:アンリ・ド・レニエ志村信英訳『碧玉の杖』

                                   
アンリ・ド・レニエ志村信英訳『碧玉の杖』(国書刊行会 1984年)

                                   
 最近読んだと言っても、読み終わってからもう一か月以上になります。おぼろげな記憶を頼りに。


 アンリ・ド・レニエはずっと昔(40年以上にもなるか)に、『生きている過去』『燃え上がる青春』『或る青年の休暇』を続けて読んだ記憶があります。『生きている過去』は、魅力的なタイトルと桃源社から出ているユイスマンス『さかしま』などと同じシリーズだったので期待して読みましたが、冗長で退屈した記憶しか残っていません。他の二著も読後の記録では◎と高い評価になっていますが、内容は全く覚えておりません。40年前の読書と比較するのは無謀だと思いますが、今回の『碧玉の杖』はレニエの最高作に属するものではないでしょうか。


 小説と散文詩の中間のような凝縮された文章が輝いています。とくに「アメルクール卿」の短編群は傑作揃い。冒頭から、冒険と恋に明け暮れ年老いてなお謎めいて貴族的な卿の瀟洒な生き方が、持って回った口調で語られ、この一連の短編への期待が高まります。

 この「アメルクール卿」全編に共通しているのは大人のおとぎ話といった印象の独特の美意識です。登場するのは謎めいた男女、王や冒険好きで大胆な貴族たち。舞台となるのは、異国、古い時代、豪壮な館、海、島、港、小舟、鏡、庭。秘密の恋や殺人が語られます。文章もプレシオジテと言われる持って回った言い回しが高い調子で続きます。
 
 夢が現実と入りまじる「奇妙な晩餐会」、ケンタウロスに化身する貴族が登場する吸血鬼譚の味わいのある「ヌアートル氏とフェルランド夫人の死」、王に対しての屈従の経緯を描いた「コルディク島への航海」、殺人と犯罪の臭いのする「鍵と十字架」が圧巻です。


 「壮麗な家」は『フランス幻想文学傑作選③』で、「青髯の六度目の結婚」は堀口大學譯『詩人のナプキン』で一度読んだ作品。「青髯の六度目の結婚」は読めば読むほど味わいが深くなり、川面をゆく舟の描写はローデンバッハを思わせ、またレニエ自らの『水都幻談』の雰囲気が濃厚です。

 「目前にあるのは河の静かな水路、流れの静謐、屈曲の魅惑。そして私が接近するにしたがって全体から切り離して凝視することになる光景であった。それは両岸に分かたれて樹木の列となり草原となり葉むらとなって互いに交感しあいながら、あるいは右岸から左岸へ、左岸から右岸へと交互に代わりつつ滑りゆくのであった。(p127)」
 「すべてはけざやかに水面に影をやどし、いかに残照の衰え果てたばかりの時間ではあっても静寂はこの上なく幽邃な薄暮の静寂そのものであった。あちこちに雲を浮かべた夕空の大理石模様が水面に不透明な小板を敷き、水は重みをまして岸のあわいをくだっていくように思われた。(p128)」
 「そのとき、小さな入り江のはずれに館がぽつんとあるのに気づいたのである。館はそこに悲しくとざされ、非常に魅惑的で、館をとりまく庭園に咲く美しい薔薇を摘みたくてしかたがなくなるほどであった。もし薔薇が摘めれば、先刻ここまで抜けて来た陰鬱な水路を舟で戻るあいだ、私は薔薇の芳香をかいでゆけるではないか(p129)」といった文章が連綿と続きます。


 「私は貝殻に耳を押しあてると海の響きに耳を傾け、長いこと果てしなく、夕方までもそうしていた(p182)」という文章が目に留まりましたが、これはコクトーより先んじているのでは。