:『フランス幻想文学傑作選』①②③の三冊

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窪田般彌/滝田文彦編(白水社 ①1982年、②③1983年)
『フランス幻想文学傑作選①―非合理世界への出発』
『フランス幻想文学傑作選②―ロマン派の狂熱と幻影』
『フランス幻想文学傑作選③―世紀末の夢と綺想』


 これも新刊で買っておきながら読まずに大事に置いておいた本。新刊で買っても長く置いておくと古本になることが判明しました。全体が古びてきて、しおりのあったところには汚れさえ付着しています。古本で買って読んだ方が安くついたことを考えると、新刊というのは刊行されてすぐ読まなければ価値がないということになります。

 このところ将来のフランス語書籍購入の参考にするため、フランス幻想文学に関する評論や小説アンソロジーを集中的に読んでいます。この三冊のヴォリュームの凄さは、ゴシック小説や幽霊小説の宝庫である英文学や、怪奇幻想小説の親元である独文学の翻訳出版においても、あまり見当たりません。三冊で46人の作家の59作品が収められています。

 この三冊のなかでは、さすがに19世紀末の作家を集めた③が突出していましたが、全体的にも、フランスには幻想小説は育たないというハイネの嘲りやルイ・ヴァックスの嘆きをものともせず、豊饒な幻想小説の世界が見晴らせました。

 時代とともに移り変わる内容や様式が総覧できたように思います。中世の奇想の世界を引きずったような極端な空想物語に始まり、18世紀の放蕩な貴族社会の産物があるかと思えば、ルソーの影響を受けたと思われる過激な社会観が見られたり、千夜一夜物語やドイツの怪奇物語の内容・表現上の影響を受けていたり、心霊主義や神秘思想の反映があったりします。

 ロマン派の初期には学生が書いたような観念的で生硬な文章が見られますが、ゴーチェやバルザックの時代になってくると次第に文章も濃密緻密になってきて、その先にはリラダン、メリメ、ドールヴィイの超絶技巧の世界が登場します。世紀末には残酷趣味が濃厚になるとともに阿片が物語に占める割合が増え、そして最後にはシュルレアリスムにつながる非現実の世界が描かれてくるといった具合です。

 再読のものも何篇かありましたが、新しい発見がいろいろとあり、『フランス幻想文学傑作選①』では、ヴォルテール千夜一夜物語風のおどけた余裕のある語り口の面白さ、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌのヴォルテール同様の洒落た書きぶりと、綿密な筆の運び方が新鮮でした。

『フランス幻想文学傑作選②』では、「小ロマン派」作家のものは、学生の書いたような若書きのものが多く観念的あるいは絶叫型で、かろうじて、アルフォンス・ラッブに美文調の整い方が見られる程度。私が若ければ少しはこれらに熱狂していたかもしれないが。一方、フローベールは観念的なところもある15歳の若書きながら、ファウストハムレットを足し合わせたような作品で、朽ち果て行く城の描写(p62〜63)などはとても15歳とは思えない造形力を示しています。

『フランス幻想文学傑作選③』では、心理描写の細やかさ、神話的な豊かさ、阿片の病的な想像力などいろんな要素がまじりあい、語りの技巧も複雑になり洗練されてきて魅力的な作品が目白押しでした。




印象に残った作品をご紹介します(ネタバレ注意)。
『フランス幻想文学傑作選①』より
◎片目のかつぎ人足(ヴォルテール中川信訳)
片目の人足が憧れの貴婦人と荘厳な宮殿で食事をする束の間の夢を見るが、水をかけられあっさり目覚めてしまうという「邯鄲の夢」的な話。メレディスの『シャグパットの毛剃』を思わせる軽妙な語り口。


○ルソーのからっぽの墓(レチフ・ド・ラ・ブルトン植田祐次訳)
ルソーを死んだことにして南半球の別の国へ連れて行くという奇想天外な話。個性的な登場人物が続々と現れるその話の運び方が面白い。


○フランスのダイダロス(レチフ・ド・ラ・ブルトン植田祐次訳)
空中飛行への憧れが当時の夢の中心にあったことがわかる一篇。飛行装置を発明し愛する女性をさらってユートピアのような社会で暮らそうとする男の綿密な計画がリアルに描かれているが、よく考えてみればストーカーの誘拐ではないか。


○トリルビー(シャルル・ノディエ篠田知和基訳)
悪霊祓いを行うキリスト教司祭のこわばった精神と妖精トリルビーの自然で自由な世界の闘争が描かれている。純真な魂であるトリルビーの生き生きした存在感が伝わってくる。


○不老長寿の霊薬(オノレ・ド・バルザック高山鉄男訳)
死者に振りかけるとその部分だけが蘇るという霊薬が親子二代にわたって使われるが、部分的に蘇った死者のグロテスクな描写が迫真的。


○検察官(シャルル・ラブー加藤民男訳)
無実の罪で死刑になった馬方が幽霊になって、自分を弁論で陥れた検察官に復讐する話。検察官は新婚初夜現れた幽霊を鉄棒で滅多打ちにしたが実は新妻を殺してしまっていたのだ。


◎オニュフリユス(テオフィル・ゴーチェ井村実名子訳)
悪魔を恐れる天才的な絵描きが、悪魔に運命を弄ばれ、行動をことごとく妨害され、恋人には棄てられた上に、満座で恥をかかされ、汚辱のなかに葬られ、最後は狂気に陥るというマゾヒスティックな様相が描かれる。生きたままの埋葬のテーマや鏡のなかから出てくる男など幻想的な断片が光っている。



『フランス幻想文学傑作選②』より
◎悪魔の肖像(ジェラール・ド・ネルヴァル入沢康男訳)
ゴーチェとおぼしき画家が主人公。阿片の幻想に苛まれながら死ぬ。二百年も前の肖像画に自分を捨てた恋人の姿が描かれていたという衝撃。


○屑屋の悪魔(ヴィクトール・ユゴー松下和則訳)
魂を屑のように集めている悪魔、聖者がその悪だくみを見抜いて悪魔を懲らしめる話。「心に毒あり、口に蜜あり」など語り口のユーモラスなところはヴォルテールと似ている。


○夜のガスパール(アロイジウス・ベルトラン及川茂訳)
奇怪な幻想を硬質な凝縮された詩文で綴る。


○第二の生(シャルル・アスリノー井村実名子訳)
音楽小説。ヴァイオリンを弾く十年の努力を一瞬のうちに獲得できたと夢のなかで信じて、それを実行し物笑いの種になる話。悲観してセーヌ川に投身自殺をするも1年の約束でこの世に蘇るが、今度は音楽の感性が天才的過ぎて理解されない。


◎前兆(A・ド・ヴィリエ・ド・リラダン中條屋進訳)
一人称の語りだからこそできる現実と夢との混淆。不気味な気配を微細に描写している。深夜外套を手にした訪問者の姿は鬼気迫るものがある。


○ヴェラ(A・ド・ヴィリエ・ド・リラダン滝田文彦訳)
愛する妻の死を信じることができず、妻が生き続けているかのようにふるまっているうちに、本当に妻がこの世に出現しかかる。がその時ふと洩らした不用意な一言ですべて霧消してしまう。観念がすべてを支配する世界を描いている。


◎ロキス(プロスペル・メリメ冨永明夫訳)
魅力的な登場人物の設定のうえに、伏線となる過去の事件の紹介、挿話的にはさまれる伝説、言語学の博識、土着的な風俗などが鏤められ、話の盛り上げ方がとても技巧的で、完成されている。



『フランス幻想文学傑作選③』より
◎緋色のカーテン(バルベー・ドールヴィイ渡辺義愛訳)
謎めいた女性の神秘性、冒険のスリルが物語を引っ張っていくと同時に、若き日の情熱への追憶が全編に甘美な雰囲気をもたらしている。とてつもない状況に追い込まれていくストーリー運びのうまさ、最後に窓辺に現れた幻影がいろんな解釈を誘って余韻を残す巧みさは一級品。


◎巨人のオルガン(ジュルジュ・サンド大矢タカヤス訳)
音楽の魔を描いた作品。酒の魔を描いたともいえる。自然の岩場をオルガンに見立てるというスケールの大きな世界が描かれる。


○夢の研究(モーリス・メーテルランク堀田郷弘訳)
阿片吸引の眠りのなかで見た夢が、自分の知らない幼少期の事件を再現していたと、後になって分かるという驚きがポイント。過去の事件の現場を訪れ探ってみるがすっきりしない。そのもどかしさが追憶の甘さとまじりあって何とも言えない世界を形作っている。


○仮面の孔(ジャン・ロラン小林茂訳)
マルディ・グラの仮面祭りの狂乱をたどるうちに、なぜかみんな静かに座り込んでいる舞踏会場に紛れ込む。隣人の仮面を剥ぐとそこには顔がなく、ふと自分も鏡を見ると仮面の下に顔がなくなってしまっていた。その恐怖!


○華麗な館(アンリ・ド・レニエ窪田般彌訳)
賭けで勝って女性の影を館の鏡のなかに閉じ込めるという話、ロココ風な明るく整った口調で語られる。前半描かれる館の情景描写がすばらしい。


○鏡の友(ジョルジュ・ロデンバック森茂太郎訳)
鏡にとり憑かれ部屋中を鏡で埋め尽くして、鏡のなかの女性の跡を追いかけるという狂気の男が登場。最後は鏡の中に入ろうとして死んでしまう。


○静寂の外(クロード・ファレール秋山和夫訳)
阿片のせいで聴覚が異常に敏感になった(妄想が渦巻くようになった)男が、生きながら埋葬された死者が柩のなかでもがく音など墓場のいろんな物音に苛まれる話。


◎悪魔に会った男(ガストン・ルルー朝比奈誼訳)
荒涼たる高台の殿様の邸、そこに住む悪魔的な風貌の狂気じみた男、吠えたてるが唖の犬、立て直そうとしてもすぐ斜めに傾いでくる箪笥などの道具立てと、トランプゲームの賭けの進行に連れてストーリーを展開させてゆく語りの巧みさが凄い。


○影の散歩(ギョーム・アポリネール窪田般彌訳)
影が慟哭するなど影が独立した人格を持って動く世界がとても新鮮。黄昏とともに影が薄まって消えてゆくという場面も幻想的だ。


◎麻薬(レオン=ポール・ファルグ秋山和夫訳)
とくに前半、濃密な散文詩風のすばらしい文章。謎を追いかけようとするかのように自問自答するモノローグ、幼少時にさかのぼってその謎を探ろうとし、ある男を追跡するが男は風景のなかへ影が薄くなるように消えてゆく。全体がタイトルのように麻薬の幻想なのだろう。


○リズロ氏の奇妙な思い出(モーリス・ルナール秋山和夫訳)
既視感のある絵画を見て、思い出を探そうとその風景のところへ行ったばかりに事故にあって死んでしまう。実は過去の出来事ではなく未来の予兆だったということが分かる。死ぬ直前にそのことを悟る恐怖。


◎歌姫(モーリス・ルナール秋山和夫訳)
極度に魅惑的な歌声を持つが不具である魔的な存在が登場するが、これは実はシレーヌだろう。その歌姫の連れが最後にトリトーンのような老人に殺されるなど、神話から抜け出てきたような人物により不思議な世界が創出されている。音楽の魔力が物語の中心になっている。


長くなってしまいました。陳謝。