:自転車の本二冊

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白鳥和也『七つの自転車の旅』(平凡社 2008年)
伊藤礼『こぐこぐ自転車』(平凡社 2011年)


 両方とも比較的新しく出版された本ですが、『七つの自転車の旅』は古本。
 執筆時、白鳥和也は48歳、伊藤礼は70歳という年の差が、自転車の乗り方や文章の雰囲気にあらわれています。またお二人とも文学系とお見受けしましたが、伊藤礼のほうはあまりそれを感じさせず、白鳥和也のほうには色濃くあらわれています。例えば、エピグラフに引用された

静かに行く人は、遠くへ行く

という言葉や、次のような文章。

まるで、時間のタガが外れて、遠い過去の世界がそこに現れたかのような気がした。古い古い版画のような、デューラーの線のような、あるいは、つげ義春の描き込みのような空間がそこにある。異様に輪郭のはっきりした幻影、のようだ/p57

そうではなくて、そこに無名の、名づけ得ぬようなものが静かに佇んでいるからだ。大平街道のほとりには、ここを旅した人々の、ついぞ言葉やかたちにならなかったような喜びや悲しみ、崇高な諦念が、落葉松の枯葉のようにひっそりと降り積もっている/p250


『七つの自転車の旅』は、自転車の気持ちよさを感じさせる文章という点では、前二作『素晴らしき自転車の旅』『スローサイクリング』と同様でしたが、前作が「気持ちよさ」自体を俎上に載せて、その原因を要素に分けたり分析したりしながら丁寧に語っているのに対し、今回は、自らの自転車の旅を時系列に記述していくなかで折々に語っているので、少し散漫になっているように感じられました。また詩的で思索的な語りはとても魅力的ですが、今回は、語りすぎなところが少々気になりました。


『こぐこぐ自転車』は、著者と年齢が近いので、自分に置き換えて読める分、親しみが湧いたように思います。勤め先の定年(大学なので70歳か)間近に、自転車通勤を思い立ってから、わずか数年の間に自転車を6台も購入、次々とツーリングに出かけた模様をコースガイド付きで、紹介したものです。その間、骨折2回を含み、落車を10回も経験しているというから凄い。

 最初のあいだは、都心の幹線道路を一生懸命走っていることが書かれていて、なぜそんな危ないところを走らないといけないかと疑問に思いながら読んでいましたが、後半は自然の中を走るシーンが多くなり安心しました。

 著者は自宅のある杉並区の久我山を拠点にあちこち自転車で走りまわっていますが、私も東京時代は二子玉川に住んでいて、野川、仙川沿いの小路や、多摩川のサイクリングロードを走ったのが懐かしく思い出されました。東京は山がないので360度どちらの方向にも走れるというのがすてきです。

 終わりころになるにつれて、気持ちがほぐれてきたのか、土屋賢二ばりのユーモア・エッセイの雰囲気も出てきました。


両書から印象に残った文章を下記に。

予定の行程を無事消化して目的地に辿り着き、宿を確保し、泊まる街の中を流す黄昏の時間は、自転車旅行者にとって、静かな、だが何物にも代えがたい喜びに満ちた濃密なひとときである。その時間のためにペダルを踏んで旅をしているのだと言ってもいいくらいだ/p115

日本海の海岸線を旅することの醍醐味のひとつは、間違いなく落日の景観だろう/p126

浦島太郎・・・愛すべき人が傍らにおり、夜毎に音楽が響き、舞が繰り広げられたという海の底とは、実はこの現世のことではないのか。逆なのではないか。いつかわれわれは、彼岸の海辺に帰るために、漆黒の宇宙からは、輝ける青い海の球体たる場所で、夢のような数十年を生きるのではないか/p298

以上『七つの自転車の旅』

疲れたら休んでまたこげばいいのである。疲れるのも自転車のうちなのだった/p97

自転車はいつでも乗り始めは大儀である。こんなに大儀だからとうてい50キロも先の目的地まで行けそうもない、というふうに思う。だが十分ぐらいするとまあぼちぼち走っていればなんとかなるだろうという気分になる。二十分ぐらいすると、快調であるな、というふうに感じる。三十分ぐらいすると、自動車に抜かれるとコンチキショウと思うようになる。その頃には、いつの間にか真面目に熱心に自転車をこいでいる。そうこうしているうちにやがて腹がへってきて食堂を物色するようになる。そんなふうにしているうちに午後の三時か四時になり、いつのまにか目的地に着いているのである。人間はなぜ結局は真面目に自転車をこぐか、というと一度自転車にまたがって走り始めたら、あとはこがないと自宅に帰れないからである/p186

以上『こぐこぐ自転車』


 生駒に移ってからは山や坂が多く自転車に乗る機会が少なくなっていましたが、実は、この二冊を読んでいるうちにまた自転車に乗りたくなり、ギアが壊れていた自転車を新しいものに買い換え、伊藤礼が推奨しているサイクルメーターも購入しました。これで奈良の古本屋めぐりでもまたはじめようかと思っています。