの挿絵がたくさん挿入されていて、本にかける思いが伝わって来きます。小人の詩の下にその詩を歌っているように描かれている小人の悪魔の姿(p93)や、活字の中にくり抜くように描かれた燭台(p138)、本来引用として活字化されるはずの文章を挿絵風に描いているあたり(p132)は魅力的で、挿絵の本来の力を感じさせられます。
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 目についたユゴーの修辞のいくつかをご紹介します。

彼の目はすこしずつ父親のなくなった墓から、婚約者の甘美で輝かしい顔の方へとむけられ、なぐさめられたのでした。月が出ているのに、夕日のことを思いだすひとがいるでしょうか/p14

女性の怒りは森にふりそそぐ雨のように、二度ふるからです/p18

犬には怒りの種は七つしかありませんが、女ときたらこれが千もありますもので/p24

皮袋が魂でいっぱいになると、悪魔はゼッキーノ金貨がぎっしり入った財布に大よろこびをしている学生よりもうれしくなりました/p54

悪魔は大のごますりだからです。心は苦いが口先は甘い、というわけです/p59

善行にはひとを得意がらせる欠点があるので、謙虚さをたもつためにもやめておく/p64

悪魔に似た黒人、あるいは黒人に似た悪魔が何人かテーブルのまわりで、腕にナプキンをかけ手に水差しをもったまま、黙って立っています/p140

白い科学が黒い服を着ているのと黒い科学が白い服を着ているのとが見られたのです/p157

さっきよりもずっと楽しそうな笑い声がまた聞えました。ふりむいてみましたが誰もいません。悪魔が洞窟で笑っていたのです/p175