:P.-G・カステックス編内田善孝訳『ふらんす幻想短編精華集―冴えわたる30の華々』(透土社 1990年)ほか


 おぼろげな記憶ながら、学生時代、幻想小説を読むうえで指針となったのは、ルイ・ヴァックスの『幻想の美学』(クセジュ)、『怪奇幻想の文学』(新人物往来社)、『怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)、白水社の『現代○○幻想小説』の国別シリーズなどだったように思います。

 同じ頃、文学仲間のあいだでは、フランスのカステックスの幻想文学論とアンソロジーは必読だというのがもっぱらの噂で、ある者は果敢に原書に挑戦していました。私にはとても読めなかったのでずっと心残りに思っていましたが、ようやく40年も経ってから読むことができとても嬉しく思います。期待が大きかっただけに、なんだという気もしますが。

 さすがにこれといった作家のものは収められています。先日読んだ白水社の『フランス幻想短編傑作選』と重複するものが多かった(30篇中10篇)のは、幻想文学を代表する作家は誰が選んでも同じになるということもあるでしょうが、同じ作家でも他にまた違った作品がたくさんあるのに、同じ作品(しかも同じバージョン)を選んでいるというのは、白水社のほうがカステックスをかなり参考にしたということでしょう。当時、この本が果たした役割の大きさを感じさせられるとともに、白水社編者の努力不足の印象も否めません。

 重複の10篇については再度読みましたが、不思議なことに、ユーゴ「負籠をせおった悪魔」、リラダン「ヴェラ」の2篇は前回よりもすばらしく思えました。2回目で味わいがより深くなったのか、訳し方がよかったのか。
                                 
 アンソロジーを組むにあたってカステックスが欲張ったために、長編のなかの一部抜粋や、挿話だけを持ってきていますが、あまり好ましくない印象を持ちました。作品の価値を減じることになるのではないでしょうか。

 この本は面白い造本がなされています。写真のように函と本の向きが違っていて、箱の上から横長の上下2分冊の本を入れるようになっています。ページ番号の打ち方も、ページの上部真ん中の文章を掻き分けるような場所に、装飾ロゴと一緒になった形で処理されています。 

 面白いと思った作品を紹介します(『フランス幻想文学傑作選』と同じものは省略、ネタバレ注意)
○恋する悪魔(抄)(ジャック・カゾット)
千夜一夜物語風の語りが魅力的。大きな驢馬の耳をした悪魔が主人公に呪文で呼び出され、小犬に変身したり従順な女性に変身して主人公に仕え、主人公との結婚の約束を取り付けるに至る。最後に悪魔の姿に戻り巨大な舌を出して何の用だと叫ぶ場面は圧巻。


○髪の毛の指輪(アレクサンドル・デュマ
原文で読んだことがある。療養に行こうと貸馬車に乗っていた若妻が誰かが馬で追いかけてくる幻視を見る。宿へ着くと案の定、夫が急死したという知らせが待っていた。柩のなかで死者の髪の毛だけが伸びているというイメージが鮮烈。


◎妄想(『オーレリア』からの抄)(ジェラール・ドゥ・ネルヴァル)
夢のなかの世界。神の創造の秘密を垣間見たりした後、結婚式会場へと彷徨い出るが、それが愛する人と自分の分身の結婚式と分かり暴れる。相手を打倒す呪文を唱えようとすると女性の叫び声が聞こえる。とうとう神の怒りを買ってしまったと絶望のうちに彷徨う。


○気前のよい賭け事師(シャルル・ボードレール)
悪魔とのユーモラスな会話。悪魔と親しくなり飲むうちに賭けで魂を抜き取られるが、代りに《倦怠》の病を和らげる力を約束される。最後に悪魔が約束を守ってくれるように神にお祈りをするという落ちがついている。「悪魔の最も巧妙な手管は、悪魔なんてものは存在しないと我々に信じ込ませることです(p16)」という説教師の言葉が印象的。


○謎の素描(エルクマン+シャトリアン)
手が自然に動いてある光景を描いたが、それは恐ろしい殺人事件の現場だった。あまりにも現実に似ているので犯人として捕らえられたが、再度絵で真犯人を描き出し罪を晴らす。


◎眠った都(マルセル・シュオブ)
別の本で読んだことがある。殺戮に明け暮れた海賊船が黄金郷らしき島にたどりつくが、そこはこだまも響かない静寂の町だった。その静寂の呪いで船員が次々に彫像と化して行くなかでかろうじて船長だけは脱出する。


蛇足ながら、現代ものはどうかと思い、下記の本も読んでみました。
ベルナール・ブラン編榊原晃三訳『現代フランス幽霊譚』(白水社 1984年)

同時期に『フランス幻想文学傑作選』『ふらんす幻想短編精華集』と堀口大學譯『詩人のなぷきん』の格調の高い緻密な文章を読んだせいか、下品さと俗っぽさに呆れてしまいました。ほとんどが学生の習作のようなものと思われます。

共通して際立った特徴は、現代の都会生活を反映して、高速道路や地下鉄や団地やスラムのような所が舞台となり、自動車やテレビ、それに留守番電話など文明の利器が怪異の材料として出てくることです。

それと、作品のほとんどに性的な妄想が出てくるのは何故なのでしょうか。性的なものを書かなければ文学ではないという風潮があったのでしょうか。また時代を反映してか、労働運動や学生運動の標語のようなものが出てきたりします。
このなかでかろうじて作品として成立しているのはダニエル・ヴァルテルのものぐらいでしょう。