:芳賀徹『詩の国詩人の国』(筑摩書房 1997年)

 
 蕪村の句の評釈が中心で、ほかにテーマ別に日本の詩歌を回顧した文章や、クローデル『百扇帖』について、尾崎紅葉の翻訳翻案の話、本の感想など、種々の文章が収められています。

 クローデルの文章とか、金素雲、名ごりの夢など、どこかで読んだことのある気がして、まさか一度読んだことがあるのではと不安になりました。調べてみると、クローデルは『ひびきあう詩心』で、金素雲は『文化の往還』で読んでいることがわかりました。名ごりの夢はどこだったか。

 蕪村の句について、そのちんまりとのどかな不思議な味わいを何度も丁寧に解き明かしてくれていて、蕪村がとても好きになりました。芳賀徹の句の解釈の仕方には独特の味わいがあるといつも感心させられますが、それは句の世界を自分なりに感性の赴くままにどんどん広げていき、いつしか遠くの、その句を取り巻くオリジナルな世界へと連れて行ってくれるところにあります。そのキーワードは「・・・するのが見えるような気さえする。」「・・・までもが見えてくる。」です。

 テーマ別の詩歌の回顧は、「老年」にはじまり「住まい」「音楽」「道」「海辺」「川」などが取り上げられていて、「老年」では万葉集や源氏、徒然草や能の幽玄の世界が、「住まい」では鬼城、枕草子、蕪村、「音楽」では漱石にはじまり中村草田男の句、「道」では絵画作品にも言及、「海辺」では歌枕に現れた海辺の呼称から始まり芭蕉、小学校唱歌にいたるまで、「川」では万葉集から芭蕉、蕪村と論がすすめられています。こういった感じで、日本の詩歌をテーマ別に、一テーマ一冊になるぐらい詳細に論じた本があれば読みたいと思います。

 「Dans la noirceur immobile de la verdure/ le rugissement de la poupre緑の森の 動かぬ闇のなかから/ 緋いろのどよめき(p259)」や「La pluie peu à peu devient de la neige/ la boue devient peu à peu de l’or雨 すこしづつ雪となり/ 泥 すこしづつ金となる(p266)」「Voile d’un petit bateau dont la cargaison/ est de quelques syllabes小舟の帆 幾音節かの荷を積んで(p267)」など俳句の影響が感じられるクローデルの短詩の素晴らしさも堪能できました。

 尾崎紅葉の作品に「自由自在に流麗な翻訳・翻案の文業があったこと(p294)」も教えられました。

 この本も重複が少し気になるところがありましたが、あとがきで「私の長年の愛唱の句で、それを唱え、それについて論じると、そのたびに自分が何となく幸福になる、といったたぐいの短詩であることに免じて、お許しをいただきたい(p368)」と著者もあっさりと認めているのでよしとしましょう。


 印象に残ったフレーズを引用すると、

老年なりの美があるとするならば、それはすたれた美だという(兼好法師)/p17

徒然草も述べていたように、老年の日々にはあまり何がうれしい、これがよろこばしいというような事件はなくなる。遠のいていく。しかし、それだけに、日脚がだんだん冬から春に向かって長くなっていく、ただそれだけでも老いの身には有難く、そのお日さまの暖か味がわが身のうすら寒さにしみてうれしいのだ/p23

老人を演じたときに匂い立ってくるえもいえぬ艶なるすがた、枯れ寂びた中から、どこかにふうっとただよってくる華やぎ、翁さび媼さびた仕種に宿る遠いエロスの記憶―それが要するに世阿弥の言った「失せざる花」、「幽玄」というものであったろう/p27

雲の峯いくつ崩れて月の山(蕪村)・・・ふと振り返ると、昼の青天にあんなにも盛んに立ち昇っていた雲の峯はいつのまにか崩れ、消えて、まさに雲の峯の輝いていたあたりに、いまはただ、晴れたままの夜空の月に照らされて、あの霊山、月山のまろやかな静かなすがたが浮かび上がっている/p66

うづみ火や我(わが)かくれ家(が)も雪の中(蕪村)・・・炭火が灰のなかに埋められている。その火桶を抱いて小さく坐っている私、その私をかくまってくれている小さな家、そしてその家も今宵は降りつづける雪のなかに白く柔らかく深々とくるまれている。そのやすらぎとあたたかさ/p81

几巾(いかのぼり)きのふの空のありどころ(蕪村)・・・昨日も同じ空の同じあたりに、たしかに同じように凧が一つあがっていた、との記憶ともつかぬ茫漠として遠い映像である。その「きのふの空」はそのまま今日につづいているのか、それとも今日また繰り返されているのか。「きのふ」の奥にはさらに遠い過去が幾重にもかさなってひそんでいる/p106

泥鰌(どぢやう)浮いて鯰(なまづ)も居(を)るというて沈む(永田耕衣)/p159

夜桜やうらわかき月本郷に(石田波郷)・・・夜桜はいよいよむっとするほどの濃艶な色香をおびて浮かびあがる。そして、いうまでもなく、新月はその夜桜のあいまから眺められたとき、いよいよあえかにみずみずしい。細い月をかかげた本郷台地の、大学の小立を擁した黒々と暗いつらなりまでが、この句のなかからは見えてくる/p178

私がもっとも好きな道、そのまま絵のなかに入りこんでたどって行ってみたいと思うのは、渡辺崋山の房総旅行写生帖、『四州真景』に描かれた、鎌ヶ谷原の牧場をかなたの丘へと向かう夏の野の道である/p195


少し引用が多すぎましたか。